考えるまでもなく公の場で口にして良いものではない発言なんだけど、最近よく聞くよね。
前提として「人は人を罰することができない」というのが法治国家の原則。死刑にするかどうかは裁判所の決めることであって、たとえ被害者であったとしても、そのような憎悪にまみれた発言を口にすると、それが実現された後に自分の中に残る違和感と戦っていくのは難しくなると思うよ?
確かに人が誰かのことを「殺してやりたい!」とまでに憎むことはあることだ。
しかしそれを人に実行させてしまうと、そこには「殺人の連鎖」が起こる。これはあくまで事実に基づいた話であって、だから現代において決闘は禁じられている。(そうそう、昔マンガで良くあった「果たし状」とか、実は完全に「法律違反」なんだよね。それだけで禁固刑を食らいます。自分の少年時代、島本和彦とかでよく見ていたので、これには違和感を覚えます。)
ましてや「仇討ち」など、あれが江戸時代に認められていたのは関所を超えて他の藩に行ってしまった人間を原則としてその藩が捕まえることが許されていなかった(全国手配、とかなかったんです。江戸時代は完全に地方分権制だったのです。)時代のゆがみとしてあった法律であり、しかも藩から「仇討ちをすることの許し」を持っていない限りすることはできなかったようです。あと、仇討ちをする場合、そのされる側が「勘当」されることによってその親族から「仇討ちの仇討ちの権利の放棄」が確認されるまで行わない、と言うこともあったようだ。(何で僕がこんな話を知っているかというと、「無限の住人」というマンガ作品がひたすら仇討ちの話だったからです。15巻ぐらいからついて行けなくなったなあ・・・)
何が言いたいって、死刑にして欲しい、とか公の場で言うと後で自分につらいよ?と言うことだけだ。
言うな、とは言えないものなあ・・・
自分で裁くのがあまりに重いから、裁判所にやらせているんだから、「死刑が相当だと僕は思っています」ぐらいの言葉を周りが教えてあげるべきですね。
ちょっとした言葉の違い。
それでもそこに発せられる言葉における裁く主体が自分に傾いているか裁判所に傾いているかという違いは後々大きいと思います。
こういう点で「被害者の権利」というものを守れない被害者側の弁護士も、本当にどうかと思う。
想像力、もうちょっと、欲しいですね。