いやー、おめでとうございます。WOWOW入ってないのを後悔したくらいです。いえ、そもそも今衛星が入らない状況ですが。
最終セットにもつれた、と言うところまでスポーツナビでずっと追ってて、さきほど雪の中を帰って来たところ見てみたら、勝っているじゃないですか。
喜んでいたところ母からNHKで特集をやることを知らされて、それを見まして。はー、プレースタイルそんなに変えていたんですねえ…2年前観たときはガンガン前に出て行くなあ、と思ってみていたのですが、今回見たらずっとベースライン上でプレーしてましたね…ああやってしぶとく打ち合って最後に相手がしびれを切らす、と言うプレースタイルはマイケル・チャンを思い出しました。
もちろん、チャンと言えばスピンドライブ、対して錦織は…意外とスライス(?被せているんですけど、スピンじゃなくてカットなんですよね…あれ、ぼくがテニスやっていた頃は無かった技だ…気がついたら結構みんなやっている。ラケットの反発力が上がったから出来るようになったんだろうなあ…何て呼ぶんでしょうね?ミスショットッぽいんですけど全部いやなところに落ちていくので、でもドロップでもない手首の回転なんだよなあ…ギャンブルっぽいのだけど常に使っているから割と安定しているんだろうな。マッケンローの応急処置的な拾い技とも共通している。手打ちなのだけど効果抜群。)、しかもフォアの混ぜ方がいやらしい(褒めてます)なあ、と。
フラットは相変らずヤバイですよね。あんなの立て続けに苦手なフェースに持って行かれたらトップのプロでもいやがるだろうな、と思いました。
一個一個のショットの質はとても重たそうで、ああいうプレースタイルって実は出来る人は少ないなあ、と。
みっともなくても勝つ、というよりは派手さはなくても地力で勝つ、と言う印象でした。確かにあのプレースタイルならいつまでも打ち続けることが出来るな、とも思った。
次はマレーかよ!とか一瞬思いましたが、よく考えたらオポジットのドローはジョコビッチ、ナダル、フェデラー、マレーの4人なので、誰が来ても「おまえかよ!」と叫びたくなるようなメンバーばかりじゃないですか。
ここまで来ただけでもスゲエよ。
それにしてもこないだ勝ったジョコビッチはともかく、後の3人に勝つ錦織って想像が付かないな…いや、もちろんジョコビッチに勝った時もまさか!と思ったものですから、何かが起こってももはや不思議じゃないレベルまで行っていると言うことでしょうね。
個人的には是非フェデラーに雪辱して欲しい(うーん、日本人選手が彼に対してそのような立場になると思っていた人は恐らく誰も居ないだろう)ので、マレーも撃破して、まだ一回も勝っていないナダル、フェデラーにも勝ってほしいですね。特にフェデラーは後3年以内に勝てないとあっちが辞めそうなので。
ドローがどうなっているのかよく分からないですが(なんでスポーツナビにはトーナメントが表になっていないのだろう?128選手のドローなんて、そんなたいした作業とも思えないのだが。)
初めて4大大会で優勝を狙える日本人選手。そんな選手が自分と同時代に生きているとは。高校の部活でテニスをしていた身としては感慨深いものがありますね。そして彼に続く選手がこれからどんどん出てくればよいと思います。伊達さんや杉山さんみたいにそのときにその人一人、というのはやはり寂しいですから。と言う事でとりあえず伊藤選手と添田選手には頑張って欲しいですね。デヴィスカップでは会っているのでしょうから。
しかしこれからしばらく、4大大会はいつでも熱いなあ…テニスは良い時代を迎えたものだ。何度でもおめでとうと言いたいですね。
次も期待しています。
去年の5月、ギリシャの方に行ってきたのですが、そのときに乗っていたのが例の座礁した船と似たようなタイプの船なんですよね。
「豪華客船」
この言葉には乗った人はたいてい違和感を感じるはず。なにせ一応「6カ国語対応」とうたっているだけあって、その国の言葉を喋られる人達、と言うかどこから拾ってきたのかなこの現地の人々、と言う人達が船員なのですが(「充分訓練されている」とは言い難かったですね)、あの手の客船を運航し始めて結構経っているのか、ルーチンワークとして緩みきっているなあ、と感じさせる場面がたくさんありました。
観光ガイドやっている人達もまちまちで、完全なプロフェッショナルから素人以下の人まで、現地に行かないとあたりか外れか分からないロシアンルーレットのようなツアーばかりで、当たりの物は本当に素晴らしかったですが、外れは凄かったですね。あり得ない、と思うレベルでした。
で、今回の事故。うん。まあ、僕たちが乗った船も、同じような状況になった場合死人が出たと思う。
そもそも、同じ場所に人が居すぎるんですよ。あれだけ人数居ると、人の言うことを聞かない人、人の言うことを信じない人が乗客にも乗員にも沢山いますし、一応英語が基本言語になっていますけど、誘導する人のメインはイタリア人。
ここ、大事なところですね。いくら英語を喋ることが出来ても、彼らはイタリア人なのです。
イタリア人は基本的に自主性を重んじると言えば聞こえが良いのですが、いざというときになると基本的に自分の事でいっぱいいっぱいになる人が多いので、人をまとめて避難させるのに全く向いていません。
あの手の事態に対して最も優秀なヨーロッパ人はまずイギリス人、次いでドイツ人なのですが、ぼくの見た限りほとんどクルーにいなかったですね。
かと言ってイギリス人やドイツ人がアドリア海、地中海でああした船を運航するという話もないので、残念ながらイタリアでは「もしあのような事故が起こった場合」何度でも同じ結果になると思います。
新聞には出ていませんが、恐らく現地では「イタリア語の分からない人が海に飛び込んだのはどうしようもない」という話になっていると思うんですよ。ぼくもあっちに住んでいるときはそう思ったでしょうし。
ぼくからアドバイスできるとすれば「現代の船は真っ二つに割れることはまず無いので、ああした事故が起きた場合みんなと動いていればどうにかなるだろう。ならない場合、どうにもならない」と言った所ですね。冬の海にあのような巨大船のモーターが動いている状況で着衣で飛び込むというのはそもそも自殺行為だよなあ…パニックになっているとやっちゃうことだけど。
さて、暗い話はここまで。
一体レッドソックスに行くのかダイヤモンドバックスに行くのかとウェブを賑わしていた黒田選手ですが、なんと大方の予想を裏切ってヤンキースに。
一人で狂喜乱舞しておりました。
そりゃそうでしょう。ヤンキースと言えば世界中知らない人は居ないチーム。そのチームの実質4番手、結果いかんによっては2番手を期待されるような形で入るわけですから。
どうも大方の日本のメディアではその凄さが伝わっていない感じの彼ですが、実際に味方としてみてみるとやっぱり凄いなあ、と思うんですよ。チームの成績に左右されず、自分の仕事をし続けて結果を最終的に出してしまった、というのはアメリカ人の一番好きなタイプの話。
内容があれば結果が出ていなくともチームに引き入れると言う考えは、アメリカ人以外には本当の意味では出来ないのかも知れない。特にイギリス人がそうしたことが苦手だと思う。ましてや黒田の場合、逆境のなかで結果を出してしまったのだから評価は当然高くなる。
そして、遂に世界一のチームへ。(何が世界一って、チーム総額世界一の野球チームですからね)
なんか、夢みたいな話ですよね。これで今年優勝してしまったら更に夢って感じ。
彼の人生はここまで優勝と縁遠かったから、是非優勝してもらいたいと思うのです。その喜びを知っているか否か。これはとても大事な事だと思いますから。
頑張って欲しいですね。
会社言う会社が気に入らない社員をクビにしてはその人に対して裁判を起こし、損害賠償を請求すると思うなあ…
うーん。清武さんは清武さんで、GMと言う仕事としてどの様な契約が行われていたか(たとえば人事に関しての上部からの口出しは許されない、と言う項目があったか)という問題があるので、それが「あったとすれば」、たとえ直接の上司である会長であったとしても、その人事には口出しできなくなるわけですが、普通に考えてなかったんじゃないのかな…
ワンマン会社だったら(讀賣新聞の場合、会長のものと考えて良いのだと思いますが。ここを表向き否定しているものだから話がややこしくなる。ヤンキースだって前の会長の時はスタインブレナー父の私物だったもの。それならそれでよいとおもうのだが。ただ、チームはそれで弱くなってしまったのですけどね。似たようなことが今巨人で起こっているのだと思う。彼が口出ししなくなってからヤンキースは元に戻った。)、今回の解任は普通、と言う事になると思うんですけどね。それこそアメリカでも。
つまり順番としては、人事に関して清武さんが文句を言った時点で「じゃああなたがGMクビ」としてしまえば何の問題も起こらなかったはずなのですが、契約金の問題とかあったんですかね?
