一億人を代表とか若者を代表とか。
一種の超人的妄想って奴ですかね。
どっちの主義主張が正しいとか置いといて、「一個人として」発言できないんですかね。そして一部マスコミがそれを何かの代表に仕立て上げているのは、報道の姿勢として正しいんですかね。
面白いからやっているようにしか見えないのですが。
もちろん、しゃべっている人も明日には引き摺り下ろされるという感触があるからこそ、言葉が軽くなるわけですが。
こうした「公の場」で声明を出すということは、「世界との対話」なわけですが、これはもっとも高次元にしてうかつにしてはいけないものであり、その前に「他者との対話」何よりも「自己との対話」が十分に行われないままにやってはいけないことだと思います。
他者との対話が十分になされたとは言いがたいと主張されていますが、そもそもその他者との対話に就く前の自己との対話に矛盾が生じていることを誰もが知っている、この状況はある意味異常だと思います。
前に自分が言ったことと正反対のことを公の場でしゃべるということは、自己との対話をすでに放棄しているということであり、自己との対話を放棄している人が世界との対話を行おうとすれば、それは確実に自己否定につながります。
つまり、いま岡田さんがやっていることは社会的に自殺行為なわけです。
分かっててやっているんでしょうか・・・?
以上、現代社会の「教育用語」に沿って、現状の異常さを説明してみました。
やっぱりね、以前しゃべっていたことと今しゃべっていることが正反対のばあい、政治家においてはその発言に対して説明責任を負うのですよ。
学生だから「キレれば許される」と思っている子は、実際に大学生にも多いですが、それは単にセルフコントロールができないだけであり、むしろセルフコントロールができない人間を、同年代のほかの学生が自分たちの代表として認めているというこの幻想をマスコミがもたらしている(つまり奥田くんをおもちゃにしているのはそれを扱っている周りの人間)この状況は、本当に異常だと思います。
5年前はそれで人がついていったのですが、今回は就いて行かないですよ。一回政権任せて、「こりゃダメだ」という話になったのに、「こりゃダメだ」の烙印を押された人達がそのまま偉い人たちとして働いているわけですから。
会社ならそれでいいと思うんですけどね。むしろそうあるべきだと思います。でも、政治の場合は「三つ子の魂」がすごく重要視されるので。
ここが日本における政治の特異性を端的にあらわしているといっていいかもしれません。
つまり「何を勉強してきたか」よりも「どちらに就くか」(譜代か外様か)ということのほうがよほど重要なわけです。
うん、いろいろ教えている、もしくは教えようとしている人間としてはこの状況はすごく残念なのですが、これは日本における大前提なので、無視してしゃべろうとする人が多い今、ここを無視したらいろいろたいへんなことになるよ、ということは言っておかないといけない。
要するに「取る立場」は日本社会においてはすごく重要なわけで、それは働いている人間すべてが当然のこととして受け入れているわけですが、あまりにも空気のようにそれが受け入れられているからこそ、その矛盾に気がついたときの反応が過激である、ということですね。
この矛盾を目の前にしたとき、取れる行動はすごく限られるわけです。
例のあれですね。
1.相手に変わってもらう
2.自分が変わる
3.逃げる
3は当然の選択肢(最近はこれを取れる人が増えてきましたね。それ自体は自然な流れだと思います)なのですが、これをやり続けているわけにも行かないときがいつか来ます。3をやりつつ、2をやるのが正しい(1は暴力などを使われたときに起こることがあるが、いずれにせよろくな結果を残さない。今の国会を見ているとそのままではある)のですが、2に対する「どうせ自分は何をやっても」という空気感が現代においてはすごいわけです。
で、ここであきらめて1を暴力によって解決することを肯定する人は必ず現れるのですが、これが今後世界の傾向になるのでしょうか。
「代表」という言葉がこれほど「言葉の暴力」として顕在化した時代はヒトラー以来とも言えます。(別に岡田さんや奥田君がヒトラーの真似事をしているとは言わない。無自覚だから。そういう意味でまったく次元が違う。ヒトラーの恐ろしかったところは、そこに明らかな自覚があったところだから。)
われわれが言えることはこの「代表」という言葉をマユツバものであることを自覚しつつ、覚めた目で見ることなんでしょうね。
これはこの言葉が政権側によって使われたとき、より警戒される言葉ではあります。(安倍さんもよく使いますよね)
よほどのことがない限り、使っちゃダメですよ。代表なんて言葉。今の時代、それはシリアのように、100万人の命を1年で刈り取る破滅にすぐにつながる、危険な言葉ですね。
何より「一個人として」しゃべるのが民主主義です。その言葉は誰かに支えられるものではなく、その言葉に共感し、動かされるからこそ民主主義は成立するのです。
マスコミは、全体主義と民主主義の区別がついていない人が最近いささか多すぎると感じます。
岡田さんも、奥田君も、安倍さんも、彼らが「代表」という言葉を使うとき、そこには「全体主義」の匂いがします。
良くない傾向ですね。日本語に直すとそれは「ファシズム」です。
民主主義はあくまですべての人間が「一個人として」発言し、それに共感することを許すシステムです。誰かの言葉がほかの人を代表するのは、ファシズムですよ。
大学生はともかく、60超えた政治家がその辺意識的に区別できないのは、勉強不足だと思います。オバマさんとか見てたら分かると思うんですけどねえ・・・