高橋健の日記
2015-09-17T00:47:27+09:00
kenkentype0
日記です
Excite Blog
通せんぼしている女性を男性が触ったら、セクハラか
http://kentype0.exblog.jp/24476748/
2015-09-17T00:47:34+09:00
2015-09-17T00:47:27+09:00
2015-09-17T00:47:27+09:00
kenkentype0
ツレヅレ
うーむ、これ以上書くことがない。ああ、でもたとえば、電車に乗ってて、降りるときに入り口のところに女性が複数立ってて、「すいません」といっても退かなかった場合、僕は押して降りますけどね。今までそんなこと、一回しかなかったが、セクハラなわけもない。
むしろ「本当にそれで訴えてみろ、恥さらしだ!」といえるだけの議員がいないことのほうが問題ですね。そう、訴えさせればよいのですよ。歴史に残りますよ。国会で通せんぼして押しのけられたからと言ってセクハラで訴えた議員。今後二度と出てこないから。そもそもそれを許したら前例ができるわけで。
そう考えるとみんな疲れきっているんだろうね。当たり前か。この1週間ほど、まじめな人だったらほとんど寝てないはずだし。
しかし、できる時間はあったのに議論しないで、自分から議論しないほうに持って言ったのに議論し尽くされてないとか、いろいろわけが分からない展開でしたが、どうなるんですかね?
PTAに出てこなかったのに、勝手に決められたとイチャモン(最近はモンスターペアレンツって言わないようになりました。この言葉が教師のやる気を著しくそぐからだそうです。よい発明だと思います)つけてくる人はいつの時代でもいますけれど、やっていることは同じなんですよねえ・・・
たしかに、結論ありきで話が進んでいるのは事実であり、そこが数の暴力だ、という話も分からなくもないのですが、議会制民主主義の制度そのものを否定してかかる発言でもあるわけで・・・
無論、一つ前のテキストで書いたように、本当の民主主義は不特定多数の代表として自分の意見を言うのではなく「自分の意見を一個人としてしゃべり、それに共感してもらうことで支持者の賛成を得ている」のですが。そもそも投票している僕らも、何がいいのか良く分からない現状において(どうひっくり返して読んでも、自衛隊が戦争を仕掛けられる法案ではないんですよねえ・・・本当に同じものを読んでいるのかすらよく分からなくなってきた)、これはまさに羊狂(ええい、ただしい漢字変換がないわ)と呼ぶにふさわしいですね。
法案と追った後、結局何がどう変わったのか良く分からない、そんな感じになるんじゃないのかな。ぶっちゃけ、現場で働いている人が銃持った人間に囲まれたときに、武器を抜いて応戦できるようにする法案でしかないので。
近代戦ってファーストストライクがほぼすべてを決めるから、囲まれてまったく対処にしてはいけないって、死ねって言っているのと同じなんですよね。
たぶん、ここが一番国民に伝わってないところなんじゃないのかな?
結局、自衛隊が何なのか、近代戦が何なのか、目の前にあるのに無視し続けて生きてきた僕らが、それを論じるほどの知識がないのも仕方がないわけで。
個人的には白旗なのですよ。数式を一顧も知らないで数学解けといわれているようなものですからね。
で、僕は一般市民としてはこの姿勢で正しいと思っている。たぶん、中国の軍隊の現状とか日本国民全員が知ってしまったら、「戦うか降伏か」という議論になってしまうと思うんですよ。今デモしている人の多くが、そういう話をし始めるとも思うのです。でなければここまで過敏な反応をしないと思うんだ。
そんな話、一般市民がしても無駄ですよ。僕らはいつもどおり日常をこなすのが正しい。
逆に言うとデモをしている人達がどうしてこれほど支持されないかというと、「いつもどおりの日常」をこなし手いる人が、いないんじゃないかな?
たとえばあのデモのリーダーをしている大学生、一切勉強してないよね?ダメだろ、それじゃ。大学生は勉強しないといけません。自分の本分を果たしてないじゃない。
最近、「外でのフィールドワークを大学の単位として認める」動きが大きいですが、さすがにあまりにこれは系統的なものと外れすぎていると思うんですよね。経験したものの中から系統的なものを抽出できればいいとは思うのですが、いかんせん彼が乗っているのはマスコミの錬金術の一環であり、かけるレポートがあるとすればデモを動かしてそれが他の媒体とかかわったとき、どのような資金の流れが生まれるか・・・ん?これは結構立派な論文になりうるな。ただ彼がそれを書ききる能力があるのかは、どうも話を見てても分からないな・・・
別に冷めた目で見ているわけじゃない。ただ、毎日自分のなかでやるべきことを見つけて、それをこなしてほしい。
こんな採決が終わったらすぐ解散となるようなことに明け暮れても、日常は成立しない。あ、別にデモをやり続けろって言っているんじゃないですよ?それが生きがいになっている人も当然いるとは思うのですが。
キケロも言っている。
エクセサイズだけが精神を支え、活力を保持する。(マーク・コヴァックス著「ダイナミック・ストレッチング」より引用)
今回の通せんぼの事件でも思ったが、国会議員の方々も体をそれなりに鍛えるべきでしょう。別に向き向きになれといっているのではありません。ただ、精神が支えられていない、そんな感じがお互い見受けられるのが、どうにも気になる。
体を鍛えていれば、人のことをバカアホとののしることなんか先ずなくなりますよ。大事なのはそこじゃない、と体がいうようになりますから。
その精神は、その肉体に支えられているか。
健やかな身体に健やかな魂があるように願われるべきである(ユヴェナリス)
別に彼のようにヘラクレスのようになれとは言わない。ただ、その精神を支えているのは、間違いなく適度な運動をこなした体である。
・・・ここまで書いといてなんだけど、こんな不眠国会でそんなこともとめても、無駄よね。
正直、今回の国会で言うと派遣法改正のほうが一般市民、特に大学生の就活によほど変化を与えると思います。そっちには誰も文句言わないんだよね。その時点で、この官製デモ(とはいっても野党ですが)はダメだなあ、と思いました。
さて、どうなるんですかね。どちらに転んでも日本人は順応していくんでしょうね。
それだけは想像がつきます。]]>
軽いね、「代表」という言葉
http://kentype0.exblog.jp/24474762/
2015-09-16T14:02:43+09:00
2015-09-16T14:02:38+09:00
2015-09-16T14:02:38+09:00
kenkentype0
ツレヅレ
一種の超人的妄想って奴ですかね。
どっちの主義主張が正しいとか置いといて、「一個人として」発言できないんですかね。そして一部マスコミがそれを何かの代表に仕立て上げているのは、報道の姿勢として正しいんですかね。
面白いからやっているようにしか見えないのですが。
もちろん、しゃべっている人も明日には引き摺り下ろされるという感触があるからこそ、言葉が軽くなるわけですが。
こうした「公の場」で声明を出すということは、「世界との対話」なわけですが、これはもっとも高次元にしてうかつにしてはいけないものであり、その前に「他者との対話」何よりも「自己との対話」が十分に行われないままにやってはいけないことだと思います。
他者との対話が十分になされたとは言いがたいと主張されていますが、そもそもその他者との対話に就く前の自己との対話に矛盾が生じていることを誰もが知っている、この状況はある意味異常だと思います。
前に自分が言ったことと正反対のことを公の場でしゃべるということは、自己との対話をすでに放棄しているということであり、自己との対話を放棄している人が世界との対話を行おうとすれば、それは確実に自己否定につながります。
つまり、いま岡田さんがやっていることは社会的に自殺行為なわけです。
分かっててやっているんでしょうか・・・?