何かこう、全てに余計なものがついている感じが否めないですね。
何はともあれ、こういうことやっているのでは巨人がチームとして強くなる、というのは想像が付かないですね。来年は監督の求心力も怪しくなる。
それにしても、野球もすっかりビジネスだな、と思う反面、アメリカの記者が指摘したように「ビジネスになっていない」、つまり、ビジネスにしないとダメ、と言うのが現状なのかな。
お金儲けの道具にしてはいけないですが、経済の場としてフェアに出来ないと、今後発展していくことはない(多分ここに見解の相違があって、発展しなくても良いと思っているのでしょうが。)でしょうね。
その点、サッカーは最初からビジネスになっているので、移籍の問題、コーチの問題でもそれこそ「それが勝負の世界」で話が終わってすっきりしている、と言う事なのかな?
いずれにせよプロ野球は球団が少なすぎますね。それが魅力が低くなっている原因になってしまっているんだよなあ…いつになったら球団が増えるんだろう?逆に減らそうとか言っている人もいるみたいだし…いつでも20球団に増やせるぐらい競技人口があるのだから、それに対応したさっさとつくらないと、どんどん野球浪人が増えていくと思うのだが(最近凄いことになっているみたいですね。そりゃ野球しかやっていないのだから、他のことをやるのは難しいよな)…給料400万でも好きな人はやると思うけどね。
企業名を冠するからそれにふさわしい、ふさわしくないなどと企業同士で牽制しあうことになる。
DeNAがふさわしいのかどうかは知らないけれど、GREEと関係の深い楽天がその企業としての品性を疑う、というのはもはや社会のルール違反のレベルと感じる。三菱がスバルの車に冠して公式に批判するようなものである。実際にはそんなことは絶対に起こらない。ライバル企業なのだからそのような批判は成立しない。
やっぱり、野球の場合、スタートがフランチャイズでなかったことが致命的なのかも知れません。
野球が企業のものである限り、人々のものとして帰ってこない。
80年以上も前、メジャー成立当時からある結論が、結局今となって日本の野球の前に立ちはだかっているのだろう。
つまり、問題の根は巨人がどう、と言う事ではなくて、プロ野球のあり方そのものの問題なんだよね。論旨がすり替わっているから訳が分からなくなっているけれど。
最近の日本はどうもそう言う話ばかりだ、と言うのならば清武さんの言うようにオリンパスの話も類似している部分はある。
でもまあ、巨人は不正な経理をしたわけでもなければその金が行ってはいけないところ(敢えて何処とは言いませんが)に行ったというわけでもないので、問題の質はまた全然違うところにあるなあ。
しかし日本では「何処に問題があるのか」という論旨がすり替えられやすいですね。結局みんなが必至になってすり替えようとしているからすり替わるのですが(よく言うように「英語ならすり替わりにくい」というのはまあ確かに事実なのだけど。なにせ「主語と述語をはっきりさせる」と言う事は英語にとって最重要課題だから)、良い事もあるのだろうけれど、悪いこともたくさんあるな、と思います。
借金の埋め合わせをカジノでしようとする、などという論法は英語でそれを口にすれば社会的信用を一気に全て失うぐらい馬鹿げている事なのですが、日本語だとそれを言ってしまう可能性があるのは認めざるを得ない。
「事の次元」を定義するためにはまず「主語と述語をはっきりさせる」事から始めないと行けないのだけど「会社の金」と「個人の金」が物事の次元として全く違う所にある、と言う事を頭にたたき込むための論理が、日本語だとはしごと外されやすい。
融資する方は融資する方で、そのお金が個人に行っているのか会社に行っているのかは容易に判断できるはずなのだが、「分かりませんでした」と言ってしまえばそれで終わりとでも思ったんですかね?その審査そのものが犯罪行為ととられても仕方が無いと思うのですが。
それもこれも、日本語だと言葉の逃げ道が作りやすい事から来ているのだろうな。「誰が」「誰の責任によって」「どこから」「どうやって」「何をしたのか」という5W1H的責任の追及の仕方に効力があまり無いのだもの。
良いとされれば良い、悪いとされれば悪い。
これで済まそうと思えば国際基準からは縁遠くなる。
アメリカと同じルールでやっている、というわけでもないからしょうがないとも言えるのかも知れないけれど。
この判断基準が巨悪に結びつきやすいのは言うまでもない。
王政は、王が賢いときのみ、その効果が発揮される。今の時代のように、個人の情報が駄々漏れになる状態で、それが成立するのは不可能だと言う事(つまり人民がその王の賢さを必然的に疑うという事実において。巨人の場合、多くの人が渡辺さんの事をその意味で疑っているから成立しづらくなっている。言うまでもないことだが、これは別に渡辺さんでなくても同じ事が起こる。だからと言って彼が賢いと思え、と言う論法も成り立たない。これが現代社会において政治が廻らない最大の理由でしょう。せめて3年ぐらい持てばいいのだけれど。持って1ヶ月よね。)は、これまた言うまでもないこと、のはずなんだけどねえ…
一度無実の罪を着せられて「法的に罰せられたもの」が、一転無実となる事。
法的には当たり前のようにそうですけど、現実社会においては「罪もないのに罪を訴えられて、社会的に地位を貶められること」は既に罰の行為に当たりますよね。
だから裁判所から何らかの法的処置が科せられずとも、マスコミなどに晒されてあたかも罪人のように扱われる事態に至った人が、法的に無実であると裁かれた場合も、やっぱり「冤罪」なんですよね。
ここら辺、小難しいことばかり考えていると、世間の考え方とずれが生じる。どうやら今の法務大臣にもそう言う所があるみたいだなあ…
頭が良い人に限って陥りやすいドグマですよね。
どうしてこういうことが起こるかというと、法律上の位相と実社会の位相がずれているからであり、社会学的観点で見ると交わっているこの二つが、法律だけを扱っていると「当然ずれている」という結論に達してしまうからなのですが。
結果として「何言ってんのおまえ?」と素人に突っ込まれるのが痛いところです。
これって言って見れば、語学学校に10年通って「先生の喋る英語は分かるけど、アメリカに言ったら喋れない。なぜ?」と言っているのとあまり変わりないですから。いや、この場合、ただの人見知りの可能性もありますが(で、これ自体ぼくは悪いと思わない。人見知りは本来人に対して警戒心が強いから起こる行動であり、実はこれによってトラブルを回避できることは多々ある)。
法的にはどうなのか知りませんが、公文書に「冤罪」と書かれることは、社会学的にはやっぱり「当然」なのですけど(痴漢の冤罪を考えたらすぐ分かりますよね。裁判所に持って行かれただけでクビになった人が沢山いるわけですし)、この法務大臣も自分の畑と擁護が違うからと言って他人の畑のにんじんをボロクソに言ったらそりゃ叩かれるわけですよ。
こんなの、自民党も民主党もないですな。その人の資質ですから。
思うのですが、これも「ゆとりグループ」ですよねえ…専門しか知らない、という人はどの年代にいてもやっぱり「ゆとりグループ」にカテゴライズされちゃうものだよな。
坂本竜馬には「小僧」って奴だな。
西日本で良く誰に対しても相手が年上であっても「このガキ」と言いますが、気分は似ているな、と思います。あの辺の歴史を見ると「年上を敬うのが日本の礼儀」というのが嘘だということがよくわかるのでそういう意味でも「竜馬がゆく」はぜひ読んでほしい。
いや、これは別に年上を敬わんでよろしい、という意味ではないですよ?
