都議会での発言で問題だったのは「早く結婚しろ」ではなく「産めないのか」の方だったんですよね。
昨日面白いなあ、と思ってみてたのがNHKの声紋検査。ほとんど聞こえてこない「結婚」の方にばかり焦点を当てて、肝腎の発言についてはスルー。
結果的に昨日の報道が話を長引かせることになっていますね。
無かった事にするのが一番まずい状況なのに、これだと発言された塩村議員の方も引くに引けないところまできてしまっている。
正直、その発言を謝れば何が起こるかというと、何も起こらないと思うんですよね。昨日の謝罪もほとんど意味があったと思わなかった。
結局、女性であれ男性であれ就職した人しか金銭的に子どもを育てることは出来ないのですから、問題は女性が妊娠した場合の仕事の権利を国が守る法律を整えていくのが少子化にとって一番近道だと思うんだよな。
ヨーロッパの育児休暇などの権利って、それらの問題を解消するのに最終的に一番簡単なのがそれだった、と言う結論であって、こうした「女性の仕事の権利」を守るために女性が女性議員を増やすことにより結果的に社会の形が変わっていったわけです。
しかし、塩村議員の経歴を見ると、そう言う面での訴えをするにはあまりにも弱いと言うのも事実かな・・・詳しいことはここでは書きません。彼女の人格がどう、と言う問題は根本的な問題を論じるには次元が違う話ですからね。
ただ、日本の女性が「仕事をしながら育児」という極めて可能な選択肢について、最初から諦めているのが不思議だなあ、と。いや、今の法政状態だと不可能ですけどね。それは政治でいくらでも変えられる部分なのになあ、と思わざるをえない。
何度も書くが、選挙の権利の半分は女性が持っている。
女性が社会で働いて稼ぐと言う権利を持っている以上、子育てに関しては「女性が仕事を辞めないでも続けられる為の法律」が成立しないと、少子化はどんどん進んでいく。
「産めないのか」と言う発言を誰がしたのかと言う低次元な問題もそれはそれで大事かも知れないが、テレビで已におおかた分っている少子化問題の抜本的解決法の一つである「育児休暇(1年)の法的整備」など、高度な政治の話を論議しないのは非常に残念なことですね。
一回訴えるだけじゃダメなんですよ。年がら年中言わないと。政治はそうでもしないと変わるものでは無いですね。
これまた先日書きましたが「女性は普段の生活には非常に現実的なのに、いざ議論となるとまず感情の問題から話し始める」事を塩村さんがあまりにもストレートにやっていて・・・そこが解決する為に社会を変えていく法律の話をする時間をなくしてしまうことが政治家として果たして老獪と言えるかというと・・・まだまだだなあ・・・
もちろん、「子育てしながらでも仕事を続けられる環境」を整えない限り、少子化はどんどん進んでいくんですけどね。
分りきっているのにこれを議論しないのは、何とも不思議ですねえ・・・変えなくちゃいけないところなんて明白なんですが・・・このままだと一夫多妻制を復活させるのが一番早いという話になりますし、実際そう言う事やっている人もいますけど(どこぞの歌舞伎の人とか、理研の人偉い人とか、よく見たら沢山いますよね。)、それならそれで夫人の権利とかが保障されないのは問題なわけで・・・
今の日本の問題は、唐の則天武后の時代のようですね。丸で殺し合いの話を議会でやっているようなものです。実際お互いの議員生命を奪うことに必至で、肝腎の問題の輪郭がぼやけているのですから。若いとかそう言う事で済まされることなのでしょうか。
しかし結局テレビで言っていることを総合すると、貧乏人は結婚するな、と言う事なんでしょうね。ある意味とても正しいと言えなくもないですな、ハハ。いやもう、酷い結論だけれど、解決作が見えていてそっちに踏み出す気はないと言っている以上、そう言う事なんでしょう。
ただし、法律を変えればある程度はどうにかなる民主主義と言う制度を使いこなせてないのが何とも悲しいですね。むろん、実はその法律を変えることが民主主義に於いてもっとも難しい事なのも事実なのですが。
つまり、今この問題を議論しないと言う事は、日本の官僚機構にとって四十年前のイタリアよろしく日本の少子化は確定事項で、今後は移民政策がその国策の主なものになるのは避けられないと言う事なんでしょうね。最近のNHKを見ていると、その傾向があらわですね。これも時代の流れなのでしょう。
こういうときは莊魯迅さんの「声に出して読む漢詩の名作50」を読んでみると良いですよ。同じアジアで力あるものだけが勝つ、と言う思想のもとに国民全体が動くと、放り出された人達がどの様な詩を紡ぎ出すか。
ああ、なんだ、もっともっと酷い時代はいくらでもあったんだ、と言う事を思い知らされますよ。今ぼくは三國志を読んでて、これまた本当に酷い時代ですからね。
曹操が編集した孫子などを読んでても、「ああ、農民は闘うか死ぬか、そこに追い込まれるように仕向けられた道具だったんだ」という悲哀を強く感じます。窮地に追い込んだら死にものぐるいで闘うと言う論法、多くのブラック企業とされるところが取っている戦法ですよね。彼らも孫子の一部分読んで、そこが正しいとそればかりに頼るから、最初の章にある「道とは上の人と下の人の思いを同じくさせるものであり、それがあるからこそ人は道のために死ぬことが出来、また生きる事が出来、それを疑う事がない」というもっとも大事な言葉を忘れる(もしくは知らない)わけです。
しかし同じ曹操が五言絶句を詩の定型として奨励したのも事実であり、その結果として諸葛亮を慕う杜甫がその定型詩の中で素晴らしい詩を澤山残していると言う事実もまた壮大な歴史の流れの一つであり、かつ同じように定型詩で素晴らしい詩を残した李白がいたからこそゲーテなどロマン派の詩人達ががアジアの思想に深く触れ、そこから生まれたドイツリートを日本人が共感する(根底には明らかにアジア的思想がそこにあることに無意識が反応している)というのもいやはや・・・
間を抜くと「曹操がいなければ日本人がドイツリートを素晴らしいと思うこともなかったかも知れない」という、まあ何とも北京の蝶々がアリゾナで竜巻を起こすみたいな話ですが、それもまた史実なのですよねえ・・・
ロマンチシズムはオリエンタリズムと共通する部分が凄く多いので、ドイツリートが好きだった人は是非先ほど勧めた本を読んでみると良いと思います。イメージがあまりに似ていて驚くものが幾つもあると思いますよ。
もっと全体を見る気宇って欲しいですよね。少子化と貧窮の問題だって中国の詩に触れると世界の空気と混じり合い、もっと雄大な部分が見えて来ますよ。
今の中国がどうか知りませんが、彼らの歴史が紡いできたものは、やはり侮れない。
素晴らしいものがたくさんありますね。心がぎすぎすするときほど、感覚を潤しましょう。