以上、現代社会の「教育用語」に沿って、現状の異常さを説明してみました。
やっぱりね、以前しゃべっていたことと今しゃべっていることが正反対のばあい、政治家においてはその発言に対して説明責任を負うのですよ。
学生だから「キレれば許される」と思っている子は、実際に大学生にも多いですが、それは単にセルフコントロールができないだけであり、むしろセルフコントロールができない人間を、同年代のほかの学生が自分たちの代表として認めているというこの幻想をマスコミがもたらしている(つまり奥田くんをおもちゃにしているのはそれを扱っている周りの人間)この状況は、本当に異常だと思います。
5年前はそれで人がついていったのですが、今回は就いて行かないですよ。一回政権任せて、「こりゃダメだ」という話になったのに、「こりゃダメだ」の烙印を押された人達がそのまま偉い人たちとして働いているわけですから。
会社ならそれでいいと思うんですけどね。むしろそうあるべきだと思います。でも、政治の場合は「三つ子の魂」がすごく重要視されるので。
ここが日本における政治の特異性を端的にあらわしているといっていいかもしれません。
つまり「何を勉強してきたか」よりも「どちらに就くか」(譜代か外様か)ということのほうがよほど重要なわけです。
うん、いろいろ教えている、もしくは教えようとしている人間としてはこの状況はすごく残念なのですが、これは日本における大前提なので、無視してしゃべろうとする人が多い今、ここを無視したらいろいろたいへんなことになるよ、ということは言っておかないといけない。
要するに「取る立場」は日本社会においてはすごく重要なわけで、それは働いている人間すべてが当然のこととして受け入れているわけですが、あまりにも空気のようにそれが受け入れられているからこそ、その矛盾に気がついたときの反応が過激である、ということですね。
この矛盾を目の前にしたとき、取れる行動はすごく限られるわけです。
例のあれですね。
1.相手に変わってもらう
2.自分が変わる
3.逃げる
3は当然の選択肢(最近はこれを取れる人が増えてきましたね。それ自体は自然な流れだと思います)なのですが、これをやり続けているわけにも行かないときがいつか来ます。3をやりつつ、2をやるのが正しい(1は暴力などを使われたときに起こることがあるが、いずれにせよろくな結果を残さない。今の国会を見ているとそのままではある)のですが、2に対する「どうせ自分は何をやっても」という空気感が現代においてはすごいわけです。
で、ここであきらめて1を暴力によって解決することを肯定する人は必ず現れるのですが、これが今後世界の傾向になるのでしょうか。
「代表」という言葉がこれほど「言葉の暴力」として顕在化した時代はヒトラー以来とも言えます。(別に岡田さんや奥田君がヒトラーの真似事をしているとは言わない。無自覚だから。そういう意味でまったく次元が違う。ヒトラーの恐ろしかったところは、そこに明らかな自覚があったところだから。)
われわれが言えることはこの「代表」という言葉をマユツバものであることを自覚しつつ、覚めた目で見ることなんでしょうね。
これはこの言葉が政権側によって使われたとき、より警戒される言葉ではあります。(安倍さんもよく使いますよね)
よほどのことがない限り、使っちゃダメですよ。代表なんて言葉。今の時代、それはシリアのように、100万人の命を1年で刈り取る破滅にすぐにつながる、危険な言葉ですね。
何より「一個人として」しゃべるのが民主主義です。その言葉は誰かに支えられるものではなく、その言葉に共感し、動かされるからこそ民主主義は成立するのです。
マスコミは、全体主義と民主主義の区別がついていない人が最近いささか多すぎると感じます。
岡田さんも、奥田君も、安倍さんも、彼らが「代表」という言葉を使うとき、そこには「全体主義」の匂いがします。
良くない傾向ですね。日本語に直すとそれは「ファシズム」です。
民主主義はあくまですべての人間が「一個人として」発言し、それに共感することを許すシステムです。誰かの言葉がほかの人を代表するのは、ファシズムですよ。
大学生はともかく、60超えた政治家がその辺意識的に区別できないのは、勉強不足だと思います。オバマさんとか見てたら分かると思うんですけどねえ・・・]]>
なぜ水泳は世界で通用して陸上は通用してないのか
http://kentype0.exblog.jp/24461270/
2015-09-12T14:01:01+09:00
2015-09-12T14:01:02+09:00
2015-09-12T14:01:02+09:00
kenkentype0
スポーツ
陸上は謎に包まれていますね。トレーニング方法を公開している人がほとんどいないのですが、先ずこのクローズドな状態が競争を削いでいるのは間違いないですね。
水泳に関してはジュニアレベルでやっていて、陸上に関してはおそらくまったく普及していないキーワードとしては、「ダイナミック・ストレッチ」があります。
これ、んー、たぶん僕の記憶が間違ってなければ2006年くらいからアルビレックス新潟は取り入れ始めていたんじゃないかな?根拠は無いのだけれど、新潟はそれくらいの年から4,5年、本当に強かったのですが、最近はほかのチームも取り入れたのかそれほど差を感じなくなりました。いや、そりゃだって、そこのコーチがやっているトレーニングを2011年に公開しちゃったので、それが広まったんでしょうね。
その人が「ダイナミック・ストレッチング」というマーク・コヴァックス(アメリカ籍になったからこんな名前になったのであって、どう見ても「コヴァッチ」、旧ユーゴスラビア系の人ですね)の本を訳されたのを一通り読んで、三日ほどやってみました!(たった三日ww)
結論。これ、中学生の時に会いたかった本だった。
いまや自分の健康を整えることにしか興味が向かないのですが、この本の「テニス」のルーチンを3日ほどやってみて、いやー、3日とも、やった後に驚くほど体が動くようになるんですね。
で、このストレッチを水泳の強化では子供の頃からやっている・・・なるほど、そりゃ世界に通用する選手が出てくるわけだ。
陸上に関しては、調べたところ最高レベルのアスリートでも試合前のストレッチがスタティック(静的)ストレッチなんですよね。いや、あれを試合後にやっているのだとすれば、じゃあ試合前はただ走ってウォームアップしているのかもしれない。
そりゃ勝てないよね。
静的ストレッチはやった直後から1時間は、体のバネが30パーセントも落ちるらしいですが、どうやらそんな危険なストレッチを陸上のハイレベルな人達ですら普通にやっているみたいなんだよな。
アメリカに行ったときに急激に記録が伸びて、日本に戻ったら元に戻ったという話しをよく目にするのですが、それってつまり、選手のほうが渡されたメニューをただこなしているだけなのでは?
水泳の場合、どうやら正解に近いところをやっているから世界で通用しているのに対して、陸上は間違ったことをやり続けているからまったく勝負になっていないのではないか。
だって、男子の5000メートルとか見てて、おかしいと思いません?アフリカ勢の誰一人に対しても日本人が勝てないって、いくら種族の優劣があったにしても、これはもう明らかにおかしいことをやってないとここまで悲惨なことになるわけないと思うのです。
それが証拠に水泳ではそんなこと起こってないじゃないですか。
マラソンの川内さんが、かたくなに陸連の練習に入るのを拒むのは、「間違ったことをやらせている」という確信が彼のなかにあるからではないのか。
まあ、完全な門外漢だから、こういう大胆な推測を出してしまうんですけどね。
一度、ジュニアのハイレベルな人たちにダイナミックストレッチをやらせたら面白いと思うのですが。水泳と同じことが起こるのでは、と素人考えでは思う次第です。
同じように筋肉つかって速さを競っているものなのに、水泳で勝てて陸上で勝てないわけが無いと思うんですよね。だって、水泳の人達がその分野で特別な才能を持った人達が選ばれてやっているように、陸上もそのはずなのですから。
たまに、では無く毎回、マラソンの選考で、勝ったにもかかわらず選ばれていない人がいますが、ひょっとしてその人達って「陸連が指導する練習法に従わないで勝ったから除外された」のではないでしょうか?こないだだと、横浜国際で勝った人が選ばれなかったのは記憶に新しいですが。
ここまでの推測が当たっているとすれば、「水泳の才能に恵まれていた人たちはラッキー」としか言いようが無いですね。一番速い人達が単純に選ばれているのですから。順位は大事ですよ。
何が言いたかったって、こないだの世界陸上は見るに耐えなかったですね。あれだったら出なくても同じ、という感じでした。競歩の人達以外、行く必要も無かったと思います。400メートルリレーとか、速い人二人外して何をしたかったんですかね?