ただ、そういう礼儀は朱子学から来たものであって儒教から派生したものであったとしても、「項羽と劉邦」の時代までさかのぼれば怪しいものだった、ということは知っておくべきだ、ということです。それを知ったうえでその選択をするのはそれはそれでありだと思いますけど。
でも、そこに心がこもっていないのならばそんなものはゴミですね。それは竜馬でなくても言うところだろう。
つまり法律学上は村木さんは冤罪ではないのだろうけど、社会学的には村木さんは立派に冤罪です。
公文書が省によって違うとはいえ、問題が社会問題まで発展した以上、社会学上冤罪である限り、冤罪と呼ばれるのが適切だと思いますね。
ああいやだ、こういう議論。頭がいい人に限って屁理屈をこねないと理解しないものだよなあ…もうちょっと自分の頭に自信のない正常な人たち(そう、当たり前ですが、自分は頭が悪いと思っている人のほうが正常です。)だったら「バカじゃね?お前」といえば理解してくれるものですが…
多分この人、一生自分は正しいと思っているだろうし…だから小説家のネタにはなりそうですけどね。「変わることを拒むゆえに滅ぶもの」の典型を行っちゃってるからなあ…(彼が滅ぶと決まったわけではありませんが)、悪役にはしやすい発言ですよね。
一言でいうと「迂闊」なんでしょうね。
ん?なんだ、そこで括ると僕とあんまり変わらないじゃないか。
言葉尻の揚げ足を取るのが現代社会の政争の基本ですが(こんなこと書かれている時点でもうだめなのだが)どうにかならないんですかね?でも攻撃せざるを得ないよなあ…だって、先に揚げ足を取りに行ったのは彼のほうですから。うっちゃられても文句は言えない。
もっと真正面から角力を取ってほしいですねえ…
全部見てしまいました。久々にダルビッシュ対涌井だったので。
なかなかエース同士が当たることはないですよね。どっちもその投手で勝ちを上げたいですから。凶も二人とも素晴らしいピッチングでした。
涌井は初回に点を取られこそしましたが、球の切れは非常に良く、やっぱり良い投手だなあ、と思ってみてました。アナウンサーの人が言う程「凌いでいる」という感じでもなく、むしろダルビッシュに関してはあまりにも大胆にボールを放り込むのに選手が躊躇して打てないのかな、という感じ。
イメージって怖いですよね。凶のピッチングに関して言うと二人とも同じぐらいだったとぼくは思いました。
日ハムの敗因は…やっぱり、岡本から点を取れなかったことなんですよねえ…9回に同点されたのはともかく(武田久はここのところ調子が非常に悪かったからあれは想定内としか言えない)あの回にもう一点取れてれば勝てたんだよなあ…
もちろんダルを代えてしまった、と言うのもあるのですが、それこそ覆水盆に返らずと言う奴でして…見ててさほど違和感のない継投でしたから、つまり、問題はそこばかりとも言えない、と言う事なんですよねえ…
テレビ埼玉はライオンズを応援しているので、当然最期まで放映しまして。結局最期は榊原が打たれて牧田が抑えてゲームセット。
はは、最近広島の選手より西武の選手の方がよく知ってるなあ…西武池袋線に乗っていると、いやでも西武の選手の顔と名前、覚えちゃいますからね。あと、渡辺監督は好きです。ああいう人がやはり一人二人居ないと、見てて元気が出てこないですね。オリックスの岡田監督もそう。二人ともベンチで座っているのを見ているだけで面白い。よくもまあ、指揮官があれだけ表情を変えるのに勝てるもんだと。
いや、むしろ無表情の方が良い人もいるんですけどね。落合さんとか。梨田さんはなんというか、いやな事が起こったときの困り具合が露骨すぎないかあれ。いずれにせよ監督が無表情でなくてはいけないなどという理由はないですね。現に、ヤクルトの小川監督とか、凄く表情豊かですし。
あ、そういえば、ヤクルト勝ってましたね。館山-村中の豪華リレー。ヤクルトは中継ぎは普通なのですが、先発陣は凄く豪華ですよね。どの投手もキレキレです。なんといっても館山が凄いですが、今日のような使い方をした以上、三戦目の後半で出てくる可能性もありますね。
短期決戦はそこが面白い。逆に、巨人はなぜ澤村を代えて、内海あたりに継投してこなかったのだろうか?ここら辺、明らかにプライドが邪魔している部分が否めないですよね。ちなみに内海に継投していたら100パーセント巨人が勝っていた試合だと思います。
監督としての相性という意味でも、ヤクルトと巨人だと、ヤクルトになるんでしょうね。ペナントがそうでしたから。
それにしてもテレ玉(テレビ埼玉をこの5年ぐらいこう呼ぶのです。昔は決して呼んでなかったと地元の人は言ってますけど、ぶっちゃけテレ玉は東京の北の地方の人に愛されてます。なにせ、頑張りすぎてないほどよい番組編成で、見てて和むものも沢山入れてますから。首都のテレビ局は肩に力が入りすぎているのかな、と思うのですが、とにかくケバくて疲れます)はよく西武の中継をするから、やっぱり日ハムを応援していても西武の選手の方がよく知っているなあ…というか、この2年で明らかにパ・リーグの選手の方がセ・リーグよりも知っている選手が増えてしまった。
なぜか?と聞かれると…うーん、あまり言いたくないんだけど、パの選手の方が「楽しそう」だからなんだよね。
ヤクルトは唯一例外のチームなので、見ててこっちも名前覚えちゃう選手が何人もいるのですが、他のチームは…広島ですら、レギュラー全員言えないですからね…(捕手とSSとサードとライトとレフトが分からない。あれ?半数以上?結構変化していると言う印象がある)
中日が上がってくれば、パのチームと戦う事も出来ると思うのですが、他のチーム、どうかなあ…ヤクルトも、どうにかなるか。巨人はまあ、ムリだよなあ…戦力差が、酷いんですよね。特にソフトバンクが来た場合。西武が来れば可能性は無くはない。まあ、無いだろうな。
それにしてもペナントレース1位が圧倒的に不利なこのシステム、いつまで続けるんですかね?ぼくはずいぶん前から12チーム4地区制で、各地区一位同士が同リーグで優勝決定戦をやった後に日本一を決めるのが言いと言ってたんだけどね…それ以前に今の球界のシステムが動かなくなる寸前まで来ているよね。モバゲーが横浜を投げたとき(恐らく5年以内。残念ながら、あの形だとソフトを開発する資金が底をつくのが目の前であり(というか、著作権とかろくにまともに払われていないのだろうな、と思われる。JASRACはJ-POPのときだけはやたら出てくるけど、こういう所はほとんど口を出さないから)、既に最近売れたゲームに手を出しているのを見ると、2、3年後と言わず下り坂になる)リーグは一度崩壊の危機を迎えるだろう。
そもそも、広告の名目で各球団が毎年20億近く赤字を出しているのが、ねえ?アメリカじゃあれだけ金が廻っていても赤字の球団は少ないと言うのに。一企業だけで全部切り盛りしようとするからそうなっちゃうのだろうけれど。
フランチャイズにおける地域の振興では完全にサッカーに水をあけられて、しかも現実問題そっちに行かないとどの企業も野球を支えられなくなってきている現状において、野球は一体どこに向かっていくのでしょうかね?
