あの素晴らしい愛をもう一度、のひとですね。
割と普遍的な詩を書いているようなのに、一旦読み込み出すと人間関係が裏側に隠されているとしか思えない歌を多く書いている人、と言う印象があります。もっともちゃんと読んだのってこの曲と他数曲だけなんですけれど。
むしろ身近にある事の中に生まれた疑問を普遍化させて詩に昇華する能力が高い人だったんでしょうね。
人が死を選ぶ時の気持ちなんて、結局他人には全然分からない事なのですが、ああした詩が自然に書けなくなった、という事はやっぱりあったんでしょうか。
人間の能力ってバイオリズムみたいなものがあって、スランプに陥るともともと持っているものですら無くなったりするものなんですけどねえ(失ったあとにさらに取り戻すと「天才」という言葉をもてあそぶものは愚かだと思うようになる。イチローが天才、と言うのいい加減辞めると良いよ、話は全然関係ないけれど)…そしてそれは別に人として何もおかしいことではないのですが。
死など、この世に生を受けた誰もが平等に持つ病なのだから、そこには早まる理由はないはずなのにね。
こうやってつらつら色々書きたくなるのはやっぱり、良い詩を書けたんだからきっとまた書けただろうに、とか思ってしまうからなんだろうか。
自殺はいかんよ。なにがあってもしてはいけない。自殺するぐらいなら、出来るところまで人生の回答を引き延ばすべきだ。引き延ばした命の分だけ、他の人の中に残るものもある。
社会の中に生きる以上、自分一人だけの命ではない。(山にこもっても人に影響与えちゃう人も世の中にはたくさんいますけどね)
ただ生きているだけ、とか。生きてるだけで充分すごいのにね。
どうもこのことを忘れている人で世の中は結構溢れているよね。「意味のない人生」などこの世に一つもないのに。自分を卑下して他人を疎んで。あるがままで良いじゃないかと思うよ、ホント。
ホントは何も書く気がなかったのだが、ずっとこのことが頭に引っかかっていたので、「何が引っかかっていたのか」その正体を知るべく書いてしまいました。
しかしまた、それはそれ、これはこれ、と言う事で。
ご冥福をお祈りいたします。