何はともあれ、ダイナミックストレッチはすごいですよ。健康にも良いと思います。お試しあれ。]]>
ショートニングとか
http://kentype0.exblog.jp/24382195/
2015-08-19T23:53:35+09:00
2015-08-19T23:53:27+09:00
2015-08-19T23:53:27+09:00
kenkentype0
アレルギー
菓子パンとか袋物で、スーパーで売っていて買ってから冷蔵庫に入れなくても1週間くらいは腐らないもの。
僕が子供のころにはすでに一般的なものであり、それでいて「自宅で作るものは3日で腐るのにどうしてか保存料も入っていないはずのこれらの菓子パンはなかなか腐らない」と思っていたのですが。
先ごろ「病気がイヤなら油を変えなさい」と言う本を読みまして。いや、最後まで読んでないのですが。
なぜこれらのものが腐らないか、その理由を知ったのです。
その正体がショートニングだったのですね。
なにやら油の一種であると言う認識はあったのですが、まさか「トランス脂肪酸」であるとは知りませんでした。
正確にはトランス脂肪酸ではないのですが、トランス脂肪酸のように水素を不自然に結合させて腐らないようにした構造であり、その構造式はプラスチックそのもの。
つまり、僕は子供のころからプラスチックを口にしていた事になるのです。
このショートニングと言うやつ、マクドナルドであろうがモスバーガーであろうがロッテリアであろうが、ハンバーガーのバンズの中に必ず含まれているもののようなのですが、これがあるからハンバーガー屋のバンズはそうは腐らないのです。
一瞬だけファーストフードのバイトをしたことがあるのですが、そのときに「乾燥さえしなければ2週間後でも使えない事はない」と言う事実を知り、「それは果たして本物のパンと言えるのだろうか」という感想を抱いたのですが、原材料を見ても保存料としては何も書いてなく、いったい何がどうなってこのパンは腐らないのか、といつも疑問に思っていたのです。
誰かが食べ残したフライドポテトが休憩室の隅のほうに一ヶ月ほど放置されていたのですが、それがいつまでたっても腐らなかったのは今でも覚えています。あの時は「イヤー、不思議だね?ポテトって虫がむらがらないものなのかな?」と食品に関する知識ゼロの状態で見ていたので・・・いや、単に現実逃避していただけです。今ならいえるんですけどね。ポテトを揚げていた油に大量のトランス脂肪酸、もしくはショートニングが使われていたと言うだけの話。
ちなみにどんなに健康な油を使っていようがポテトを揚げると発がん性物質であるアクリルアミドが発生してしまうので、なるべくジャガイモは蒸すかゆでるかして食べましょう。
話を戻すと。
つまりこのショートニングと言う名のプラスチック(もうそうやって定義するのが一番早いと個人的に思う)が構造を支えて、これらのパンが腐らないものとしているわけです。そう。自宅で作るパンにショートニングを入れる人は普通はいないので(カリッとかパリッと言う音を無理やりにでも出したい人は入れるかもしれません)、自宅で作るパンはほうっておくとあっという間にカビが生えるのです。
いやー、グルテンフリーをし始めてそもそもスペルと小麦以外のものを口にしなくなってしまった自分の食生活ですが、使っている油(そもそもパンに普通油は使わないはずなのだが)からして食べてはいけないものだったのですねえ・・・そして駅の構内に自動販売機の中に入れてある菓子パンやらクッキーの数々は、すべてプラスチックの塊だ、と言う事なのですよ・・・そりゃ若い人達しか食べられないはずだわ・・・
ちなみにトランス脂肪酸と言うものは、いわゆる「お菓子」の中のほとんどに大量に含まれている(お菓子が腐らないのは砂糖を大量に使っているからでは決してない。少なくとも市販のお菓子には大量のショートニングと植物性油脂と言う名のプラスチックが入っているから腐らないだけであり、そうではないはずのポテトチップスにしても、その表面に張り付いているアクリルアミドはたとえ自宅で似たようなものを作ろうと口にする事が好まれるものでは決してない)から、お菓子を食べない人のほうが健康、と言うのは当たり前すぎる話なわけです。
ちなみにこのトランス脂肪酸、カップラーメンにもたくさん含まれているんですね。こうしたものを消化するときに肝臓がものすごい勢いで働いて、体内のバランスが崩れていくうちに僕はアトピーになっていったわけだ。マーガリンもそうだけれど、こうやって書き出すと、子供のころからアトピーになるためのものを大量に食べている。なるべくしてなったわけです。
いろいろ書くべき事はあるけれど、今日はここに絞りましょう。
1.原材料名を見る
2.ショートニング、植物油脂と書かれていないか確かめる
3.かかれてあった場合、即座に棚に戻す。
これだけで、あなたは今までよりも少しだけ、健康になれます。あ、当然ですけどファーストフードはオールさよならです。マックがダメと言うのならモスもロッテリアもダメです。たとえトランス脂肪酸そのものを使ってなくても、ショートニングを使っていないファーストフードの店などこの世に存在しませんから。
ちなみにこのショートニングと言う奴、ファミレスでも相当使っているようです。
うん、安いところで外食なんか出来ないね!コンビニに行ったら、もっとも添加物の少ない塩おにぎりでも買うしかない(それでもアスコルビン酸、つまりビタミンCは塗布されているだろう)ね!
今日学んだ事でもっとも衝撃的だったのは、このショートニングと言うものの正体でした。いやー、名前が違うだけでトランス脂肪酸とやる事はほとんど変わらないなんて・・・そりゃ僕が市販のものを口にしたらすぐにアレルギーになってたはずだよね・・・
ちなみに自分はアレルギーじゃないから関係ないやと思っている方たち、「癌」「アルツハイマー」「糖尿病」「肥満」「ADHD」「自閉」「鬱」これら全部、トランス脂肪酸は関係してますからね。特に最初の二つは関係してない人なんてこの世に居るのか。
おそろしや、と思いながら今日も人さじの亜麻仁油を口にして、これからお休みなのです。
次はオメガ3の油である亜麻仁油が、アレルギー体質である自分の体をいかに強くするか、と言う話でも書こうかな?その効能自体はそこらで喧伝されているので、実体験のレポートくらいしか書くことがないと言うのは、アレルギーのどの項目に関しても変わりません。そもそもグルテンフリーの事を詳しく知りたければ芥川ピストルさんの記事に飛んだほうが早いものね。
そう書きつつ絶対にリンクを張らないのがこのページのスタイルです。ものぐさとも言います。いいんです。ここはあくまで落書き帳なんですから。
ちなみにどうやらグルテンフリーをしながら亜麻仁油をとると、そうじゃないときと比べて格段に効果があるようだ、と言う実感レポートも書いとこうかな。今ここで説明するとさらに30行かかるので、また別の機会に。
とりあえず、今日調べたところでは亜麻仁油は「癌」「腱鞘炎」「帯状疱疹」「蕁麻疹」「アトピー」「アルツハイマー」「糖尿病」これらに対して効果がある、と言う事を予告的に書いて、締めとします。どうやらほかにもあるみたいなのですが、書き出した自分が言うのもあれだが、なんと言う万能薬ですかこれ・・・
・・・いやー、この時間に書くと寝る時間が削れて焦るね?ろくに推敲もしないし・・・散文ですみません。一応一回見直したのですがこれが限界・・・久々なのに申し訳ない。眠いー。お休みー・・・]]>
健身球はいろんな意味でお得な健康器具
http://kentype0.exblog.jp/24227604/
2015-07-08T23:23:42+09:00
2015-07-08T23:23:36+09:00
2015-07-08T23:23:36+09:00
kenkentype0
ツレヅレ