パ・リーグにしたって、今は良いけど、ソフトバンクの企業成績が落ちたとき(あり得ない事ではない。今後、アップルが今までのように素晴らしいものを出し続けるかと聞かれれば、未知数としか言えないし、加えてソフトバンクとの独占契約もなくなったし)、あの球団を手放すことになるとすれば一体どこが拾うのか(楽天にも同じ事が言えるなあ)、いろいろ考え始めると「もうどうにもならない所まで行っているねえ」というのが日本プロ野球の印象なんだよね。
最近、純粋に野球として楽しめている感じはセ・リーグは全く無いし。もう、パ・リーグしか見てないんだよな、本当に。
ダルビッシュは見てて、野球を本当におもしろいと感じられる。澤村は、同じぐらい良い投手のはずなのだけど、いろいろごちゃごちゃしがらみがあって、純粋に楽しめない。詰まるところ巨人ファン以外にとっては楽しめない投手だ。
長野もそうだし、菅野もそうなる。
昔は江川くらいしかそんな選手いなかったのに、このところ巨人はそう言う選手を量産しているなあ…
あ、ちなみに菅野の指名は日本国憲法に違反していないからね?「職業選択の自由」という意味で、巨人に入ろうが日ハムに入らなかろうが、その二つの球団がやっているのは「プロ野球」であり、「巨人選手」という職業があるわけではないのです。(あると思っている人がなんと多いことか。凄く乱暴な話をすると、三菱に勤めようがマツダに勤めようが、やっている事は「ビジネスマン」である。その括りとしては同じカテゴリーの職業だ。違和感があるというのは分かる。でもそれが事実だ。)
なんかね。日本の事なんかどうでも良くて、東京だけ良ければそれで良いのか、という感じがね。
田中は日本中から愛されるのに、菅野は巨人ファンからしか愛されない、と言う現実があるから代償を払っていると言えば払っていると言えるのだけど。(あ、菅野は入団拒否すると言う前提で喋ってます。だって、いきなりおじいさん出てきて本人が喋らないでしょ?子どもだから自分の意思などないのだと最初から分かっちゃいました。あれじゃ死ぬまで自分では何も選べないよ。何もかも他人に選んでもらって生きることになるだろう。周りに人がいなくなったらどうするんだろうねホント)
華のお江戸の新聞社の頭がこれほどまでに日本の事を考えないのは、やっぱり憤りを感じざるを得ないことなんだよ。
加えて、日本野球協会がとにかく守ろう、守ろうとする今の状況に、危うさを感じざるを得ない。そのくせ内側ではムチャクチャになって来ているからねえ…
MBCだって結局、何一つ解決しないのにやることにしちゃったし…言っていることとやっている事が本当に支離滅裂になって来ているよなあ…
TPPも最終的にはああいう風になるのかね?しかしまあ、NOと言える日本(あれ、石原慎太郎が特に言ったのかと思ったら、坂本竜馬でした。「竜馬がゆく」の7巻だったかそのあたりで、竜馬が言った言葉として紹介されていました。)が、決然として必要なのですが、野田さんはそれを言えなさそうですね。
むしろ、そう言うのを言える企業、言えない企業と分かれてきているのかな?でも、やっている事はただの陣取りゲームじゃないからね。あっちに隙があるから取りに行こう、とかいい加減にやっていると世界中から信用されなくなっちゃう。NOと言えると言うことはYESとも言える、と言う事ですから。(あ、某光学レンズの会社の話ね。どうでも良いけど)
オールレッドかオールグリーンしかない、と思っているから結論が出ないんだろうけどな。それだけ後付けの交渉で負ける自信(?)があるわけだ。まあ、過去が示しているからその気持ちは分からなくもない。日本人、そう言う細かい交渉ヘタだもののね。必ず本部に案件を持って帰って討議し直さないといけないから。全権大使とか飾りでしかないし。(これがケグヮンと日本の大使の格の違いを生んで、六カ国会議顔しに押されてしまったために、日本が強硬カードを切らざるを得なくなり全てが頓挫したわけですがそれは別の話よね)
なんの話してたんだっけ?ああ、野球か。
パ・リーグは、西武がソフトバンクとやり合うことになりそうです。政治が野球ぐらい分かりやすかったら良いのにね、と思いながらも、セ・リーグの状況と国会の状況は同じぐらい見てて気持ち悪いから、パ・リーグ見るしかないね、と言う事でした。
やっぱりスポーツは、見てて楽しくないと。勝ち負けなんて、二の次よね。
イヤー、コメントするつもり全く無かったのですが、一人ものすごい経歴の人がいましたので…
早大ソフトボール部出身の大嶋匠選手。
あるんですね-、こういう選択。と言うか、ぼくが今までドラフト見てきた中には無かったなあ・・・昔はこういう異色の選手って、ドラフトで指名される事ってあったんでしょうか?
ソフトボールでは希代のスラッガーらしいのですが、つまりボールにスピンをかけるのがうまい、と言う事なので案外統一球でなじむ可能性がありますよね…
一軍に出てきたら是非見てみたいですね。捕手ですから上がってくる可能性は…どうなのかな?日ハムって何人も捕手がいるイメージがあるけど…見てみたいなあ…
広島は野村祐輔選手、取りましたね。4年前の甲子園は、今でも鮮明に覚えていますよ。それにしても体もずいぶん大きくなって、ストレートも重たそうに見えるし、案外すぐに活躍するかも知れませんね。
…来年、野球、あまり見ないと思うんだけどね。しかしまあ、野村は思い入れがある投手なのでちょっと追っかけようかと。広島がどう、とか言う問題じゃなくてね。(広陵出身と言う事では広島なのでしょうが、そう言う意味よりも野村が、と言う砲が強いですね)
菅野投手を日ハムが指名しましたが、あれでよいと思うのですよ。彼には拒否する権利がありますし、日ハムは日ハムでそれでも欲しいと思ったわけですから、そこに意味が無い訳もなく。
正直、長野はともかく(彼は自分がしたことをあと10年一線でプレーしないと取り戻せない。それは又別の話)澤村がいきなり一人で指名されたのは本当に気持ち悪かった(あれほどの実力の投手が行きたいと思ったチームにごねれば一球団しか指名しないと言うのが間違っている。ドラフトの意味をプロ野球が忘れた年だった)ので、又健康なところに戻ったな、と。
だって、やっぱり長野と清原が20年後に比べられたら、どれだけ長野が記録を作っても、みんなの記憶に残るのは清原ですよ。
筋が通ってましたから。
ここ、日本人としてはやはり、捨てて欲しくない所なんですよね。
普段、日常生活では通らないことも多いからこそ、スポーツではそれをやって欲しくないんです。最近そのことを、現場すら忘れている雰囲気がありありですよねえ…
1000匹のイヌよりも一匹のオオカミを見るために、みんな球場に来ている。
忘れている人が多すぎる。なぜダルビッシュがみんな好きか?あれはオオカミだからです。え?まーくん?あれはクマだけど。いずれにせよ、イヌではない。
菅野はオオカミになれるだろうか?それともイヌであり続けたいと思うのだろうか?
