ありゃー・・・
ごめん、題を書いておいてなにから書いたらいいのかわからない。
ただ、今彼のホームページを読んで一番印象に残ったのは「子供のころのボールに対する瑞々しい感触」が無くなった、と言う意味の文章。
これ、辛いよね。でも、あの状況ではどうしようもないよね。
ここらへんが割り切れていないあたり、彼が日本「プロ」サッカーの草分けの一人であったことをよく示しているのではないだろうか。少なくとも彼がやってきたサッカーのフィールドは、初めてサッカーの喜びを味わったフィールドとまったく異次元のものだったようだ。
改めて思うに、これが彼のサッカーが不思議な感動、しかもプロサッカーとは全く関係ないと思われるところから来ている感動を与えてくれた原因だったのだ。
当たり前か。目の前にプロリーグも無かった時代に「サッカーがうまい」だけから始まったことが、ここまで大きく変化して、外国を飛び回るようになって。
その間に後輩たちは技術だけなら世界に全く劣らないものになってしまって。
自分だけがどこかに取り残されたような気持ちになったのだろう。
ただ、サッカーは決して技術だけでは勝てない。特に国際試合で一番大事なのはここ一番のハートである。
・・・難しいよね。一人一人にそうした心を植え込むのは。
それでも今回の代表にライオンは彼以外に3匹ほどいた。しかもそのライオンたちはJリーグの選手たちだった。サントス、加地、川口。
もうちょっと頑張って欲しかったね。でも、ここらへんで退くのが一番きれいだろう。
2000年にイタリアはミラノに住み始めて街でよく「ナカタ!」と声をかけられて、今考えるとそのことは結構誇りに思っていました。
お疲れ様でした。