そこでこのボールを使うと、いろんなことが整理されるようになってくるんですよね。忙しい現代において、一度見た情報を頭にとどめておきたいと言う意識が強い人は、テレビを切ったら健身球をまわす、と言う習慣をつけるとかなりいろんな事が楽になると思います。
結局、現代生活においてもっとも怖いのは「情報過多による処理できない情報の積み重なり」だと思うんですよね。入ってきた情報の中で取捨選択して「今時分がやらないといけない事」をきっちり頭に入れなおすことはとても大事なのですが、いかんせん誘惑は多く、それらすべてを頭に入れたいと言う欲求はなかなか止まってくれません。
ところが健身球をやりながら呼吸を深くしていくと、それらの一切が無駄である事に気がつける(?ここまで断言していいものかとも思うが。少なくとも自分にとって本当に必要な情報の確定を急ぐようになるはず。)と言う希望的観測。
アルツハイマーの防止にもなるといわれているこの二個一セット、必ず2セットで使うこの健康器具、ネットで買えば2000円ちょっとで買える割にはずいぶん優れものです。
体のバランスが良くなるという利点もありますし、手先が繊細になって器用になっていくというのも事実ですが、もっとも大事なことは呼吸が深くなって思考がぶれなくなる、これに尽きると思います。
興味を持った方は健身球、で検索してみてください。
とりあえず3日間使った効果を、すごく実感しています。]]>
意思の伝わらないコミュニケーションと、コミュニケーションなしだとどちらが孤独を感じないだろうか
http://kentype0.exblog.jp/24227579/
2015-07-08T23:15:45+09:00
2015-07-08T23:15:39+09:00
2015-07-08T23:15:39+09:00
kenkentype0
ツレヅレ
こっちが思っている事をいくらしゃべっても「そんなことはないよ」と言われるのは、とてもつらい事なんじゃないかな。そもそも最近何かを思ってもそれをわざわざ口に出す前に自分の中で解決してしまう事が多いから、そもそもそんなことをしないんだけどね。
SOSノートとか、むしろそういうものがなかったほうが、傷は広がらなかったかもしれないな、と件のノートを見て思ったのです。
あれだけいろいろ書いてあるのに、かなり無責任に「がんばろう」「誰だってそういうことはある」「君だけじゃない」と言った趣旨の事が書かれていて、まるで訴えている事に耳を貸してないわけですが。
あれだったらノート事態がなかったほうがまだ生徒としては納得できたんじゃないかなあ・・・むしろノートがあったから聞いてもらえるかもしれない、と言う心が働いて、傷が余計に広がった側面は否めないですよね。人間ってマイナスの事をしゃべり始めると、自分の中でいろいろ悪い妄想が膨らんでしまう人も多いわけですから(だから大人は酒を飲むのだ。もっとも、飲んだら余計に悪い妄想に広がっていく人も多いので、これが解決策とはとてもいえないのだが)。
もちろん、先生が出来る事も少ないとは思うのです。人間は誰かを助ける事ができない。基本的に、自分のことは自分が助けるしかない。人が助けたつもりでも、結局人は助かっていないことは多いわけで、自分自身が自分と向き合わないと助からないことは本当にたくさんある。
人生において困難に立ち向かったとき、よく言われるのが人間は三つの選択肢を持っている、と言う話。
1.相手に変わってもらう。2.自分自身が変わる。3.その場から逃げる。
学校教育のスタンスは今のところ最初の二つ目までしか認めていない風潮があるのですが、たぶん今後三つ目が認められるほうに傾いていくのではないかと個人的に思っています。なぜならこの考え方はアメリカの学校期間で始まったものであり、アメリカの教育文化は徐々に日本の浸透していく傾向があるからです。
ちょうど今、端境期だと思うんですよね。そのうち転校が今より簡単になるシステムもできる(つまり、子供が現在よりさらに貴重になる時代が来る)と思うのですが、今はまだ時期じゃないとも思える。
このSOSノートと言うシステム、決して悪くは無いと思うのですが、親にも閲覧の許可が与えられるべきだと思うんですよね。教師は一人で50人も見ているわけで、その中でこうした生徒と向き合うのは現実かなり難しいと思うんですよ。でも、親はずっと子供を見ているわけだから、そこに先生との連携が生まれれば、それらのサインに対応する事も可能になると思う。
今のままのシステムでは、先生は子供の見てはいけない、処理しきれない問題を一人ひそかに抱えるだけで、これを処理し切れている先生は実は結構少ないんじゃないのかな、と思うのです。
先生は人間ですからね。たぶん、見てみぬ不利をしたというよりは、いろんな意味で向き合えなかった、と言う事なのだと思う。
かといってネットに転がっているように、これが人間失格の行為であると言う論調も奇妙だと感じる。なまじ解決方法としてのメソッドがそこに転がっていると、それの活用法が分からないときむしろ自分の限界に途方にくれるのが人間じゃないのか。
それは料理ができない人が素材と料理道具を渡されて、料理をされるのに似ていると感じます。
もちろん、建前上は人間教育は先生の重大な役目です。
しかしそれが現実的に無理な要求だというのは、そもそも担当の教科をきっちりと教える、それだけで結構大変な仕事を負ってしまっている事を考えれば、分かると思うのですが。
ひとついえることは、SOSノートと言うメソッドをこの先生が活用しきることはなかった、と言う事だと思います。
分かるんですけどね。単位認定もろもろのことを考えると、いじめが問題での転校を許すとそのシステムを活用して転校しまくる大変な人も必ず出てくるに違いないし。
最終的に子供に学校に行かせないという判断は親にしか出来ないとも思う。
グダグダ書いて何の結論にも達しませんでした。達するわけないのですが。
教えるほうとしては決して言ってはいけないことだと思うのですが、世界的に見れば3の「逃げる」と言う選択肢は、生き残るための当然の行動のひとつであって、最後の手段であったとしても禁じ手ではないということは、やはり親が教えないといけないことなのかなあ・・・
逃げて良いんですよ。学校だけが、それどころかあるひとつの場所が自分に合わなかったからといって、そこだけが人生じゃないんですから。
学習指導要領に則るとなかなかこの発言にたどり着くまでとんでもない言葉を弄さないといけないですが、本質的な話をすると、子供が知ってなくてはいけないもっとも大事な答えは、これだと思うのです。
もちろん、最終的にはどこかで踏ん張らないと人生グダグダなんですけどね。
それはまた後の物語と言う事で・・・]]>
飛ばし記事中心の報道の是非
http://kentype0.exblog.jp/24221955/
2015-07-07T12:50:18+09:00
2015-07-07T12:50:13+09:00
2015-07-07T12:50:13+09:00
kenkentype0
サッカー
ガッゼッタ・デッロ・スポルト、コリエレ・デッラ・セーラ、レプッブリカ。
最近のイタリアサッカー情報はすべてこの3紙の飛ばし記事なんですよね。俗に言うストーブ・リーグの記事をイタリア人が書いている。
日本においてストーブリーグ関連の記事はほとんど役に立たないし、シーズンに入ってそれらの記事はほとんど間違いであった事が証明されるのがほとんどですが、それはイタリアでも同じです。下馬評どおりの活躍する選手なんていないといっても過言ではない。
にも拘らず6,7月はそれらの、しかも飛ばし記事で、イタリアの記事の場合たいてい白人以外の扱いが悪い事を承知の上で(分かっていないでやっているとすればかなり鈍いと言う事になる)、日本人選手にとって不利な話ばかりそこに書きたてる。
