僕の場合、明らかに後者なのですが、世間的にはどうなんですかね?
こっちが思っている事をいくらしゃべっても「そんなことはないよ」と言われるのは、とてもつらい事なんじゃないかな。そもそも最近何かを思ってもそれをわざわざ口に出す前に自分の中で解決してしまう事が多いから、そもそもそんなことをしないんだけどね。
SOSノートとか、むしろそういうものがなかったほうが、傷は広がらなかったかもしれないな、と件のノートを見て思ったのです。
あれだけいろいろ書いてあるのに、かなり無責任に「がんばろう」「誰だってそういうことはある」「君だけじゃない」と言った趣旨の事が書かれていて、まるで訴えている事に耳を貸してないわけですが。
あれだったらノート事態がなかったほうがまだ生徒としては納得できたんじゃないかなあ・・・むしろノートがあったから聞いてもらえるかもしれない、と言う心が働いて、傷が余計に広がった側面は否めないですよね。人間ってマイナスの事をしゃべり始めると、自分の中でいろいろ悪い妄想が膨らんでしまう人も多いわけですから(だから大人は酒を飲むのだ。もっとも、飲んだら余計に悪い妄想に広がっていく人も多いので、これが解決策とはとてもいえないのだが)。
もちろん、先生が出来る事も少ないとは思うのです。人間は誰かを助ける事ができない。基本的に、自分のことは自分が助けるしかない。人が助けたつもりでも、結局人は助かっていないことは多いわけで、自分自身が自分と向き合わないと助からないことは本当にたくさんある。
人生において困難に立ち向かったとき、よく言われるのが人間は三つの選択肢を持っている、と言う話。
1.相手に変わってもらう。2.自分自身が変わる。3.その場から逃げる。
学校教育のスタンスは今のところ最初の二つ目までしか認めていない風潮があるのですが、たぶん今後三つ目が認められるほうに傾いていくのではないかと個人的に思っています。なぜならこの考え方はアメリカの学校期間で始まったものであり、アメリカの教育文化は徐々に日本の浸透していく傾向があるからです。
ちょうど今、端境期だと思うんですよね。そのうち転校が今より簡単になるシステムもできる(つまり、子供が現在よりさらに貴重になる時代が来る)と思うのですが、今はまだ時期じゃないとも思える。
このSOSノートと言うシステム、決して悪くは無いと思うのですが、親にも閲覧の許可が与えられるべきだと思うんですよね。教師は一人で50人も見ているわけで、その中でこうした生徒と向き合うのは現実かなり難しいと思うんですよ。でも、親はずっと子供を見ているわけだから、そこに先生との連携が生まれれば、それらのサインに対応する事も可能になると思う。
今のままのシステムでは、先生は子供の見てはいけない、処理しきれない問題を一人ひそかに抱えるだけで、これを処理し切れている先生は実は結構少ないんじゃないのかな、と思うのです。
先生は人間ですからね。たぶん、見てみぬ不利をしたというよりは、いろんな意味で向き合えなかった、と言う事なのだと思う。
かといってネットに転がっているように、これが人間失格の行為であると言う論調も奇妙だと感じる。なまじ解決方法としてのメソッドがそこに転がっていると、それの活用法が分からないときむしろ自分の限界に途方にくれるのが人間じゃないのか。
それは料理ができない人が素材と料理道具を渡されて、料理をされるのに似ていると感じます。
もちろん、建前上は人間教育は先生の重大な役目です。
しかしそれが現実的に無理な要求だというのは、そもそも担当の教科をきっちりと教える、それだけで結構大変な仕事を負ってしまっている事を考えれば、分かると思うのですが。
ひとついえることは、SOSノートと言うメソッドをこの先生が活用しきることはなかった、と言う事だと思います。
分かるんですけどね。単位認定もろもろのことを考えると、いじめが問題での転校を許すとそのシステムを活用して転校しまくる大変な人も必ず出てくるに違いないし。
最終的に子供に学校に行かせないという判断は親にしか出来ないとも思う。
グダグダ書いて何の結論にも達しませんでした。達するわけないのですが。
教えるほうとしては決して言ってはいけないことだと思うのですが、世界的に見れば3の「逃げる」と言う選択肢は、生き残るための当然の行動のひとつであって、最後の手段であったとしても禁じ手ではないということは、やはり親が教えないといけないことなのかなあ・・・
