つーか、負けちゃいましたね、例の新聞記者さん。長崎市長選、一人で勝手に決まったもんだと思っていたのだけれど、忙しくしている間に終わってて、結果見たら僅差で負けてておまけの台詞。
気の毒だとは思うけれど、正直、ねえ。本音だとは思うのだけれど。
代わりがいる、とは言えそれが息子である必然性もないんだよね。市長は世襲制ではない、か。そんなことが論点になったのは、悲しいね。時間が無かった。
もっとも、立候補したときに何か印象がよくないなあ、と思っていたのが「ニヤニヤしていた」という言葉を見て「うまいこと言うなあ」と思ったのはぼくだけか。口元が気になった、と言うのは事実ですが、そうか、あれをみて「ニヤニヤ」と言うのか。うまい形容だ。
本当に問われるべきなのは、選挙運動をする上での候補者の身の安全の確保の方法なのだけれど、日本の選挙戦は人の中でパフォーマンスやってナンボなので、この点は改善しないのでしょうか?誰も論議していないしね。
いずれにせよ、死んだ人間は置き去りにされ、選挙で旦那が勝った負けたで娘が卒倒する。どうも虚しさが漂って、やりきれない。長崎市民はもっとそう思っているだろうね。
新しく市長になった市課長さんは、頑張ってほしいですね。
それが多分、唯一の弔い。