意味があるのかな、と。
中田のころからそうした一連を見ていて、誰の得になっているのかいまいち分からないんですよね。だから読まないんですけど。サッカーの場合近年新しく入った選手の7割はレギュラーになれないのが近年の傾向なので・・・(移籍する選手が多すぎるのがその直接の理由)。しかもレギュラーに入れないでサブで活躍する移籍組ってほとんどいないんですよね。
何が言いたいのかと言うと。
日本の新聞記者が、イタリアの新聞に書かれているのを鵜呑みにして、本田に居場所がないなどと書き立てるのはどういう自虐行為なのかな、と。
監督が変わったらヒエラルキーが変わるのは良くある事ですが、そもそも本田はミハイロビッチとまだ会ってもいないし練習も始まっていないわけです。むしろガッゼッタが「白人ばかり」(いや、本当にひどい。デ・ヨングを除けば全員白人と言って差し支えない)推しているのに違和感を感じて欲しいんですけどね。
マトリとか一昨年見た人は知っていると思いますが、絶対にレギュラーになれないですよ?ボールが来るまで何の仕事もしないんですから。彼を推しているのはガッゼッタの願望であり、イタリア人がうまく行ってほしいから、それだけなのに。
記者本人に自信がないのは分かりますが、ガッゼッタに書いてあることをそのまま訳して自分たちの意見のように書くのは本当にいただけないですね。
日本の新聞でも思ったとおり書いているのですから、海外サッカーについても思ったとおり書けばよいのですよ。「分からない」と言うのも分からなくもないですが、それならばただ「ミランにだれだれが新しく加入した」で十分だと思います。
結局、本田をたたいたほうが売れるから、と言う図式は分かるんですけどね。
ガッゼッタの記事において「そうなのではないか」と言う論調を「そうなのだ」と断言するだけでまったく内容は変わります。しかし飛ばし記事の語尾を変えることが記者としての仕事ならば、記者は要らないのです。
自殺行為だと思いますね。
自分で自分の考えを述べてその成否を自分で確かめないと、先には進めないと思います。そしてそれがあたろうがあたるまいが、一喜一憂しない事ですね。あたったとしてもえらいのは選手であって、それを予言した人間じゃない。
日本のサッカーがこれ以上強くなるためには、自分はこうだと思う、と言うところを見ている側がしっかり持たないとダメだと思います。正直、選手に出来る事が狭まっているのは、そうしたマスコミの態度も原因にあると思います。海外メディアを尊重していると言うよりは、それを隠れ蓑にして自分が意見を言って反駁されるのを避けているようにしか見えません。
それが日本のスポーツ新聞の海外サッカー選手に対してのこの15年の態度であると思います。
予算がなくても意見は言えます。言えば良いんじゃないかな。野球であれだけ的外れな事言っててもみんな新聞買うし読むんですから、サッカーだって読みますよ。
メジャーについてはかなり正しい事書いているのですから、サッカーでそれが出来ないとは夢にも思わないですね。]]>
パソコンとプリンターが同時にオシャカ
http://kentype0.exblog.jp/24189464/
2015-06-29T14:28:08+09:00
2015-06-29T14:28:03+09:00
2015-06-29T14:28:03+09:00
kenkentype0
ツレヅレ
パソコンは中古で購入。29800円。Core5i搭載。おそらく漫画喫茶か何かで使っていたものが大量に中古に流れたものと思われる。自分が使っていた漫画喫茶においてあったパソコンとまったく同じものだった。前から思っていたが、この程度のパソコンで十分快適に動く。今のプロセッサは、ウィンドウズ8のタッチに対応しているかどうかと言う非常にどうでもいいことで値段が変わってくるので、そういうのどうでも良いやと言う人は、ここ最近大量に流れている中古品を勧める。全然問題なく動く。
さて、ブロッコリーを湯掻いている合間に書いております。昔歌った楽譜を壊れたパソコンから引き出そうとして、なんと最近のパソコンには楽譜がほとんど入っていないということを知り、よく考えたらこっちに来てから移調のパソコンでの作業ってほとんどしていなかったな、と言う事に思い至りました。
ん?と言う事は何か、十年位前に移調した楽譜のデータって、もうどこにもないのか・・・まあ良いや。胃腸なんて手順さえ間違えなければホホイノホイでできるから。パソコンって本当に便利。大事な事は、コピー機でコピーするときに、濃い目で設定する事です。薄い印刷だとスキャナーが判別してくれないと言う悲劇を起こします。
そうこう言っている間にブロッコリーが湯上がりました。何せ一分ですからね。後はざるにあげたら余熱で火が通るまで3分ほど待って。
昨日焚いたインゲン豆をこのまま冷蔵庫の中で腐らすのは忍びないので、玄米にかけてブロッコリーと塩と油でインゲン豆・ブロッコリー丼にして食べます。
まずそう?いや、これがおいしいんですよね。玄米とブロッコリーの相性がまず抜群である事、そこに畑の肉である豆が混じって大変ヘルシーかつ高栄養の食事になります。イーストアレルギーがない人は醤油でもいいんじゃないでしょうか。僕は塩と油でいきます。
何のことはない、ジョコビッチが本の中で紹介していたそばの食べ方を玄米に応用しただけです。それにしても玄米とブロッコリーって何でこんなに合うんですかねえ・・・?カリフラワーもすごく合います。考えてみれば小麦のパスタではブロッコリーはかなり積極的に使う材料のひとつですから、これをほかの穀物と合わせてもうまい、と言うのは当たり前なんですよね・・・
それにしてもプリンターも9000円行かない(とはいってもUSBアダプターが同根じゃなかったので結局1万くらい。)時代って、すごいですね。キャノンの製品とか、同梱されているインクを考えると、プリンター買ってインクを抜き出したほうがインクを買うよりお得という、不思議現象が起こってます。3000円ですからね。驚きです。作りすぎて在庫抱えて倉庫代払うより売り払ったほうがお得なんですね。
これからの時代は、パソコンやプリンターを持っている事よりも、それをどう使うかの方がはるかに大事になってきますね。いや、前からそうだったはずなのですが。
アホだった昔、ろくにバックアップもとらないで生きてきた自分に軽く驚きつつ、でもそういう間抜けなころの自分がやっている仕事って引き出すほどに参考にならないという事実も確認して、なんだかちょっと複雑です。
食事中ですので、こんなところで。]]>
ピアノは野球に有効なのか
http://kentype0.exblog.jp/24185498/
2015-06-28T13:11:52+09:00
2015-06-28T13:11:48+09:00
2015-06-28T13:11:48+09:00
kenkentype0
野球
彼は・・・確か右利きでしたよね?と言う事は踏み出す足は左足なわけです。
クラシックではともかく、ポップスでは左足はリズムをとって重心を乗せる足ですから(その動きが左手に伝わる形でリズムを取っていく)、まったく違う、ともいえないような気もします。
非常に初歩の初歩の話ではあるのですが、最初のころはリズムを取るために踏み出すときに息を吐き、裏拍で吸う、と言う練習をする(これはすべての楽器でメトロノーム的リズム感を取るために非常に有効である。重たくて持てない楽器の人がほかの人と比べてリズムが重たくなりがちなのは決して偶然ではない。トランペットなど歩きながら吹ける楽器の子達は、マーチングバンドをやっているうちにすばらしいリズム感を身につける子がたくさんいる。ぶっちゃけ、歩くと言う事は自分の体をメトロノームとして扱う事に他ならない))のですが、考えてみると、ピッチャーも構えるときに息吸って、踏み出すときに吐いてますよね?