逃げて良いんですよ。学校だけが、それどころかあるひとつの場所が自分に合わなかったからといって、そこだけが人生じゃないんですから。
学習指導要領に則るとなかなかこの発言にたどり着くまでとんでもない言葉を弄さないといけないですが、本質的な話をすると、子供が知ってなくてはいけないもっとも大事な答えは、これだと思うのです。
もちろん、最終的にはどこかで踏ん張らないと人生グダグダなんですけどね。
それはまた後の物語と言う事で・・・
#
by kenkentype0
| 2015-07-08 23:15
| ツレヅレ
というか僕の中では基本的に否定的なのですが。
ガッゼッタ・デッロ・スポルト、コリエレ・デッラ・セーラ、レプッブリカ。
最近のイタリアサッカー情報はすべてこの3紙の飛ばし記事なんですよね。俗に言うストーブ・リーグの記事をイタリア人が書いている。
日本においてストーブリーグ関連の記事はほとんど役に立たないし、シーズンに入ってそれらの記事はほとんど間違いであった事が証明されるのがほとんどですが、それはイタリアでも同じです。下馬評どおりの活躍する選手なんていないといっても過言ではない。
にも拘らず6,7月はそれらの、しかも飛ばし記事で、イタリアの記事の場合たいてい白人以外の扱いが悪い事を承知の上で(分かっていないでやっているとすればかなり鈍いと言う事になる)、日本人選手にとって不利な話ばかりそこに書きたてる。
意味があるのかな、と。
中田のころからそうした一連を見ていて、誰の得になっているのかいまいち分からないんですよね。だから読まないんですけど。サッカーの場合近年新しく入った選手の7割はレギュラーになれないのが近年の傾向なので・・・(移籍する選手が多すぎるのがその直接の理由)。しかもレギュラーに入れないでサブで活躍する移籍組ってほとんどいないんですよね。
何が言いたいのかと言うと。
日本の新聞記者が、イタリアの新聞に書かれているのを鵜呑みにして、本田に居場所がないなどと書き立てるのはどういう自虐行為なのかな、と。
監督が変わったらヒエラルキーが変わるのは良くある事ですが、そもそも本田はミハイロビッチとまだ会ってもいないし練習も始まっていないわけです。むしろガッゼッタが「白人ばかり」(いや、本当にひどい。デ・ヨングを除けば全員白人と言って差し支えない)推しているのに違和感を感じて欲しいんですけどね。
マトリとか一昨年見た人は知っていると思いますが、絶対にレギュラーになれないですよ?ボールが来るまで何の仕事もしないんですから。彼を推しているのはガッゼッタの願望であり、イタリア人がうまく行ってほしいから、それだけなのに。
記者本人に自信がないのは分かりますが、ガッゼッタに書いてあることをそのまま訳して自分たちの意見のように書くのは本当にいただけないですね。
日本の新聞でも思ったとおり書いているのですから、海外サッカーについても思ったとおり書けばよいのですよ。「分からない」と言うのも分からなくもないですが、それならばただ「ミランにだれだれが新しく加入した」で十分だと思います。
結局、本田をたたいたほうが売れるから、と言う図式は分かるんですけどね。
ガッゼッタの記事において「そうなのではないか」と言う論調を「そうなのだ」と断言するだけでまったく内容は変わります。しかし飛ばし記事の語尾を変えることが記者としての仕事ならば、記者は要らないのです。
自殺行為だと思いますね。
自分で自分の考えを述べてその成否を自分で確かめないと、先には進めないと思います。そしてそれがあたろうがあたるまいが、一喜一憂しない事ですね。あたったとしてもえらいのは選手であって、それを予言した人間じゃない。
日本のサッカーがこれ以上強くなるためには、自分はこうだと思う、と言うところを見ている側がしっかり持たないとダメだと思います。正直、選手に出来る事が狭まっているのは、そうしたマスコミの態度も原因にあると思います。海外メディアを尊重していると言うよりは、それを隠れ蓑にして自分が意見を言って反駁されるのを避けているようにしか見えません。
それが日本のスポーツ新聞の海外サッカー選手に対してのこの15年の態度であると思います。
予算がなくても意見は言えます。言えば良いんじゃないかな。野球であれだけ的外れな事言っててもみんな新聞買うし読むんですから、サッカーだって読みますよ。
メジャーについてはかなり正しい事書いているのですから、サッカーでそれが出来ないとは夢にも思わないですね。
#
by kenkentype0