澤村がいくら成績を上げても何か釈然としないと思っているあなた、疑問の答えはそこにあるのですよ。彼は他のチームが指名してくれていれば、たとえ巨人に行ったとしてもみんな今頃彼のことを獅子だと思っただろう。
流れがああであった以上、あれほどの投球しても巨大なイヌにしか見えない。
まことに残念としか言いようがない。しかし、一回付いたイメージは消えないですよ。一生ね。
だから思う。菅野はラッキーであったと。ただ、その運を活かせるがどうかは、本人次第だろう。
…多分活かせないね、とも思うんだけどな。非常に残念である。(結論したくないんだけどね。何となく、ね。)
長野が失ったのは二年間ではない。その後の、巨人ファン以外の全ての野球ファンの「応援しきれない空気」を一生分買ったのだ。
返せないよ。本塁打を800本打っても。多分本人も気がついている。首位打者をとってもこれだけ祝福されないのを、ぼくは初めて見た。
一年拒否するにしても、又一本釣りにならないように球界が配慮して欲しいですね。その方が結局、本人のためですよ。
いずれにせよ、今年一番の注目は、大嶋選手ですね。是非一軍で見たいです。
福島の炉心がもう一度傷がつくか、と言う試算らしいんですけど。
多分、偉い学者さん達がいろんな式を組んで計算したものらしいんだろうけど、理論値ってのが実際には全く役に立たないと言う事がよく分かる例の一つですね。
とりあえず分かったことは、どうやら日本には太平洋沿岸、東北地方において1000年に一度くらいの周期で今回の様な津波がやってくる、と言う事と、福島の原発以外の原発も含めると、毎回そのうち一個は壊れるだろう、と言う事なんだろうね。
5000年に一度福島、というのはつまり、大津波が5回起きたら1回壊れる、と言う事なのだ。
5000年後って、多分人類はそんなに繁栄していない。ヘタしたら住める土地もほとんど無くなっているかも知れない。そして自然災害が起きるたびに核プラントが壊れて、ますます人間が住める土地が少なくなっていく…
現在のように国家が比較的正常に機能している間は良いのでしょうが、福島に限らず、居住区域が分断されるようになってくるとそもそもシビリアンコントロール以前の問題になってしまいますので…いや、5000年後に日本という国があるのか、と言うのも、地球の歴史で言えばあっという間なのですが、人類の歴史としてみれば、記録に残っている今までほとんど全部みたいなものでして、途方のないものですよねえ…
そう言う事も含めて、学者さん達としては安心させようとしているのだろうけれど、我々が残したものが地球を汚染させ続ける可能性が高い、と言う事実は、残念ですねえ…何か方法は無いのだろうか。国家規模のプロジェクトでは足りない、途方もないプロジェクト。地球規模でなくては解決しようもない、つまり解決しない(残念ながら)問題なんだろうね。
原子力を考える委員会みたいなものがいくつかありますが、彼らが原子力を推進するにせよ抑制するにせよ、世界規模では今後もどんどん創っていく方針の国がいくつもあることですし…経験すると「辞めとけよ」という話になるんだけどね。歴史上、地震が一度も起こらなかった地域ってのは存在しないわけでして。
いずれにせよ、学者さん達からすれば「ああ、浅はかだったな俺たち」という展開だよなあ…何となく分かるんだよね。ぼくの母校でそう言う学者になるようなタイプの人達って結構見ているから。
本人達は大真面目に壮大なことを考えているものなんですよ。
ただ、現実が福島みたいに、「イワンこっちゃない!」と後から突っ込まれるような結果になりがちなのは、学者が「理論値」に頼りすぎている(ハイデガーは経験に基づいてばかりいてはいけないと言うけれど、経験と勘で分かることもやっぱりたくさんあるんだよね。イヤ、この一言「経験を積んだ人、物事がそうであると言うことを知っているが、なぜそうであるかと言うことは知らない」において揚げ足を取るのもどうかとは思うのだけど。なぜ物事がそうなのか分析しろ、と言うのだけれど、津波は来る、これで充分なんだな実際の所この際は)のはいつの時代もおなじだなあ、と。
何が言いたいかというと、こんな試算は何らの慰めももたらさなければ、これをポジティブに捉える人もネガティブに捉える人もどちらもそんなにいないだろう、と言う事ですね。
学者からすると2000倍の値の差ってものすごい屈辱的な補正なんだけど、被害にあった人からすれば「100万分の一が40年で起こるか!」で話は終わりだもんね。
ただ、検証は心の慰みになる事もあるだろう。こういう「やっぱり結構凄いぜ!」と言うようなものでは無くて「何がどうまずくてああなったのか」と言う事を責任の所在も含めて全部洗い出さないと「原発は悪だ!」という言葉で全てが片付いてしまう(ハイデガーの生まれたドイツでそうなっているのだからもう良いのでは、という話もなくはないのだが。彼らは彼に影響されたその思考を持ってその答えをはじき出しているのだから。むろん、チェルノブイリでさんざん酷い目に遭った西ドイツの20年前のデータがものをいっている部分も強いのだけど。このあたり知らない日本人が多すぎて…笑うしかない。みんな「いきなり答えを出すなんて」と笑っている。笑われているのはあの結論がいきなりだと思っているこっちの方ですよ…彼らは彼らで20年間以上議論し続けてきたのだから)のだけど。
もうちょっとこう「この数値がこうでこうなって、実際に被害がこうで」という説明が我々に全く無いうちに世田谷区で年間29ミリシーベルトという理論値が叩き出される現状はどうにからならない物なのか。
なし崩しで「正義だ!」なし崩しで「悪だ!」とお互いがお互いに叫びあっている現状が(イヤ、ちゃんと研究して話している人もいるんだけどね?ただ、調査を実施する団体が市民のそれで、しかも半年も過ぎて半年前に出来たことを今更やっている、と言うのが、ね?)何とも、ねえ…
我ながらフライング気味でまとまってないお馬鹿な文章ですが、スティーブ・ジョブズもステイ・フーリッシュと言ってくれていることですし、その精神で生きましょう。
現状の原発の議論は「おまえのかーちゃんでーべーそ!」のレベルから久しく這い上がれてないよね。
それがどうしてなのか、よく分からなくなっている。よく分からないようにしたいのだろうけど。
残念ながら、被爆する子どもと言う現実がそれを許さないらしい。
面倒くさいね、原発。これから何年、ボディーブローのようにこの国を苛むのか。
それが全く読めない。どうやら、それは間違いないみたいなんだ。
忙しかった、と言うか他にものを書いているのにこちらに余力を回せなかったというか。
どちらかと言うと他に本をやたら読んでいたというのがありますが。
一時司馬遼太郎にこっていて「項羽と劉邦」「燃えよ剣」「竜馬がゆく」の7巻に来たところで、ちょっと止まっています。
中国のことをちょっと知りたくなって項羽と劉邦を読んだのですが、この3シリーズのなかでは圧倒的に項羽と劉邦をおすすめします。
中国という国は日本ではやたらネガティブに報道されているので(正直最近全然仲の悪い韓国(ちなみにぼくはあの国に行くとおごらされそうになるのが怖くて人と一緒に食事が出来ないだろうと思います。知り合いの方が怖い(笑))の方がひいき目に報道されているのは、バランスを取ろうとしているのかな、と思う。レストランでバランスの悪いキムチの入れ方(さすがにオムライスにキムチはムリだと思うのです)をしているのを見ると、これって多分、韓国の人達は気分を害しているのだろうな、と)、実際の所どうなのかなあ、と最近やたら物色しているわけですよ(笑)
とりあえず誰でも読めるものとしては「中国嫁日記」というブログと、その人が出している同タイトルのマンガが超お勧めです。こういう角度から中国を見たことは一回もなかったなあ…
