この作家は言葉に囚われているなあ、と思った。文学者にありがちな言葉に対するフェティシズムが昂じたひとつの例。
それ以上の意見は何も浮かばなかったが、ほかの人のブログを見て、反応する人は反応するのだなあ、と。で、考え直してみました。
それで思い出したのが、例の小学生殺人事件の酒鬼薔薇(ん?あってます?)も猫を殺していたよなあ、ということ。だから彼女が小学生を殺すわけではないのだけれど、結局のところそこに殺意が生まれている事実は見逃せない。
本当に彼女がしなくてはいけないのは、自分が子猫を殺してどのようなことを感じて考えたか感想文を書くことよりも、とりあえず、意味もなく命を奪うことを悔いることではなかろうか。
あ、これで思い出したのが女子高生が母親に毒物を盛って実験していた話。彼女も感想文書いてましたよね、日記形式で。
・・・こうやって書くと、事実は本当に小説より奇なり、ですよね。