サッカーの場合は利き足で蹴るのですが、ピッチャーの場合利き足を軸にして踏み出すから、実は動きとしては「そのまま」なんだな、と思ったわけです。
いえ、サッカーでも利き足と反対の足を使うときにこのイメージは有効なのですが。
ピッチャーの場合、もしピアノの初心者コースをよい先生に習った場合、自分のやっている事とものすごく似ていると言う事に気がつくはずだな、と思いました。
投手と捕手は指先で会話をしている、とは城島選手の有名なせりふですが、指先を扱うためには息がリズムと合っていないと体をうまく使えないわけで、その点はすごく共通しているだろうな、とおもったのです。
ダルビッシュが今リハビリでピアノをやっているそうですが、すごくよく分かるんですよね。別にピアノを習えばだれでもすごい球を投げれるわけではないですが、すごいピッチャーがピアノを習うと、感じる事はあるんじゃないのかな、と。
ピアニストも握力すごく鍛えますしね。長時間の演奏に握力は欠かせませんから。
実はこの二つの職業、似てないようですごく似ているのかも知れません。ダルビッシュが言うまで思いもしませんでしたが、少なくともリズムの取り方はものすごく共通していると言えるでしょうね。
ポップスの先生に習うとその辺、よく分かると思いますよ。]]>
電子ピアノとアナログピアノがどれ程違うか
http://kentype0.exblog.jp/24141739/
2015-06-16T10:52:08+09:00
2015-06-16T10:52:03+09:00
2015-06-16T10:52:03+09:00
kenkentype0
音楽の話
人が弾いているのを聞いてそれが如何に違うかは常々実感していたのですが、恥ずかしながらこの年になるまで自分でその違いをあからさまに感じることはありませんでした。
せいぜい、電子ピアノって音が遠いよね~、とか電子ピアノって何か迫力ないよね~、とかそんな当たり障りの無いことくらい。
所が。
キャサリン・ロリンを初めて8日目。
やっと基礎練習の手首の動かし方の違いを大体マスターして、レパートリーの1曲目と2曲目をちゃんと指定店舗通りまで忍者方式(笑)で引き上げてみたところ。
いや、これ、全く違う楽器だわ。
まず電子ピアノの音はショボイ。これはどうしようもないくらいショボイ。楽器が響いていないのだから勝gないけれど、どのタイミングで音が出るのかが、弾いてて一切分からない。いや、分かるのだけれど、アクションがどう起こっているのかが分からないから、下手くそな私が弾くと力の加減が全く分からない。
それに対してアップライトピアノですらアクションはあるので、ハンマーがどのタイミングで弦を叩いているのかがハッキリ感じられる。
そう、キャサリン・ロリンの凄いところは、ハンマーの重さを手首が実感するようになるところにあるのだ。
ピアノ弾ける人達に言わせると今更何を言ってるんだ、と言う所らしいのですが、これ、声楽で言えば「お腹を使って歌えるか否か」という死活問題そのものなので、なるほど道理で、これが分かってなかった僕はピアノが楽しくなかったはずだ、と言う事がよく分かりました。
昔は思ってたんですよ。下手くそだったらどんな楽器を使っても同じだ。どれも下手くそだ。
いやいや、大間違い。本当にピアニストを目指すんだったら、グランドピアノは家にもっていた方が良いですね。せめてアップライト。電子ピアノでやっても、ハンマーのアクションが一切感じられないですから、いくらやってもうまくならないですよ。
うまくなったら経験値で音を出せるようになるはずです。
それにしても、最初の一週間は一切加速が出来ず(つまり忍者方式以前の問題。それぞれのタッチがどうなるべきかが全く見えてないのだから。この点、ロリンのことをよく分かっている先生が教えたらもうちょっと早く済む・・・かな?よく分かんないや。感覚の問題は結局自己のなかでしか解消されないよね。僕が教師無しで1週間で何とか最低限の基礎テクニックのことが分かり初めて来た(因みに手首のローリングはまだ怪しい。3拍子でテンポ60とかでやっているので・・・スピードアップできる徴候がない)からと言って、それが全員そうなるとまでは言えない。
なにはともあれ、今まで根拠無く「ピアノはせめてアップライトから買った方が良いよ~」と言ってましたが、今やハッキリと根拠ある状態で言えます。
電子ピアノは一通り全て分った人の遊びの楽器です。最初から電子ピアノでやると、普通のピアノが弾けなくなります。
ご注意ください。]]>
今更ですが、全仏の話とか
http://kentype0.exblog.jp/24133870/
2015-06-14T08:51:56+09:00
2015-06-14T08:51:53+09:00
2015-06-14T08:51:53+09:00
kenkentype0
スポーツ
忙しくてコメント出来ませんでした。うん、また今年も取れなかったな。基本的に相手の攻撃を防御しきるのがジョコビッチなので、サーフェスが極端に遅い全仏で決勝まで行くこと自体がとんでもないのですが、今年も取れませんでした。今年取れなかったらもうずっとムリかなあ、とは思っていたので、ちょっとショックだったのは事実です。
応援している選手が負けると本当に書く気力が無くなりますね。ガックリしてしまいました。
全然関係ないわけでもないですが、ハリルホジッチ監督って、ジョコビッチと同じユーゴスラヴィア出身なんですね。
最近日本代表の選手がこぞって痩せてきてますが、國の繋がりを考えて、選手のキレを見れば、今彼らが指導されている食事はグルテンフリーなのだろうな、と言う推測が成り立ちます。
長友や槇野、岡崎、香川、そして本田はこの8年くらいずっと見ているので、明らかに動きが違うのが分かります。世間的には「体脂肪率」という話ばかり出ていますが、判断スピードの向上、イメージの拡大、そしてその共有と、グルテンフリーならではの効果が出ているのを見ると、まあやってないわけないな、と言う結論に達します。
糖質制限は、サッカー選手にはムリですからね。グルテンフリー以外あり得ないでしょう。
本田選手がより一段上に行ける、と言うコメントをしているのも頷けます。そう思えるようになるんですよね、このダイエット。
スポーツやっている人、特にサッカーは、これからはやらない人は消えていくと言う事になるンじゃないかとすら思ってます。なにせやっている人はやってない人達に対して常にボール2個分のスペースを他の人よりもててしまうくらい時間の感じ方が違うのだから・・・
怖いですね、いやはや。近年、サッカーでは20代前半に素晴らしかった選手が20代後半にさしかかると別人のようになってしまうと言う事がこの20年程続いていましたが、どうやらその流れに終止符が打たれそうですね。
年取って頭が悪くなったと思っている方。
そんなあなたにも勧めます。グルテンフリー。]]>
根性や努力や精神力では朝起きることは出来ない
http://kentype0.exblog.jp/24133845/
2015-06-14T08:40:57+09:00
2015-06-14T08:40:54+09:00
2015-06-14T08:40:54+09:00
kenkentype0
ツレヅレ
答えは、そう言う人達は早起きをするためにそれらを使っているからに他ならない。
最近目覚ましかけていなくても6時半に目が覚めてしまうようになったのですが(さすがに5時半に起きろと言われるとかけないと危ない。だが毎日やれと言われれば出来る)、今の状態になって初めて「朝は根性で起きろ」という発言が間違いであることを知ったのです。
僕の場合、朝起きられない原因はグルテン不耐症にありました。
どうやらグルテンフリー、「他の人がどうなっているのかは知りませんが」僕個人に関しては「朝起きるのが当たり前の体になる」、と言う効果もあるみたいです。
付帯条件があります。
「夜ご飯を必ず8時までに済ませること。そのとき、炭水化物はほとんど取らない。寝る4時間前から本格的には食べない」
と言うものです。遅く食べたら当然そう簡単には寝られません。
書いてみるとなんだ、人間として当たり前の事じゃないか、と思ってしまいますね。
裏を返すと、今、「根性と努力と精神力」で朝起きている人は、やがてそれが出来なくなるんじゃないか、という事です。
だって今の僕、朝起きるとき全くそんなもの必要としてませんから。
何が言いたいかというと、朝起きられない人はグルテンフリーをやってみたらいかが?と言う事ですね。
やればやる程分かりますが、今まで絶対に「自分はまともな生活が出来ない」と思っていた人程、むしろまともに見える人よりずっとまともな生活が出来るはずです。
ややもすると統合失調症、と言う名前がつけられているこの「朝起きられない病気」、本当に簡単に治りますよ?
