宮沢喜一元首相の死に対しブッシュ元大統領が哀悼の意を深く表した、という話を聞いて、ああ、ブッシュパパも自分の人生の終焉に思いをはせるなか彼を友人として深く認めていたことはなんと美しいことだろう、と思いました。
息子も彼のように枯れるときが来るのだろうか。ブッシュパパが大統領のとき、ぼくは高校生だった。あの頃の彼の取った行動には人間としての愚かさを感じはしたが、その人間性自体は素晴らしかったと記憶している。彼は反省する、と言うことも知っていた。それは恥を知る、ということに繋がっており、近年のアメリカ人には無い美しさがそこにあった。
息子は遠く及ばない。
宮沢喜一さんは、深い意味でアメリカと対等に話した数少ない首相であったと、今更ながら認識させられました。素晴らしい人であるほどに、亡くなられたあとにその価値が分かる、という良い例だと思います。
遅ればせながら、ご冥福をお祈りいたします。