中学2年の時に自主的に中国語を勉強して、周りから「おまえは共産党員になるのか」とからかわれたりいじられたりした記憶は今でもあったりしますが(ぼくは結構執念深いのか。でも誰にいじられたかまでは覚えていないのよ。と言うか当時の中国のイメージって、相当悪かったんだよな-、と今更ながらに思います)、そのときにまったくできなかったイメージがあったので、ここまで敬遠し続けてきた中国語。
しかし。考えて見ると、ぼくは今まで外国語のなかで比較的発音が面倒くさいとされているドイツ語やフランス語も、「発音だけなら」ネイティブに近いと(あくまでその国の人達だけですが。日本人はヨーロッパ言語を日本人が堪能であると言う事を絶対に認めない不思議な国民なので。これで損していることが本当にたくさんあると思う。「聞けば答えてくれる」という事実に踏み込めない人が多いよね。)言われるようになっているわけでして、中国語とフランス語って実は似た音が凄くたくさんある事も既に気がついており「これはまともな教材があったらすぐ発音は覚えられるんじゃないの?」と気がついたわけですよ。
で、ベストの教材が見つかりました。
「ipod徹底活用!リズムで学ぶ 三文字中国語」(アルク社)です。
ちなみに、多分絶版です。確定していないけど、古本屋にしかありません。定価が1800円の所をアマゾンで2500円で入手しました。
今でもアマゾンにありますが、値段が上がる一方です。
なぜか?絶版になった今、これをわざわざ手に入れて勉強するようなぼくのような語学バカは、こういう面白い本が手に入ったら絶対に手放さないからです。
こういう場合、通常宣伝しない、と言うマナーがあるのですが、この際ぼくはこの本を宣伝して沁まいます。
なぜか。
これが現在でている中国語の発音マスター教材の中で、他より明らかにぬきんでて優れているものだと断言できるからです。
時間とお金で言うなら、他の教材と先生とお金を使って、大体一〇万円から三〇万円と一年かかるところが、勘が良い(勘が良い、を一発変換出来なくて菅が良い、と変換したATOKはちょっと時代遅れだと思う。単にぼくが最近ワープロを使ってなかったからだけど。)人ならこの本に付録しているCDを使って「見流す」だけで、一ヶ月ほどでマスターできるからです。お金はこの本にかかるお金のみ。(現在アマゾンで三〇〇〇円ぐらい。値段、やっぱり上がってますね)
では、なぜ、この本が絶版に追い込まれようとしているのか。
…よく分からないんですよね。考えられることとしては
1.歌手(en-Rayと言う中国の人)と会社の間の契約がこじれた。
2.このような優秀な教材があったら中国語の先生が商売あがったりだ。
3.アルク社が倒産の危機にある。
うーん、まあ、多分、3だな。倒産の危機にあるんだったら重版出せばいいのにね。その資金もないのかな。
なぜといえば、錦織圭くんが上海マスターズでベスト4に入ったのですが、テレビはともかく(ちょろっとだったよね)ヤフーのトップに出てこないのはなんででしょ?
マスターズ大会って4大大会の一つ下の大会だからポイントが大きいのです。それでベスト4に入ったから、今回順位がついに30位近くまで上がるようなの。つまり、4大大会で日本人が初シード。
高校生の頃テニスもちょっとだけやった自分としては「こんな大ニュース、なんでネットでトップにでないの?」という話なんだけどなあ…サッカー男子日本代表がワールドカップで初めて一六強に入ったときぐらい凄いニュースなんだけどなあ…
でもまあ、この程度の事を不思議と言っていると、最近は本当にテレビで不思議なことだらけ(今日だって世界体操、あれだけ番宣打っておきながら、しかも内村選手が1位確実の大会だったのに、なんで生放送にしなかったのだろう、とか。視聴率間違いなく三〇パーセント越せただろうに。つまり最近のテレビは視聴率で動いてない、と言う事なんだよな。それよりもそれを見た人がどうお金を落とすか、を計算している)なので、まあいつものことだろう、それでもチェックそのものは簡単にできる幸せな世界なのだから、世界の片隅で幸せに生きようとしか思わないですなこの頃。
錦織は正直、メディアで喋らされまくっていたときより今の方が良い顔をしているので、このままトップ10に入っても伊達公子のようにメディアに対して無愛想のままの方が良いのだと思います。日本で大事を成し遂げた人は多くが無愛想だったわけですし。その筆頭が坂本竜馬、か。
それにしてもだらだらといろいろ書いているな。
最近、気がついたンですよ。以前、いろいろ不満に思っていた事って、結構どうでも良いことなんだな、と。
近年、ニュースというものはほとんどが、素材があってその素材を使うことによってテレビが伝えたいことを伝える道具になっているわけですから(というか、昔からそうだったんだよね)、そもそもそれが「公正・中立」になるわけがない、と。(これは持論でなく、ただの養老孟司の押し売りです)だからそこに憤るのは間違いなんですよね。
そこへビートたけしが「見たくないのなら見なければよい」(これはちなみに韓流批判に対する反駁だったな)を見て「あ、俺はそもそもテレビを特別見たくないんだ」と言う事に気がついてしまった。
で、それから本ばかり読んでいたし(と言う事はこの二ヶ月か。長いな。)、多分これからしばらく本ばかり読んでいると思う。
と言う事で、皆さんもぼくと一緒の本を読んでくれたら嬉しいな、と言う事なので、今後「読書」のコーナーを充実させたいな、と。ちょっと勉強しないとな、やり方。
今までのぼくに付き合ってくださった奇特な方々は知ってらっしゃると思いますが、ぼくは結構いろんなジャンルのものを読みます。変わったことと言えば、最近マンガがしんどくなってきました。これは描いている人達がついに年下の世代になったからに他なりません。と言うか高橋留美子も最近きついですが。田中モトユキという人のマンガのためだけにサンデーを買って読んでますね。
ジャンルわけもしなくてはいけませんね。
このブログも今までダダ書きでしたが、そろそろ別な方向性を見つけようとも思っています。
とりあえず11月12日のコンサートが終わってからの話なんですけどね。それまではなんだか落ち着かないので。
いっそのことブログ、引っ越すかな-。いろいろ考えているのです。自分でホームページを創る方が良いのかな、とか。
心境の変化はないですが、部屋環境の変化が一つ。
プラズマ-クラスター空気清浄機が私の部屋にやってきました。
我が家の猫はあの悲劇の起こった同じ日に一匹、その後もう一匹やってきて、これが仲良くヘルペスにかかってしまって両方とも独眼猫になってしまったのですが(イヤ、もう一匹はまだか。でもすぐにそうなる)、それはともかく猫アレルギーが実家の方で問題になって、以前友人に勧められたプラズマクラスター(シャープ。俺がこれを宣伝して何か得があるのかがよく分からない)を導入したところ。
凄いンですね。魚の焦げた匂いとか、鳥をソテーした匂いとか、ニンニクを炒めた匂いってそれまで半日以上感じられていたものが、20分もしないで取れるんだ。科学の力、スゲー。
東京に戻って10月に入ったところで、花粉か何かのアレルギーが始まって、夜やたら喉が渇くようになりまして。で、その友人渡海某(某でも何でもねえ)が、そもそもアレルギーによいと言っていた事を思い出しまして。すぐに導入したのですよ。
するとですよ。喉の調子が一晩で治ってしまいました。科学の力、スゲー(ワンパターン)。
と言う事で皆様、エアコンを買うときはアマゾンを通してプラズマクラスターのSXクラスを買うと良いと思います。VXでも良いかも。ともかく、プラズマクラスター25000というランクが魅力。部屋の環境が二〇〇パーセントぐらい改善する魔法の箱です(強調無く)。
