最近つくづく思う。携帯メールから解放されたい。一日のうち確実に30分は取られていて、なんら生産的でない。
もっとも、パソコンのメールでやり取りすることがほとんどない今、病気で携帯に出る気力が無いと,後でものすごく怒られたりして「そうは言ってもあなたは私に直接それを伝えていないでしょう」とか、大学の掲示板を見ないのと同じレベルでダメなことなんだよね。
あ、大学の掲示板。エリザベトに2年通って思ったのは、院生の掲示板も地上階の外、中庭に置かなきゃいけないと思う。院生だからと言って五階に毎回行くわけではない。あのシステムは非合理的でナンセンスだったと振り返ってみて思います。
どんなぼくがアホでも芸大の掲示板を決して見落とさなかったのは1階の通路にあったからです。エリザベトは学生の掲示板も奥まっている。構造上の欠陥か。しょうがないのかもしれない。
エントランスの見栄えを良くしたために機能が落ちてしまったんだねえ・・・本末転倒なのだが今まであのシステムでやってきて、見落とした人に学務が連絡すると言うあの非常に手間がかかるシステムを改善できないのは残念ですね。
だからどうして欲しい、とも思わないのが僕のまずい点かもしれない。
話が大いにメールから逸れてしまった。
つまり、メールが出来て世の中は便利になったかも知れないが、結局その空いた時間を無駄にむさぼっているだけなのかもしれない。
「星の王子様」の「喉が渇かなくなる薬」の話を思い出しますね。
パウエル問題じゃないですけれど、人と人の契約は、やっぱり同じテーブルに付いてやらないと、先に続くものが無いですね。
多分それが、メールのまずい点なんでしょう。あ、パウエルの場合ファックスですが。
昔膝を突き合わせてやっていたことは、メールで全部処理できてしまう。同じ空気を吸わなかった代償は、親しくなる機会の損失。
そうか、人間関係が希薄になったのはソフトバンクのせいなのか。
・・・理詰めで考えるとろくな結論に至らない良い例ですね。
書を捨てよならぬ、ケータイを捨てよ、街に出よう。
それでも思う。今時の大学生は僕らの世代よりもケータイの怖さを知っていた。それがこの2年の感想だ。
僕らの世代はケータイなどの端末で人間関係をかなり壊されたが、そもそもケータイがあると言う条件から始まった今の20代の方が30代よりも引きこもりがはるかに少ないのにはわけがある。
ジャスト僕らの世代が一番引きこもりが多いと言う事実は、別に数字で出さなくてもぼくは実感してましたよ。
人は自分自身が本当に思っていることを実はあまり知らないし、知らないで良い事もたくさんある。
メールってかつて、そうしたものを引き出していたような幻想がある。少なくとも、僕らの世代に限っては、この言い訳は多少は許される。それは自信持っていえる。
だからぼくはメールが嫌いなのかもしれない。
・・・嘘です。ただ面倒なだけです。
これだけ書いて結論はこれかい。
文面など、表層に過ぎない。それにこれだけこだわる今の社会は、実は人間を甘く見ていると思う。
何を持って品格とするか。そんなのはよく分からない。本当に必要だとも思わない。
少なくとも僕自身が本当に「使える猿」になるには、あと10年は必要な気がする。
それになりたいのかも、分からずに。
でも、やっぱり、メールは打たなきゃね。