そう思えるくらいには楽譜が読めるようになって来たようです。
歌バカをやってかれこれ20年近く経ち、さすがに楽譜を隅から隅まで読めるようにした方が良いと思うようになりました。その方が練習も遙かに少なくて済みますからね。
さて、今まで色々楽譜やらピアノについて書いてきましたが、結論から言って「アレルギーが起こっている状態で覚えたことは基本的に使えない」という、余り笑えない事実に行き着きました。
歌はなんだかんだ言って練習量でカバー出来てしまう種目(笑)なのですが、そのやり方だと本番終わった後3週間したら忘れちゃうんですよね。むろん、またやればすぐに思い出すのですが、それだとちっとも能動的に音楽に関わる事は出来ませんよね。
それでも、四六時中関われるのならば問題はやっぱりないのですが、やはりそういう所に我が身を置いていないものとしては、楽譜の読み方をある程度極めないと話にならない、という事実に行き当たって早3年。
そしてこのたびグルテンフリーをやって、ついに僕も楽譜を読めるようになって来ました。
ちゃんと読めていると、歌う時に頭の中で引いてもらったことがない伴奏でも響いてくるようになるんですよね。これは本当に便利。
読めるからと言って、笑っちゃうくらいピアノでは弾けないのですが、読めてれば弾けなくてもまあどうにかなる、と言う事にも行き当たりました。読めて弾ける人は?弾き語りが出来ます。これ、出来るに超したことはないのですが、必要はないんですよね。
ものすごくぶっちゃけると、楽譜を一切読めなくても歌は歌えるのですが、このたびグルテンフリーをやる事により楽譜が普通に読めるようになった、と言う事を恥ずかしいとも思わずご報告いたします。
昔教わった先生に「楽譜というものは隅から隅まで読んだ後に、歌う時にはまるでその言葉を今思いついたように、楽譜のことなど全て忘れて歌うものなのです」と言われて、実際舞台に出ているときは出来た気になっていたものですが、いざ読めるようになってくると「なるほど、実は相当難しいこと言われてたんだな」と思うようになりましたね。
アーティキュレーションは邪魔しない。でも心に葛藤を生む。結局思った通りに歌う事しかできないが、果たして自分の感情が溢れ出したと思っているその音は、実は楽譜に書いてある通りのアーティキュレーションであることがほとんどである。
ここが名曲と呼ばれるもの達の魔力だなあ、と、まるで歌を始めたばかりの人のようなことを今更ながら思ってしまうのです。(実際には初心者がそんなことを想うのではなく、先生がそこに誘うわけだ)
感情に従って言葉を旋律通りに紡ぎ出す(あくまでつもり、である。実際にそんな事は滅多に起こらない。あくまで場に居続けようと意識するけどね。そうすれば少しはそこに幻影を作り出せる。)と、楽譜に書いてある通りの事をやってしまう事がほとんど、と言うのがつまり、クラシックの面白い所なんでしょうね。
楽譜に書いてあるとおり機械みたいに歌う、なんてことは人間はしたくないはずなのに、結局楽譜に書いてある事をやってしまう。
示唆に富んでいるからなのか、自分の発想が貧困だからなのか。名曲と呼ばれるもの達の中に「もうちょっとこうしてみれば?」と思うことはまずない。大抵の場合、それはあまり意味のない逸脱に過ぎない。様式美も含めて、書かれなくてはいけないことは全部書いてある。
読めば読む程、スルメのように味が出てくる。
それが楽譜の面白さなんですよね。そして、先生はそれを、教えることが出来ない。本人が面白いって思わないと、そこには何も生まれないのだから。
今更のように楽譜を読むのが面白くて、ちょっと大変です。意外と覚えられるものなんですねえ・・・読むだけで。音にするより遙かに情報量が多いんだな、これが・・・頭に鳴っている音は無限大ですからねえ・・・
気長にやります。