意味分かんないですよ。子供の未来考えているんだったら将来研究できる機関を日本に残しておかないと、研究者としての選択肢は「隷属する」か「アメリカ人になる」しかなくなるんですけど。
今ですら「アメリカ人になる」という選択肢を多くの研究者がとっているのに、さらに増やすのか…
研究者は基本的に資金があるところに群がる。自分の実力に自信がある人間、自分がやりたいと思ったことを成し遂げようとする強い意志のある物は今後みんなアメリカ人になってでも研究を続けるに違いない。
教員増やすと言っても、クレームに対応できる人達が増えたところで残業時間が減るだけの話であり、根本的なところではなにも解決していない。
利根川さんも言っていたが、一位になりたいのではなく、一位を目指して漸く2位か3位になれるぐらいが現状であり、そこにさらに予算を減らすと言う要求は受け入れがたいのだ。ただでさえ全体的な学力が落ちているのに研究者まで失ってしまったら、この国を支えている物が「経済」という漠然とした物以外になにもなくなってしまう。(それでもその漠然とした物は確かに今やこの国を唯一支えている物になろうとしているのだけれど。一次産業がつぶれれば輸出する物がなくなり、その漠然とした物もあっさり崩壊する。物資が全く無いこの国において科学技術を捨てると言うことはつまりそう言うことだ)
5年後、10年後を全く見ていない選択肢だ。
学校が多少改善したところで、「勉強した先」が見えなくなってしまったら子供達の意欲もなくなるのではないか。サラリーマンとして都合の良い人間は増えるのかも知れないが、学校を卒業したからと言って就職に保証が全く無い現状において、それにどれほどの意味があるというのか。
子供達がまじめに勉強しないのは、勉強が出来ると就職が出来ないと言う現実を子供達が見て取っているからである。それよりも言うことを聞いて言われたとおりにやっていればよりおいしいところをもらえると本気で思っているのだ。(そしてそれは多くの場合往々にして間違っていない。残念ながら。)
全員がそうとは言わない。でもその傾向は以前からあったし、最近はそれがさらに広がっている。
国内に楽園を築きたいという願望。
気持ちは痛いほど分かるが、それを許してくれるほど世界の現状は甘くない。
学校の環境を整えて子供の選択肢を減らす事は、目の前だけを見ていれば悪くはない選択かもしれないが、そこには必ずすきま風が吹くだろう。
ママゴトをより心地よくやるために国の未来を捨てるというのはいったいどういう事だろう。(実際今の教育カリキュラムで工業系専門学校以外研究者としての頭脳を開発する場所などほとんど無い。だからさっさと良い大学に行かせてそこでたたき上げるしかない。飛び級すらない。本当に意味が分からない。)
政治をガラス張りのように見せた、お芝居。
芝居をやる人間は小説家と同じで基本的に嘘つきだ。
出来る限り良い意味でそうありたいと思う。だが、全ての芝居をやる人間がそうだとは思わないことだ。
悪い嘘とは何か?それは自分が嘘をついていないと信じ込んで言う嘘。
嘘をつくときには(出来ればつきたくない物だが、確かに世に良い嘘という物は存在する。認めないと社会は形成できない)、人は自分が嘘をついていることを知っていないといけない。
それを「知らない」時、その人はその嘘に確実に飲み込まれている。
最近、そう言う人が、多すぎる。もう、わざとと言うにはあまりにも白々しいぐらい。(自分は頭が良いと思っている人に限ってそうなのだから困ったもんだ)
もちろん本当に偉い人達は全員自分の言っている事の何が嘘で何が本当かぐらいは知っている。(正直上の方があのレベルだったらと思うと薄ら寒いが)ただ、コントロールできなくなっている人も多いのではないか。巧みに嘘をついてはいけない。出来ないと思ったら自分の思ったことをまっすぐしゃべった方が遙かに効果があることの方が多い。
みんな、政治家としてうますぎるのだと思う。むしろ、穏やかな顔ばかりしていないで、声を上げることが現状においてはもっとも必要なことではないのか。(あくまで民衆にとっての話ですよ。念のため。本人の場合ここで声を上げることが政治生命に関わるわけだから慎重なのはよく分かる。)
どうもね。野党が時代の流れについて行っていないと感じる。
今はどうやって自分がおいしいポジションに着地するかではなく(とは言っても戦時中ですらそればかり考えている人はたくさんいたわけですから、それを責めるのもいかがとは思うのだが)、いかにして全体でこの苦境を乗り越えるかを考えなくてはいけない状況なのだが…
池田晶子ではないが、自分で考えないと、ダメですね。
そう、自分自身にも言いたい。
科学者は、どいつもこいつもドン・キホーテだ。
僕はそんな彼らが大好きです。