| 2015-07-07 12:50
| サッカー
ここ最近更新できていない理由がこれだったりします。
パソコンは中古で購入。29800円。Core5i搭載。おそらく漫画喫茶か何かで使っていたものが大量に中古に流れたものと思われる。自分が使っていた漫画喫茶においてあったパソコンとまったく同じものだった。前から思っていたが、この程度のパソコンで十分快適に動く。今のプロセッサは、ウィンドウズ8のタッチに対応しているかどうかと言う非常にどうでもいいことで値段が変わってくるので、そういうのどうでも良いやと言う人は、ここ最近大量に流れている中古品を勧める。全然問題なく動く。
さて、ブロッコリーを湯掻いている合間に書いております。昔歌った楽譜を壊れたパソコンから引き出そうとして、なんと最近のパソコンには楽譜がほとんど入っていないということを知り、よく考えたらこっちに来てから移調のパソコンでの作業ってほとんどしていなかったな、と言う事に思い至りました。
ん?と言う事は何か、十年位前に移調した楽譜のデータって、もうどこにもないのか・・・まあ良いや。胃腸なんて手順さえ間違えなければホホイノホイでできるから。パソコンって本当に便利。大事な事は、コピー機でコピーするときに、濃い目で設定する事です。薄い印刷だとスキャナーが判別してくれないと言う悲劇を起こします。
そうこう言っている間にブロッコリーが湯上がりました。何せ一分ですからね。後はざるにあげたら余熱で火が通るまで3分ほど待って。
昨日焚いたインゲン豆をこのまま冷蔵庫の中で腐らすのは忍びないので、玄米にかけてブロッコリーと塩と油でインゲン豆・ブロッコリー丼にして食べます。
まずそう?いや、これがおいしいんですよね。玄米とブロッコリーの相性がまず抜群である事、そこに畑の肉である豆が混じって大変ヘルシーかつ高栄養の食事になります。イーストアレルギーがない人は醤油でもいいんじゃないでしょうか。僕は塩と油でいきます。
何のことはない、ジョコビッチが本の中で紹介していたそばの食べ方を玄米に応用しただけです。それにしても玄米とブロッコリーって何でこんなに合うんですかねえ・・・?カリフラワーもすごく合います。考えてみれば小麦のパスタではブロッコリーはかなり積極的に使う材料のひとつですから、これをほかの穀物と合わせてもうまい、と言うのは当たり前なんですよね・・・
それにしてもプリンターも9000円行かない(とはいってもUSBアダプターが同根じゃなかったので結局1万くらい。)時代って、すごいですね。キャノンの製品とか、同梱されているインクを考えると、プリンター買ってインクを抜き出したほうがインクを買うよりお得という、不思議現象が起こってます。3000円ですからね。驚きです。作りすぎて在庫抱えて倉庫代払うより売り払ったほうがお得なんですね。
これからの時代は、パソコンやプリンターを持っている事よりも、それをどう使うかの方がはるかに大事になってきますね。いや、前からそうだったはずなのですが。
アホだった昔、ろくにバックアップもとらないで生きてきた自分に軽く驚きつつ、でもそういう間抜けなころの自分がやっている仕事って引き出すほどに参考にならないという事実も確認して、なんだかちょっと複雑です。
食事中ですので、こんなところで。
#
by kenkentype0
| 2015-06-29 14:28
| ツレヅレ
ダルビッシュが投げた問いかけですね。いや、むしろ彼は有効である、と言う話しをしているわけですが。
彼は・・・確か右利きでしたよね?と言う事は踏み出す足は左足なわけです。
クラシックではともかく、ポップスでは左足はリズムをとって重心を乗せる足ですから(その動きが左手に伝わる形でリズムを取っていく)、まったく違う、ともいえないような気もします。
非常に初歩の初歩の話ではあるのですが、最初のころはリズムを取るために踏み出すときに息を吐き、裏拍で吸う、と言う練習をする(これはすべての楽器でメトロノーム的リズム感を取るために非常に有効である。重たくて持てない楽器の人がほかの人と比べてリズムが重たくなりがちなのは決して偶然ではない。トランペットなど歩きながら吹ける楽器の子達は、マーチングバンドをやっているうちにすばらしいリズム感を身につける子がたくさんいる。ぶっちゃけ、歩くと言う事は自分の体をメトロノームとして扱う事に他ならない))のですが、考えてみると、ピッチャーも構えるときに息吸って、踏み出すときに吐いてますよね?
