おそらく日本国籍を持った日本人はほぼ全員夫婦別姓にしない、からなんだよね。
で、外国人の人達だけが夫婦別姓で家の表札を作ったり、子供に片親の名前を名乗らせて、参観日に出席にした親と子の姓が共通しない、と言う事が起こる。
あまり言いたくないんだけどさ。
これって、あからさまにいじめの原因になるよね。
いくら政府が認めた、と言っても、親と子供の姓が違うと言うことは「自分は外国人であると主張している」事につながるわけでして、この国の歴史でそう言う行動を取った人達が阻害されなかった事って、実は聖徳太子の時代から無いわけです。
いろんな人がこれを試みていると思う。合法であれ、非合法であれ。
しかし結局、自分が負うリスク、家族が負う負担、地域社会との関係などを考えると、逆に不利になることばかりじゃないのか。
郷に入ったら郷に従え。
有文律をいくら変えても、その国の不文律って、変えられないものなんですよ。この国の天皇制がそうであるのと同じように。言ってみればその国の魂のようなものなので。
まあ、通したければ通せばよい。
おそらく、国の統治として役に立たないばかりか、要らない波を立てて終わりだろう。
世の中には静かに幸せに暮らしている人達もたくさんいる。
そう言った人達を無視して自分たちの理想の国を作るのも、良かろう。
ただ、全ての「同胞」と思っている人達が賛同して動くと思っているこの脳天気はいったいどこから来ているのかは、誠を持って謎である。
個人的な経験から言って、「頭が良いことによって成功した人」は基本的にバカである。
本当に頭の良い人は、成功を求めない。それが自分の生活を楽にしても、人生を楽にはしてくれないことを知っているからだ。だから、本当に頭の良い人は中庸を選ぶ。
中庸。
日本人が忘れ去って久しいこの言葉にはしかし、いかなるものにも変えがたい、生きるエッセンスが詰まっている。(僕が言ったんじゃないよ、念のため)
騒いで旗振った方に人が付いていくのは、いかなる民主主義型政治の末期にも起こることであるが、実際にそれを横目で見ていると、そろそろそれにも終わりが来ているように思われる。
アメリカ人ですら、アフガン侵攻に疑問を持つ時代。帝国主義ですら、形を変えないといけないのではないかと思う時代。
全てはインターネットという形の媒体により何千万人の人が読まれるかどうかなど気にもせず、似たような事を飽きもせずに書いているから起こることだろう。
僕もその何千万の人達の一人として、せめて自分を「十把一絡げの」国民と言う枠に縛り付けようとする正義の味方達に対して抵抗するしかない。
今の世の中、正義の味方が多くてしょうがない。
分かりきっているはずなのだが。正義の味方が現れるためには、悪の存在を作り出さないといけないと言う事は。
彼らの望みは、戦争が起これば簡単に叶う。だが、彼らは世界の平和を望んでいる。
正義の味方になりたいと言う人は、そもそもその存在自体が矛盾している。
人は楽になりたい。善と悪に分けてもらって、自分は善のおこぼれが欲しい。もしくは善そのものを自分で体現したい。僕だってそう言うところがあるという自覚は当然持っている。
だが、世界は複雑なのだ。タリバンが善で、アメリカ軍が悪だと信じ切れるアメリカ人は、実際のところほとんどいない。ただ、引っ込めた拳の納め所がないこと、何も手に入らなかった事に対する憤り、自分たちの善が相手にとって必ずしも善で無い事に対するジレンマ。
そう。不文律に有文律を押しつけても、結局その国はいうことを聞かないのです。
正直、僕の中ではこの夫婦別姓の問題は、アメリカ軍がアフガニスタンにやっていることと同傾向のにおいがする。
名乗りたければ名乗ればよいと思う。
ただ、それを法律で決めてしまうと、そこに差別が表面化するのだ。断言して良い。アメリカ軍に協力した村がタリバンに焼かれるのと同じようなことが起こるだろう。事の大小はあれ。
そう。多分、学校に行った子供が、親に言えないような陰湿ないじめに遭うぐらいのことだ。その子供にしか分からないような、言い出すのも難しい、いじめとも言えないようないじめに。
そのいじめの名前は疎外感。「みんなと一緒」でないことの苦痛は、学校ではすさまじい。日本の学校に行っていて、そのことを知らない人などいないだろう。
それが小さいか大きいかを判断するのは大人だろうが、僕にはとても大きな事のように思える。
もちろん、それが狙いなのだろうが(違うのだったらごめんなさい。ただ、これが違おうが違わなかろうが、そこに顕在化する結果は同じである)、それで誰がいかなる利益を得るのだろうか。
「私はそうではなかった」
その主張は分かる。だが、大多数はそうだと思うよ。
頭の中途半端に良い人は、いずれにせよ社会の中で疎外感を持ってしまうものであり(世の多くの東大生がそうであるように)、それはその人を成功に導くことも多くあるけれど、多くの場合人生においてその人を孤独にする。
楽な生活、孤独な人生。
この二つのジレンマについて、中途半端な頭の良さで考えたあげく辿り着きそうな結論の一つだ。
今政府を動かしている人達は、こういう孤独を抱えている人が多いのだろう。
まあ正直、東大生の考えていることは大体において他の学校の人にはよく分からないことだ。(一部の「本当に頭のいい人達」を除いて。彼らはおそらく自分の頭が良いとすら思っていない。)
だから、彼らの孤独を理解してあげることはとても難しい。
いっそ、自分が「本当に頭のいい人達」と比べればバカも同然、と認めてしまえば孤独感もなくなるのにね。頭が良いことにしがみつくなんて、バカのすることじゃないのかい?