イヤ、別に近所の電気屋で買っても良いンですよ?でも多分、設置料込みで計算して4-5万ほど高くなっちゃうと思う。それぐらいアマゾンがガチで安い。イヤ、きっと同じぐらい安いネット販売はあると思う。価格コムとか。登録してないから知らないけど。孫さんが嫌い、という人は価格コムをどうぞ(爆)
今日はなんだか商品の紹介ばかりして居るなあ…しかも何も自分の得になってない(笑)。しかし皆さんもいいかげんこうやって紹介されっぱなしで確認しないのもあれでしょうから、リンクは今後張れるように勉強します。実際、ものに関しては基本一ヶ月ぐらい使って良いと思った時点で勧めているので、信用しすぎても行けないとは思うけど。
二ヶ月近く更新していないと、書くことがありすぎて困りますね。またちょくちょく更新する気になったのは間違いなくプラズマクラスターのおかげです。俺はシャープの回し者か。
また更新します。暇な人は、是非おつきあいを。
じゃーねー。
最近世界名作劇場を食事を作ったり体操をしたりしながら見ています。
特に体操をしながら見るのが非常に良いですね。ピラティスは比較的静かな体操ですので、しながら聞いていると、自然と頭の中に入ってくる感じがとても心地良いです。
ドイツ語で見ているのですが(ハイジもドイツ語で見ていた、という話を書いたのも覚えてらっしゃる方もいらっしゃるとは思うのですが)、数ある世界名作劇場のなかでも、この作品は一般向けに英語化されていない作品なんですよね。
原作は英語なのですが、どうやら向こうの人達が「これこそが正しい赤毛のアン」というアニメを作ってしまい、高畑さんの作品を一般市長向けに流すことを受け入れなかったようです。
理由は原作と照らし合わせると「あー、たぶん、お祈りのシーンとか教会でのシーンが大幅に省かれている当たりが気に入らなかったのかなあ」と思います。
ついこないだアメリカ版がDVDのみでリリースされたのですが、これがまたなんの理由か刺し止め喰らっています。
まあ、いくら何でも3年以内には英語版も日本の家庭に届く(とは言ってもアマゾンUSAを通してですが)はずなので、「身のある英語を勉強してみたい」「アンが成長していく過程で言葉がどういう風に変化していくのかを見てみたい」という人には最適な教材になるのではないでしょうか。
日本語版は、言葉の色がちょっと大人っぽくなるぐらいで、しかもダイアナの声が低い。
これがあり得ないんですよ。ダイアナ、ソプラノですから。
原作にもそう書いてあるとおもうのですが。
これがなんとも難点です。逆にアンは声がアルトのはずなんですよね。
なぜ逆になっているのかはよく分かりません。
どうして言い切れるかというと、オペラで言えば二人の性格は100パーセントそう割り振られるからなんですよね。モンゴメリーはクラシックの造詣が深いので、こういう所は素直に慣例に従ってしまっているはず。
物語のキーのシーンで違和感が出てくるはずなのですが、うまく言葉をごまかしているようですね。それだけ、声優にかけていたと言う事でしょうか(ちなみにアンの声、島本須美さんと山田栄子さんでしたっけ、二人の一騎打ちだったらしいですね。島本さんだったら、どうだったんだろう。それはそれでありだったかも知れない。ちょっと育ちが良すぎる感じがするかな。ちなみに「風の谷のナウシカ」のナウシカ、「めぞん一刻」の音無響子役の人です)
ちなみに、ぼくが見ているのはドイツ語版なのですが、これがまた「ここはプリンス・エドワードと言うよりは…」と思ったところで、ドイツの島って言うとFKKで有名な(FKKが何かを知りたければ検索してください。まあ、日本人は一般的に苦手なものです)島ぐらいしかなくて、ちっともプリンス・エドワードとにてもにつかない場所なので…
なぜそのような感想を持ってしまうかというと、「音楽が全部モーツァルトからロマン派初期」に徹底されているんですよ。
挿入されるエピソードの音楽会がほぼ全てドイツリートなのは仕方ないにしても、BGMまでそうなんですから(これは三善晃先生が作った日本版のBGMにも言えることかな。)なんだかカナダ、という感じが全くしません。
幸い、東海岸の寒い島の感じは、クリスマスにニュージャージーのニューヨーク対岸の街に連れて行かれた(アレは今思い出しても半ば連行であった)事があるので、何となくは知っているんですけどね。あれがなければイメージもずいぶん変わっていたかなあ…
ともかくも、カナダっぽい、というイメージは最後まであまり起こりませんでした。
そのことを除けば、ドイツ語版は白熱の演技ですね。元々英語で書かれたテキストですし(つまり日本語と比べれば言葉の並びは親戚のようなもの)、ハイジと違って元がドイツ語ではない(これが演技する人に凄い自由を与えるのは言うまでもない。ハイジの場合、どんなに間がなくても「ここでは原作はこういっていた」というのを全部忠実に再現しようとして、窮屈になっている場面が思い出しただけでも10以上ある)のがかえって良かったようで、ただ聞き流しているだけでも相当心地よい作品に仕上がっています。
どれだけ頑張っても一日4話が限界ですが。それ以上はそもそも見る気が起こらなくなります。だからなかなか赤毛のアンから抜け出せないのですが、いよいよ話も大詰めにさしかかっています。
話全部知ってるので急ぐ気持ちも起こらないのですが。
それにしても、昔のアニメの背景は凄いですよね。
セイヨウハコヤナギ、というかポプラの木がグリーンゲーブルズに続く道に幾度となく書かれていますが、あの木はとても印象に残りますね。カバノキもハンノキもプラムも…背景が心に残るって事は、やはりそれだけいい絵が描かれていて、当時はそうした油絵の背景にパステルで合わせていくという涙ぐましい努力をしていたのだなあ、だからこれだけ時間が経ってもこうやって見てて楽しいわけだと(手がかかっている事が分かるだけで見てて楽しいと思うようになった自分は、少し年をとったのだと思います)。
元々相当骨太な話ですから、話を多少ならずはしょっている日本語版と比べると、かなりずっしり来る感じがあります。
今日見たところはマシューが倒れたことをダイアナの叔母から知ったアンが家に飛び帰って来たところ、マリラとマシューが精一杯の演技でごまかす所なのですが、「本当に何事もなかったように振る舞っていて、それで居て不自然さがないのに、強がっているのが流れで見える」という理想的な演技になっており、何かと不自然になってしまっている日本語版より遙かに勝っているのがかなり悔しいですね…
マリラが「アンは私たちにとって神様からの贈り物なのだ」という言葉を吐くときの台詞の重みも、はっきり言ってドイツ語版の方が好きです。こうした言葉遣いを普段からしている人の空気がブワッと伝わってきます。元々の台詞はそもそも彼らがピューリタンであるにもかかわらず「ピューリタンとしてよりも、まず人間として」の言葉を吐く所に熱が伝わってくるようになっているため、やはりそうしたキリスト教の言葉を普段から耳にし口にしている人達がそれを口にする方が、そこにあるべき温度がきっちりと保たれるようです。
日本でいくらおいしいスコーンを食べても、イギリスで本場の家庭のスコーンを食べさせてもらったときの衝撃(一家庭毎の秘伝があるからねえ…)と比べたら、という話と違うと言えば違うし、同じと言えば同じかな。
日本人が作ったカナダの話のアニメを、ドイツの世界観を通して見る。
考えて見ると異様にややこしいことをやって居るなあ、と自分に感心して(?)います。ハイジはドイツの作品だったからそんなこと考える必要なかったんですけどね。違和感には必ず正体があります。
アニメ見たことがある人は知っての通り、ほとんど終わりですから、次は何を見ようかなあ、と。
といってもフランダースの犬と母を訪ねて3千里しかないんですけどね。日本語入ってませんが全52話で7000円ぐらいで買えます。
ちなみに日本語版は日本でしか買えず、2万とか平気でします。売る気ないんじゃないんですかね?
