今日は学校の仲間がやっている室内楽のGP(つまり本番前の現場での通しの事を指す。ゲネラル・プローヴェと呼ばれ、実はイタリア語のプローヴェ・ジェネラーレがその語源をなすのだけれど、日本にクラシックが入ったときオーケストラの主流はドイツだったため、いまだにこのイタリア語のドイツ読みがそのまま日本での本番前の通し稽古のときに使われている。あれだ、ベートーヴェンなのか、ベートホーフェンなのか、と言う違いとあまり変わらない)に行ってきました。
この曲は僕にしては珍しく、特別な思い入れがある曲です。なぜならば、よくも悪くも、ぼくがクラシックがおもしろい、と初めて感じた曲であるが故に。
なぜか。
今日聴いてみて思ったのは、やっぱりその構成があまりにも「歌」だからなんですよね。弦楽器を使って「歌え」と言われたら、この曲ぐらい歌いやすい曲はおそらく無い。
ただ、歌いっぱなしになってしまう可能性はありますが。それでもいい曲だなあ、と今日聴いて改めて思いました。
ただ、録音ばかり聞いていた16歳の頃、僕の耳は壊れていたなあ、と思う。生の演奏を聞いたことがあるものを録音で懐かしむならまだしも、録音でしか会えないプレーヤーはね・・・学ぶところがない。
やっぱり、本気で音楽をやるのなら、録音には一切頼ってはいけない。150年前に録音無しでも出来たのだから、今でもできるはずで、それ以上のことはクラシックには求められない。
結局、今のポップスがしょうもないのも、録音から音楽を作っているからである。
釘は鉄から創れ。釘から釘を創るべからず。
芸術の鉄則のひとつである。