目が点。
どこまで本当なのでしょう?これが本当だとしたらこの手の裁判としては損害賠償請求の額が低すぎますし、市が「請求棄却を求める」と全く同じ様な温度で応じているのも気になります。以前なら「慎重に事態を見て検討する」ぐらいの言葉で収めていたと思うのですが。
まるでアメリカの刑事裁判でも見ているような気分ですね。この際アメリカと感じるのは、とりあえず日本ではない、という異物感でしょう。
これね。この問題の先生がこの生徒と家族に対して謝罪していればこんなことにはならなかったのだと思う。
この先生の指導のやり方はイラクのフセイン元大統領と似ている。スケープゴートを作って仲間の結束を高める。3000年以上前からある指導の方法で、とりあえず「山羊」に指名された人以外は楽に集団の中に居られるので、「山羊」がどんな目にあっても目をつぶるようになっちゃうんだよね。
ありえることとしてこの教員自身が「山羊」になった経験がある?いずれにせよこの人は「学校」という場所から一歩も外に出たことが無いのだろう。「はじき出される恐怖」と戦っているのが伝わってくる。
市を相手取って裁判を起こすのは、確かに的確であるけれど(この手の問題に対するマニュアルを市に作らせる必要性は確かにあるので)、実際の現場を見ないと、やはり何がどうなっているのかさっぱり分かりませんね。印象に残る言葉だけが一人歩きしている感が強いです。
黒い羊て。17世紀のイギリス王室お抱えの詩人かっつーの。かっこつけたいのは分かるんだけどさ。高校生には通用するんだろうけどね。
陳腐だ。果てしなく、陳腐だ。