ぶっちゃけ僕は、夫婦別姓をしたい人がすること自体は、全然問題がないと思っている。と言うか、僕の師匠も、自分のコンサートのチラシは旧姓で名乗っているし、世の中の声楽家の90パーセントはそう言う人ばかりである。
ただ、それを「法律で認めるか否か」という議論に意味を持たせようとするその試みに、共感はおろか、いかなる理解も示さない。
別に、法律なんてクソ喰らえ(失礼)と言っているわけではございません。
ただ、その「権利」にいかなる意味を与えようとしているのか、そこが完全にブラックボックス状態である以上、反対せざるを得ないのです。
平たく言うと「言っていることがよく分からないから反対します」と言うことです。
そう、僕ってバカなんですよ。今更ですが。
相手の言っている事の意味が分からない場合、誰にその意味を聞いたら良いかが分からない以上、賛成することが出来ない、と言っているのです。
きっと自分は頭が良い、と思っている方々は、自分の中にきっちりとした式が出来上がっているんでしょうけれどね。でも、僕はその説明を今まで人にされたことがありません。
新聞であれなんであれ、その法律の意味するところを「誰もが知り得、また誰もが知りたがる形で」きちんとこちらに説明してくれない限り、賛成できないんですよ。
どうもね。
私怨の延長線上のようなものの匂いがぷんぷんする法律なんですよね。
高くて良いじゃない、「日本人」であることのハードル。少なくとも一億人超の人がそれを超えているんだから、十分じゃない?
せめて、「何を言っているのか分かる」ようにして欲しいですね。
俺がこう決めたから従え、では誰も付いてこないですよ。
これもまた、言うまでもない事だと思うんですけどね。
利益の出ている会社じゃあるまいし。
国の運営と会社の経営を一緒と勘違い「させよう」としているのではないか。
この辺、経営学の教授達はもっと大きな声を上げて「会社の経営を学校の経営や国家の運営と一緒にするな!」と言って欲しいんですけどね。(独立採算制にして日本の大学制度は崩壊した。アメリカの大学院に留学できる気力と体力と知力を兼ね備えた人間の数が、先進国ではこの国だけが減少している。頭だけ良くなっても、気力と体力がなければ戦う事は出来ないのだが、学校側が卒業認定を乱発せざるを得ない状況の現在において、ハードルを越さないまま卒業する人間の数が増えた、というよりは全員がハードルを取り払われてしまった。同じ授業を繰り返し取ることを、もしまたお金を払わなくてはいけないとしたら、誰がするだろうか?またこれが、語学学校と称するところに行っても、ほとんどの人が語学を習得できない理由である。剣道の達人が少ないのも同じ。素振り100万回は、多くの人にとって、やりたくないことなのだ。)
人の心はお金では教育できないよ?(まあ、奇しくも横綱がそれを証明してしまったのは事実だが。それでも、「教育していないもの」を「教育されていない」と非難するのはお門違いである。)
これも資本主義国家の悪弊の一つなんだろうか。
しつこいが、お金は生活を楽にするが、人生を楽にはしてくれない。
それを無視して行こうとすると、後で必ず苦しくなるだろう。
タイガー・ウッズ見てれば誰でも分かることだと思うがね。
話がまとまらないね。夫婦別姓の話はどこに行ったのか。あ、途中で結論したのか。途中でお金の話になっちゃったんだね。今の偉い人が政治は金で動くとか言い切っちゃうからそう言う流れになっちゃう。
明日食べるものが無いのはいやだ、と言う事には大いに賛成します。(何か昔岩手に関してそう言う事を行っていたような気がする、ぐらい。フロイト的にはこの記憶は捏造されている可能性が高い。僕の中でまだ彼の中に残っている期待、つまりまだ人間捨ててないですよね、みたいなものがその記憶を捏造しているのかも知れない)
それ以外は、特に。お金で動いちゃうような政治って、自民党と一緒ですね、とか、むしろ額に関しては国民が批判していた自民党より遙かに多いですね、とか、いっそのことそれを口に出しているのは潔いかもね、とか、それにしてもそんなにお金を集めてそのお金で何をするつもり?とか、疑問は色々あるけどね。
とりあえず僕は小沢さんに向ける石川議員の卑屈な笑顔が嫌いです。きれいな顔なのにね。あの笑顔は嫌い。好きな人の気持ちが分からない。あの顔を見て殴りたくならない小沢さんの気持ちはさらに分からない。ヘイコラされる事がそんなに嬉しいんでしょうか。そう言う人もいるんでしょうね。ああ、いるかもなあ…
なんだか本当にとりとめもないな。でもまあ、これだけ書いちゃったし、アップします。
今日はこれでお休み-。