まあよく言えたもんだと思うが、どうも統計的には日本人の40パーセントぐらいがそう思っているらしい。驚異的である。(あくまでタイガー復帰OKと言う日本人が8割、国母がダメという人が6割という前提に立つとそう言う事になるのだけれど。まあ統計なんて、特に人の気持ちに関してはでたらめも良いところなので何も信じるに値しない)
ウッズがいかに立派な会見をしたとしてもあの10人以上名乗り出た愛人のうち何人かは本物であろうし、離婚すればイメージが良くなるかというとそう言うわけでもないし。
しかし彼は外国人であり自分たちを代表していないから、どのような発言も行動も許されると言う考え方がこの国では明らかに一般的だ。
国母の年収とタイガーのそれを比べてその境遇を考えると、明らかに国母の方がかわいそうなのだが。
そりゃまあ石川遼はよいしパトリック・チャンの受け答えも完璧だと思う。国母の方があの人達より2才年上なのだからそれ相応の受け答えが出来るべきだと言う意見があるのも分からなくはない。
だが忘れてはいけない。パトリック・チャンは貴公子だ。ここまでの人生完全に勝者である。つまり100点満点のしゃべり方を生まれながらにして身につけているようなものだ。石川遼だって似たようなものである。
では国母はどうか。
思うに、批判している人の多くがこの点に気が付いていないのだが、そもそもの生まれ出た環境から考えると、明らかに国母の方が「庶民」であり、僕らに近いのだ。
こうなってくるとこれはむしろ「近親憎悪」ではあるまいかと思うのだが、どうなのだろう。
タイガーも生まれに関してはハッキリ言って良くない。どうして言い切れるかというと、彼の言葉使いや態度は、正直あまり良くない。むしろ品は悪い方だ。でも日本で報道されるときに、なぜか彼の言葉はとても上品な言葉に訳される。同じことがベッカムにも言える。ベッカムはイギリスでは明らかにかっこいいけどアホキャラだ。喋っているのを聞いていると本当にそう思う。憎めないのがすごいところだが、アホさ加減ではイタリアのトッティと双璧である。
でも、多くの人がその事実を知らない。彼らの言葉使いが国母のそれとほとんど変わらないのを知らない。
彼の言葉使いは、まあ、大人としては、ダメなんだけど。
とりあえず今の時点で、自分の全生活と全能力をスノーボードにだけ傾けて、そこで生き死にやっている人間が「今後変わらない」と決めつけるのは、本当にひどい話だと思う。
おもしろいなあと思ったのが(本当はおもしろいと思うはずがないところなのだが)、彼のお父さんが「これで二度と五輪はないだろう」と言ったことだ。
どうやら国母選手は親が思った方向と違う方向に育ってしまったらしい。あの言葉を聞く限り、コミュニケーションが取れている愛情を感じない。
で、これの何がおもしろいかというと。
うん、まあ、あれだ。親子で同じことやっていてすら、このように意見がすれ違うことって、まあ、あるよね。
もう国母選手からスノーボードを取り上げることはお父さんには出来ない歳だし(もしそんなことを本当にしようとするのなら周囲は止めるべきだな。死ぬまで後悔する仲違いが起こるだろう。まあ、どこでもある話だが)、国母選手は自分の言葉が自分にどのように返ってくるか、そして自分がそれをどのように受け止めていくかをこれから学んでいくのだろうから(それにしても「辞めろ」という人が多いのはおもしろいね。「死ね」と言っているのと全く同じなのだが、寂しい話だ。今の彼からスノーボードを取ったら何が残るだろう?)
むしろ人生が順風満帆だったタイガーがあの歳でこのような不祥事にまみれたことに比べれば、国母の話など小さいことこの上なくて本当に寒い話なのだが、むしろ人が変わることを信じない所か許さない近年の傾向はもう「だからダメなのよ」というレベルまで堕ちている。
一回ダメだった作戦の精度を高めて再び同じ方法でチャレンジしても相手はそれを上回ってくると言う事を失念しているのはサッカー日本代表ですね。外に叩いてセンタリングを繰り返すだけ。繰り返せば相手が消耗するとしても自分たちも消耗すると言う事が頭から抜けているのが見ていてもはや滑稽だ。うまくいくのは、攻撃の精度が相手のイメージを上回ったときだけ。意表を突くのと比べると成功する確率はないに等しい。(そういやバレーでも同じことをするよなあ…やっぱり国民的体質なんだろうか。まじめすぎるというか、遊びが足りないというか。)
人間は変われる。
そのことを否定するような人とは、付き合わないことだ。
必ずどこかで破綻が来るからね。
オバマが言っていたことは、物理的現実的にはともかく、精神論としては未だに大いに有効だ。
僕らは変われる。変われるんですよ。
それを信じられない人は、残酷ですね。
ダスティン・ホフマンが先日アクターズ・スクールでの講演で最後にキレ気味に喋っていた。
『10年後の生活はどうするとか、そんなことを考えてはいけない。とにかく演技をすることだ。仕事なんか絶対にするな。仕事をしたら君たちは「死んでしまう」のだ。人は変われる。僕は変われると信じている。』
多少支離滅裂だが、言いたいことはよく分かる。
自分が選ばれた人間かどうかなど知らない。
ただ、自分の中に蜘蛛の糸が見つかったら、それを辿って天まで昇るだけ。
ダスティンの場合、成功していたから言えると言われればそれまでだが、彼は成功していなくてもおそらく役者を続けていただろうし、自分自身そう言っている。
少なくとも国母の中には他人から見ても蜘蛛の糸よりも太い可能性の糸が見える。
それを自分自身が信じられるのならば、彼は続けるだろう。
そのことを他人が妨害する権利など、無い。
マスコミが一度「つぶす」と決めると本当に怖い。
僕は、あのバックツイストを、もう一回ソチで見てみたい。
喩え、ホワイトが雲の上の存在であろうが、そんなことは関係ない。
一人一人が輝いている、それがスノーボードの醍醐味だろう。
…ま、それいったら本当はメダルの数なんて本当にどうでも良いんだよな。その人がその人のままで輝いて、それが僕らに誇りを感じさせて、勇気を与えてくれれば。
もちろん、取ってくれればそれはすごく嬉しい。高橋大輔が歴史に名を刻んだのは事実だし。だが、それはmustではないだろう。
とりあえず、メダルメダルと連呼するのは辞めてほしいですね。
いい加減、本当に耳にたこができそうです。