フランダースの犬は元々ベルギー語のはずだから、言葉はやっぱり親戚のドイツ語。英語よりは遙かにドイツ語に近い言語。
母を訪ねて3千里、実はまるっきり日本のオリジナル作品(クオーレ、という子ども向けのお話を元に作られていますが、ほぼ日本オリジナルですね。)なので、日本語の言葉を全部ドイツ語で喋ろうとしているせいか、速い速い。これが一番難しい作品のようだ。
と言う事で次に見るのはフランダースの犬かな。
余談ですが、ベルギー人は「俺たちはあんな酷いことは絶対にしない」と言ってますが、どうなんですかね。こないだの「カワシマ、フクシマ」のエピソードを聞くと、運が悪ければああいうことも起こったのではないかと思ってしまいますよ。
誰でも、残念な人になってしまう可能性は持っているものだ。大事なことは「自分はそうはならない」と言う事で、結局それしかできないんだろう。それだって結構なチャレンジだ。
ぼくも残念な自分に何度もなって来た。これからも何度となくなるだろう。
だからこそ、ならないように気を付けよう。
矛盾しているのだが、そう言うもんですよね。
ダメな自分を自覚しないと、なんにもならないよ。自覚してもどうにかなる訳じゃないですが。少なくとも、自分が何をするかは予測できるようになる。そこで選択している自覚が生まれれば、ほんの少しだけ間違いが減る。
それってどこか、歌と似ている。
歌いすぎる歌は、美しくない。そこに選べる言葉があるのなら、その言葉に耳を傾けたい。
そこに自分の音楽があるから。
人生は、まるで音楽のようだ。
そうあって欲しい。
なかなか難しいです、というかほとんどそうじゃ無いんですけどね。むしろ年々馬鹿になっているなあ、いや、ホント(笑)
歌手に対して「あんた歌うの本当に好きねえ」といっている人を見かけたら、その人は間違いなく辛辣な悪口として言っています。受け止め方は、あなた次第ですけどね。恥じることが出来るのならば、あなたは成長することもあるでしょうね。そう言うぼくも、なかなかどうして、言われたらたいてい怒りますけど。(だから成長しないと言っているのではないですよ。それが事実だとしても)
本当に、人間って奴は、矛盾している。それで良いんです。けどね。
解脱したらこの世のものでは無くなってしまいますし。ハハ。
赤毛のアンの教訓は、
「ときは帰らず、明日は二度と戻ってこない。その中において、記憶は唯一にして最大の贈り物である。故に運命が巡り合わせる出会いに感謝せよ」
と言ったところですね。子どもの頃時々再放送見ていたときには、そこまで深い話をしているとは思わなかったなあ…明らかに大人向けの重厚な作品だと思う。
最近見ててとくに思うが、世界名作劇場の本当の良さが分かるのは、三十路を超えてからではないか。
ちなみに放送されていた当時よりもむしろ、今の方が世相は近いと思います。訳あって親が育てられなくなった子どもを子どもがない人達が引き取る。
ん?なんだか、最近どっかで聞いたような…ああ、うさぎドロップか。日本に来るとこの手の話は源氏物語になっちまうんだなあ…
暇な人は是非、アニメも、小説も、出来れば英語の原作も、そして更に体力がある人はもうすぐ復活するはずの英語版赤毛のアンも。
特にアンが如何に素敵な詩人かは、ヨーロッパ言語でその詩が発音されたときに初めて感じられるものです。是非是非、原作の英語で読んであげてください。
彼女がただのくどいだけの詩人ではないことが分かるはずです。
乙女チックですが、同じ言葉を3度繰り返す幼い表現が、ときに人の心を打ちうると言う事が(英語で読んだ人は気がついていると思いますが、彼女の詩におけるこの癖は、物語の比較的最初の頃に馬車に乗ってリンゴの並木道を通る前に「ミスターカスバード!ミスターカスバード!ミスターカスバード!」と叫ぶところから始まっています。そう、ちゃんと詩にも伏線があるかわいい作品なんですよ。)、良く伝わってくると思います。韻もきちんと踏んでますから。
さて、俺は本当にプリンスエドワードに行くのか?まあそれはまたいつか…昔カナダにいたミヒャエルに話したら「日本人がみんな三つ編みで歩いていた」と言われて、うーん…よほど強烈だったんだろうなあ…
まあ、ホント、またいつか、と言う事で。お休みー。
えええ…ッて感じですよね。一個下の学年で、プロになってからずっとみてきた選手の一人ですから…とは言っても日本代表にいる間が主にそのプレーを観たときですが。
特に2002年のワールドカップのときは、中盤にあれだけいろんな選手が居たのに(中田も中村も稲本も小野も、あの時期が一番良い時代だったと思い出される)、チームの戦術上フィードの役を主に任されていて、右サイドディフェンダーからのロングボールフィードに背の低い日本人選手がブロックを作りながら頭で落とすという非常に効率の悪い戦術の中、なかなか精度の高いフィードをしながらも批判を受けていた(そもそも中盤で組み立てない監督が悪いのですが。出来ないと決めつけてたんでしょうね、今思えば。それはそれで功を奏したのですから不思議ですが。)のは結構記憶に残っています。
なんというか、受け入れづらい現実ですよね。ファンですらそうなのですから、現場でやっている人間のショックは計り知れない。
正直、こんな状況で代表の試合など出来るのだろうかとも思うけれど、むしろ今やらないでいつやるのか、と思わなくもない。
代表にでていた時期は決して長くない(ジーコとケンカしてしまったからなのですが、今思い出してみても、あのとき松田が入っていれば、あの大会はあそこまで酷い結果にはならなかったと思う)のですが、その存在感は日本代表に居た期間よりも遙かに強く感じます。
彼みたいなやんちゃ坊主の代表は、恐らく今後の日本サッカー代表には出てこないとも思うのですが、それを思うと、それはそれで寂しいことだな、と。言うこと聞かないで監督とケンカする奴が一人も居ないのも、ちょっと変な話だとも思うのです。
サッカー日本代表の過渡期にあって、我々の世代はちょうどその狭間にあったため、本当の意味でのエリート選手は一人も居ない世代でもあるのですが(そう言う意味で僕らの世代からすると宮市や宇佐美のような存在は眩しい。中村や中田は決してエリートではなく、努力の人である。)、その時代を象徴している選手の一人が、こんな形で失われてしまうのは、非常に残念としか言いようがない。
正直、ガックリですね。
高校野球の現場ですら普及しているAEDが、JFLとは言えプロのサッカーチームにおいてなかったという現実が、どうしても、ねえ…いかんせん10年前だったら同じ結果だったとは言え…
なかなかどうして、受け入れられないですねえ…
10日の試合、しっかりやって、それが弔いになるのかはよく分からないけれど、戦う姿勢を見せて欲しいですね。
早過ぎるよ、逝っちまうのが。本当に、言葉もない。