まあ、それもあるわな。でも、肩に手を置いただけでセクハラ扱いされたり、軽く頭を小突いただけで暴力教師扱いうけたりすることが今の学校では本気であるらしいね。そういう話を同級の人たちから聞くと、ニュースで聞くよりは迫力があるものと感じます。もちろん彼らもその後に「あーでも、あくまで聞いた話で直接面識がある人でそこまでの話は無い」とも言います。
それでもそれを口にしたくなるのはつまりいつ自分がそこに巻き込まれるかわからない、という恐怖心も考えないといけないんだろうね。で、これが気弱と関係あるかというと、うーん・・・あるような、ないような・・・
それとね、精神の病ってそもそもどこまでが病気でどこからが病気じゃないか、という線引きが難しいんです。
ふつうのひとじゃかんがえられないような怒鳴りあいをしていてもその後に平然としている人は二種類あると思う。片方は大変精神力が強い人だが、もう片方は「何もかも相手が悪いと決め込む人」。意外と後者が多いのだけれどこういう人は自分が絶対に間違っていることを認めない「精神病」にかかっており、自分が正常であると主張する。
ま、薬は無いからね。
昔から言うじゃない、ほら、「あの人につける薬は無いねえ」と。死ななきゃ治らない病気とも言います。
でもまあ、スケールの大きな先生(笹川さんが子供のころには必ずいたはずである。「今日は天気がいいから授業やめてみんなで外でお弁当を食べよう」とか平気で言う人が戦後20年ぐらいまではいたらしい。僕は遭遇したことが無いからあくまで伝説か小説でのネタぐらいにしか感じないが)は今の時代、いない。国会はとりあえず自分さえ保っていれば大丈夫な舞台だが、学校の教員は同僚からも生徒から生徒の親からも常にプレッシャーにさらされ続けている。
ここまで言うからには「国会議員には5年間教壇に立つ義務がある」という法律でも作ってみればどうだろう。
僕の予想では、9割9分以上適性が無いと思います。
学校の先生の9割9分におそらく国会議員の適性など無いように。
与えられた役割を演技すること。
その本質においては先生のほうが国会議員よりも遥かにディープな世界だよね。だって、「演技してはいけない」のだから。演技してはいけないものを演技するとはどういうことか。本当は、役者を含めてすべての職業に当てはまる禅問答なんだけど。
つまり、自分と一体化するまでに先生になりきらなくちゃいけないのだけれど、人を教えると言うことの本質って実は命がけであり、それを演技しきらない人が多くいたとしても、僕は責めることは出来ないなあ・・・だって、今の先生になる制度って、それほど高いハードルは先生になるまでに設定していないもの。
それを見落としての発言はやはり偉い人でもどうかと思うのです。
ここまで言うからには、日本全国毎年3万人の自殺者の問題も、強気になれば解決できるとお思いですか?
「がんばれ!」と言って解決しないから、今の日本の病の根が深いことを多くの人が理解し始めている。
そういう意味では、現代の世相についていっていない人だと言えるのでしょうね。
僕もイチローじゃないですが、「根性」論を振り回す人間は大嫌いです。