最近「統合失調症」という病名を犯罪者の代名詞のようにマスコミが扱おうとする傾向がありましたが、朝根性で起きている人は全員この病気にかかっているようなものなので、それはどうかなあ、と僕は思うのです。病院に行って診断を受けてなくても、朝頑張らないと起きられないのならばその人は已に病名としては「統合失調症」という得体の知れないものにかかっている事になっているのですから。
そんな、日本人の少なくとも6割がかかっている状態を犯罪者扱いするのは、ちょっと正気の沙汰とは僕には思えないですね。
個人的には「朝起きられない病」という名前に変えるべきだと思うのです。だって、それを起因にしていろんな事が起こるとしても、最大の問題は何が原因なのかは置いておくにしても「朝起きられない事」が問題を引き起こしているわけですから。別にいかめしい名前をつける必要などないと思うのですよ。
で、この「朝起きられない病」は、グルテンフリーで高い確率で治ると言っておきます。正しアレルゲンは全て排除しておくこと。こちらの方はELISAのスタンダードフードパネル96を強く勧めます。
根性など、ドブに捨ててしまえ。それはやがて、あなたを滅ぼす。]]>
キャサリン・ロリン・ピアノコースに手を出してみる
http://kentype0.exblog.jp/24133803/
2015-06-14T08:26:34+09:00
2015-06-14T08:26:31+09:00
2015-06-14T08:26:31+09:00
kenkentype0
音楽の話
僕はピアノはここまでほぼ独学でやってきたのですが、これ、僕としてはものの考え方が180度変わるようなものでした。
考えて見ると、自分がこうやってパソコンのキーボードを打っているとき、手首は当然のように下に言っているわけです。机についています。
これは指先の力を使わずに打鍵できるだからなんですよね。今まで考えたこともなかったですが、打つときに体の動きとしては、手首が更に沈み込んで腕の重さを使ってキーボードを打っている訳。だから、スピードが速くなると腕が弾むんですよね。
何で同じ理屈をピアノに持ち込もうとは思わなかったのだろうか。ここが自分でも不思議なのです。
子供の時に習ったときに「手首は柔らかく」とか「もっとリラックスして弾むように」とか言われた事はあったのですが、じゃあ具体的に手首を柔らかくするって、リラックスするってどういうことかについては、結局よく分からないままだったのです。
ぶっちゃけると、世の中のピアノを習った人の9分9厘がそうなのだと思います。教えている本院は出来ているので、何が原因で柔らかい音が出せないのかが分からない。
そしてどうやら、天性の勘だけでやっていると、今の時代のコンクールで勝つのは難しいみたいですね。つまり勘が良い人達が、こうしたロリンのピアノコースのような教材を使って、更にその技術を研ぎ澄ましているので、どうしても日本人に手首の硬さが目立つ、と言う事になっているようです。
いや、前々から「何で欧米のピアニストと日本人はこうも弾き方が違うのか」とは思ってたんですけどね。使っている教材が違うのだから当たり前と言って良いのでしょう。
因みにこの教材、10年くらい前から日本に紹介されていたみたいですね。
期待しないで欲しいのは、これをやり始めて1週間くらいで劇的に演奏が変わると言う事は絶対に無いです。
才能のある人達を除いて、ほとんどの人は「えー?こんなに手首を使うの?」という驚きから始まることがほとんどでしょう。
12の「基礎テクニック」なるものがあるのですが、どれも実施自体は簡単です。本買って、Youtubeでpianolesson21さんが紹介しているページに飛べば、彼女がロリン・ピアノ・コースという名前でアップしている動画を見るとイメージがハッキリと湧くと思います。要は「指先ではなく手首を使って腕の重さで弾くのだ」と言う事を理性で分かれば充分です。あとは練習している内に自分で判断出来るようになると思います。
そう、自習教材としてもこれほど良くできているものは他に無いと僕は断言しちゃいます。いや、あるのかも知れませんが、今市販されているなかで「手首の柔らかさ」についてこれほど語っている教本は他に無いと思う。
驚くことに、手首を柔らかく使う事を意識すると、体全体が使えるようになってくるんですよね。
「テクニック」という本と一緒に「レパートリー」という本当にごくごく簡単な曲集がありまして、そちらに基礎テクニックで勉強した手首棟での使い方を実施していくわけですが。
以前は3曲めの「バルトーク風の簡単な曲」(もちろんこんな題ではない)とか、弾くのに途方に暮れていたのですが(簡単な割にどうすればよいのか分からない。由紀さおりが歌う赤とんぼと一般人が歌うあかとんぼはちがう、と言えば分かりやすいだろうか)、その間を埋めてくれるのが手首の使い方だったわけです。
余りに体の使い方がちがいすぎて、こんな簡単な曲なのにテンポが上げられない、と驚愕の思いで練習しています。この体の使い方をマスターした上でツェルニー100番とか弾くと、恐らく全く違った物になってしまうのだろうな、と。
欧米のピアニストの多くが「ツェルニー30番を引きこなせるのならばあなたはベートーヴェンは何でも弾けるはず」とよく云いますが、そりゃ前提が違いすぎる。
メトロノームに合わせて弾くだけなのではなく、こんなに全身を使った上で弾けるようになれば、という話をしているのだから。
むろん、理由はこれだけではないのですが、近年、日本のピアニストがコンクールで勝てなくなっている原因の一端を見たような気がします。僕は分野が違いますが、この弾き方は「歌える」という感触が強くあります。
簡単な曲を歌うように弾いているピアニストの真似をして遊ぶ(例えばギロックの子供のためのアルバムとか)らしいですが、人の真似をしていても限界はある(つまり音源がないと弾けない、と言う状態になる)ので、自分の音を出してみたい!と言うかつてツェルニー100番で挫折した僕のような人(40番くらいまで一応やって、うまくならなかったんだよね)は、暇があったら手を伸ばしてみると良いと思います。
一日1時間時間が取れれば、1年後には相当違ったものになりますよ。まだ1週間足らずですが、本当に天と地がひっくり返るくらい概念が変わってきます。
僕はピアノという楽器が「自分でも」こんなに優しい音を「いつでも」出せる楽器だと、今まで知りませんでした。
全ての問題は手首にあります。このアホみたいな12の基礎テクニック、実はプロでもいつでも確かめて、高めて、より繊細にするためには欠かせない、凄く有用なものであると思いますね。]]>
メトロノームは眠りを誘うか
http://kentype0.exblog.jp/24101417/
2015-06-05T08:48:00+09:00
2015-06-05T08:54:04+09:00
2015-06-05T08:48:34+09:00
kenkentype0
音楽の話
前から分かってはいたことだったのですが、ドイツリートはやたら後にも先にも子音が多いので、何も考えずに発音しているとどんどんリズムが狂っていきます。しかしことばのリズムは一つに詩に関してある程度以上一定を保っているので、何も考えずにただそのことばを読んでいると、大抵の場合むしろそのリズムに邪魔されるようになります。
もちろん、手を叩いてリズムを取りながら読んでいく、と言う手もあり、実際にそういう訓練の仕方をしている人もいないわけではないでしょうが、一人出やっているときの労力を考えるとやはりメトロノームを採用するのが良いと思います。
考えて見るとメトロノームってドイツではやたら使われるイメージがある。イタリアでは使っている人を見たことが無い。オーケストラなどを見ると、イタリア人はやたら旋律を「歌う」癖があるのに対して、ドイツはかっちりと弾く人が多い。オケの完成度は・・・これは聞いている人の主観にもよると思う。でも世界的に評価が高いのは圧倒的にドイツの方。やはりレパートリーが多い、と言う所がいちばんでしょうか。
メトロノームを使うと、かなり眠くて調子がでない、と言うときでもテンポを下げればついていけるようになり、そうやって練習したものが必ず自分の中で肥やしになるのがもっとも良いことなんですよね。
歌の旋律がスピードアップしないのには実は明確な理由があって、歌っている方がそれぞれの歌詞をきっちりと「捉えない」と前に進めないのです。これは別に意味をしっかり調べておけ、と言う意味では無く、歌詞というものは大抵とても単純な言葉で書かれているものであり、それ故にその言葉の効果を見逃しがちである、と言う事を意識しないと行けない、と言う事です。