サッカーの場合は利き足で蹴るのですが、ピッチャーの場合利き足を軸にして踏み出すから、実は動きとしては「そのまま」なんだな、と思ったわけです。
いえ、サッカーでも利き足と反対の足を使うときにこのイメージは有効なのですが。
ピッチャーの場合、もしピアノの初心者コースをよい先生に習った場合、自分のやっている事とものすごく似ていると言う事に気がつくはずだな、と思いました。
投手と捕手は指先で会話をしている、とは城島選手の有名なせりふですが、指先を扱うためには息がリズムと合っていないと体をうまく使えないわけで、その点はすごく共通しているだろうな、とおもったのです。
ダルビッシュが今リハビリでピアノをやっているそうですが、すごくよく分かるんですよね。別にピアノを習えばだれでもすごい球を投げれるわけではないですが、すごいピッチャーがピアノを習うと、感じる事はあるんじゃないのかな、と。
ピアニストも握力すごく鍛えますしね。長時間の演奏に握力は欠かせませんから。
実はこの二つの職業、似てないようですごく似ているのかも知れません。ダルビッシュが言うまで思いもしませんでしたが、少なくともリズムの取り方はものすごく共通していると言えるでしょうね。
ポップスの先生に習うとその辺、よく分かると思いますよ。
#
by kenkentype0
| 2015-06-28 13:11
| 野球
もう、全く別の楽器なわけですが。
人が弾いているのを聞いてそれが如何に違うかは常々実感していたのですが、恥ずかしながらこの年になるまで自分でその違いをあからさまに感じることはありませんでした。
せいぜい、電子ピアノって音が遠いよね~、とか電子ピアノって何か迫力ないよね~、とかそんな当たり障りの無いことくらい。
所が。
キャサリン・ロリンを初めて8日目。
やっと基礎練習の手首の動かし方の違いを大体マスターして、レパートリーの1曲目と2曲目をちゃんと指定店舗通りまで忍者方式(笑)で引き上げてみたところ。
いや、これ、全く違う楽器だわ。
まず電子ピアノの音はショボイ。これはどうしようもないくらいショボイ。楽器が響いていないのだから勝gないけれど、どのタイミングで音が出るのかが、弾いてて一切分からない。いや、分かるのだけれど、アクションがどう起こっているのかが分からないから、下手くそな私が弾くと力の加減が全く分からない。
それに対してアップライトピアノですらアクションはあるので、ハンマーがどのタイミングで弦を叩いているのかがハッキリ感じられる。
そう、キャサリン・ロリンの凄いところは、ハンマーの重さを手首が実感するようになるところにあるのだ。
ピアノ弾ける人達に言わせると今更何を言ってるんだ、と言う所らしいのですが、これ、声楽で言えば「お腹を使って歌えるか否か」という死活問題そのものなので、なるほど道理で、これが分かってなかった僕はピアノが楽しくなかったはずだ、と言う事がよく分かりました。
昔は思ってたんですよ。下手くそだったらどんな楽器を使っても同じだ。どれも下手くそだ。
いやいや、大間違い。本当にピアニストを目指すんだったら、グランドピアノは家にもっていた方が良いですね。せめてアップライト。電子ピアノでやっても、ハンマーのアクションが一切感じられないですから、いくらやってもうまくならないですよ。
うまくなったら経験値で音を出せるようになるはずです。
それにしても、最初の一週間は一切加速が出来ず(つまり忍者方式以前の問題。それぞれのタッチがどうなるべきかが全く見えてないのだから。この点、ロリンのことをよく分かっている先生が教えたらもうちょっと早く済む・・・かな?よく分かんないや。感覚の問題は結局自己のなかでしか解消されないよね。僕が教師無しで1週間で何とか最低限の基礎テクニックのことが分かり初めて来た(因みに手首のローリングはまだ怪しい。3拍子でテンポ60とかでやっているので・・・スピードアップできる徴候がない)からと言って、それが全員そうなるとまでは言えない。
なにはともあれ、今まで根拠無く「ピアノはせめてアップライトから買った方が良いよ~」と言ってましたが、今やハッキリと根拠ある状態で言えます。
電子ピアノは一通り全て分った人の遊びの楽器です。最初から電子ピアノでやると、普通のピアノが弾けなくなります。
ご注意ください。
#
by kenkentype0
| 2015-06-16 10:52
| 音楽の話