どうと言う事のない言葉の連続が重なって降り積もっていくと意味が出てくる訳ですから、それぞれの言葉を読み飛ばすような真似をしていると、いくら良い声で歌っても何を言っているのか、日本語でも伝わらないわけです。
逆に、子供が歌っていて発声が拙くても、いや、それほど声の良くないポップス歌手が歌っていても、何か良いものを聞いている、と言う気分になるときは、それぞれの歌詞の意味を、歌手自身がきっちりと捉えていて、声を聞かせることが主体ではない曲である、と言う可能性が高い。
これは技術でもありますが、ゆっくりのテンポから、歌詞を捉えた、と思った所から徐々にスピードを上げていく、さながら忍者が高く飛ぶために、木を植えてその成長していく中を飛び越える練習を日々繰り返すようなものでしょうか。
どんな難しい旋律でも、3倍の長さ(つまりメトロノームは3分の1のスピード)から初めてゆっくりと音を確かめて、それを徐々に徐々に上げていくと言う作業を繰り返せば、どの楽器でも最終的には欲しい速さ、欲しい表現に追いつくのは、超絶技巧の曲じゃない限り大丈夫なはずです。
いわゆる天才、と呼ばれる人達はこういう過程をすっ飛ばしてしまう事が多いのですが、僕はこのゆっくり始めて徐々に早くしていき、最終的に目標に到達するという一般的なアプローチ、結局どの先生も最終的に辿り着く万人が味わえる練習法が、人生を豊かにする可能性は高いと思うようになりました。
やってみれば分かるのですが、「出来ない自分」が「出来る自分」に変わると言う達成感は、その人の中に自信をつけます。そうした自分を他人と比べると、大抵悲しいのです。ドルトムントの監督だったクロップさんが、同じようなことを言ってましたね。
自分達は最高だった、そのことにだけ、思いを馳せよう。他人と比べると、いつも悲しい事になる、と。
これは人生を幸せにするための、共通のアプローチではないかと思います。
音楽は競争ではないのです。英語では良く達成(アチーヴメント)という言葉を使いますが、それぞれの中で達成が起こって始めて音楽であり、いきなり出来てしまったらそれは達成にならないので、それはそれでなんのために音楽をやるのか苦しんでしまう可能性すらあります。
歌ですら、已に歌えていると思っている曲でも、メトロノームを使ってじっくりと歌詞をよんでみると、そこにはいろんな可能性が眠っていて、自分が見逃していたことを痛感させられます。
むろん、最終的に音楽を演奏するときにはそこにはメトロノームは存在しませんが、「自分の中の音に耳を傾ける」為には、メトロノームという補助道具が凄く役に立つと思います。
何より、「自分が何を達成できて、何を達成できてないかハッキリと判断出来る」ゆえに、そのことを反省することがあったとしても、それによって眠れない、と言う事が起こらないようになりました。
ありとあらゆる作品で否定される傾向にあるメトロノームですが(アニメの「響け!ユーフォニアム」という作品で、小説の中でメトロノームを使っているシーンなのに、それをカットしていたのは衝撃的でした。プロでは確かに使いませんが、高校生相手には使わないわけにはいかないんですけどね?ソロパートならいざ知らず、合奏パートをソロのように弾かせるオーディションなど、この世には存在しません)、実際には天才でもない人間が西洋音楽を楽しむ上で、これ以上にない助けになる補助道具なのです。
よく「メトロノームのような演奏」と揶揄されますが、では実際にメトロノームと同じテンポで演奏出来る人間がいるかというと、やっぱりそれは居ないのですよ。それはモノトーンになっているか、ぎすぎすしているか、いずれにせよ本当の意味でテンポ通りに弾けてはいないのです。
アッレーグロは「元気よく」アッレグレットは「元気なようでどこか空ろに」アッレーグロ・ヴィヴァーチェは「興奮しているように」とそれぞれの言葉にニュアンスがあります。こうした言葉はテンポを指定すると同時に曲想を説明にしているのです。そして書いてある音をそのままテンポ通りで弾けるようになると、耳と耳の間に音楽が出来上がってきます。
それこそが音楽の楽しみなわけです。それは、ゆっくりとしたテンポから徐々に思うところまで行けたなら、誰の頭の中にでも起こる事なのです。音楽において本当に素晴らしい瞬間は、その「達成感」の積み重ねが人の音楽と交わったときに起こります。歌い飛ばしていてもその瞬間は来ないのです。
つまり、音楽そのものは、合奏をせずともすでにその人一人の頭の中に已に起こっている事であり、しかしその音楽が他人のものとふれあうと、更に素晴らしいものになる、そう言う事です。
メトロノームは、そうした他人の音楽と自分の音楽をドッキングさせる、最高の補助道具なのです。
・・・確かに、こうやって書くと、ピアニストがメトロノームと一緒に孤独になってしまう可能性があるのかも、と思わなくはないですね。やろうと思えば一人で全部説明できてしまう楽器ですから。だから僕はピアニストに歌を歌うことを勧めます。うまくなくて良いんです。声楽的にレベルが高くなくても良いのです。人と合わせないと完成しようがない楽器であればなんでも良いとすら言えます。メトロノームは人と合わせるために使う、僕らの合い言葉のようなものなのです。
なんにせよ。
音楽が最初からあって、そこにテンポで嵌めていくわけじゃないんですよね。それは全て、耳と耳の間に起こる事なのです。
それを起こすためには、3倍のテンポからゆっくりと、そこから一段一段早くしていって。
非常に地味な時間ですが、凡人たる自分のような人間にとって、なかなかこれ以上の楽しみがあるのだろうか、と個人的には思っています。
この練習方法なら一日30分からでも、結構うまくなると思います。
ぶっちゃけ、ヤマハの練習方法の応用と捉えてもらっても構いませんが、BGMが無くてもメトロノームだけでも充分行けちゃうし、そもそもヤマハだってBGMに載せるために結局3倍のテンポから練習するんですよね。で、BGMに載せられる頃には無しでも弾けるようになってたり。ただ、繰り返し練習することに飽きない用にするために、ああやって「他人が何をそこに絡めてきているか」を常に聞かされるのはかなり有効なのだな、と今さらのように感心しています。合奏する自分のイメージが、全く合奏をする機会がない人でもある程度はもてるようになりますからね。喩えそこに呼吸がないにしても。
・・・ではなぜこの年になるまで僕がメトロノームを拒否していたか?それは、常にイライラしていて、メトロノームに合わせる余裕が自分の中になかったから、と言う事なんですよね。
普通になる、と言う事が最高に難しかった自分が、今頃になって「ああ、これが普通か」とおもうようになりました。
この点に関しては、僕はグルテンフリーに、ジョコビッチに感謝するしかないですね。僕がアトピーやらぜんそくやら疱疹状皮膚炎やら不眠やら逆流性食道炎やら倦怠感やらドライアイやら貧血やら目眩やら下痢やら膝の関節炎やら(書き出してみるとつい二ヶ月前までに悩まされていたものがものすごく多いですね・・・これで全部じゃないんですよ?不定愁訴とはよく云いますが、まさにそれですな・・・・)いろんな物に悩まされているとき、こんな事を考えることすらありませんでしたからね。この3年程ほとんどブログを書けなくなっていたのもそれが理由だし。
常に前向きに。ただ、自分が勉強してきたことは大切に。
やる事は同じ。捉え方は「全く違う」。それをしっかり意識して。
練習したら興奮して眠れなくなるというあなた。
メトロノームを使ってみてはいかがでしょうか?
こういう世間的に「バカみたい」と思われていることに、意外とヒントはあるものですよね。万人にとっての答えなど、この世にはないのです。]]>
ミラン新監督、ミハイロビッチに
http://kentype0.exblog.jp/24101282/
2015-06-05T07:47:57+09:00
2015-06-05T07:47:57+09:00
2015-06-05T07:47:57+09:00
kenkentype0
サッカー
それだったらそれこそインザーギで良かったんじゃないか、とも思う。今年も結局サンプドリアは7位だったわけだし。
しかし、決まってしまったものはしょうがないですね。僕もインザーギ続投がよいと思ったのは最後の10試合くらいなので。ハッキリと監督を批判した選手がいたことでかえってまとまった、と言う側面も否めないんでしょうね。団体スポーツでそれはありだと思うのですが。
インザーギには中堅クラブにいったん行ってから、巻き返しを図って欲しいですね。
お疲れ様でした。]]>
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