鉄パイプを持って老人に殴りかかる少年に対して「未必の故意」が認定できないのなら、もはや「未必の故意」という言葉に意味は無い。
「殺意」が無くても「死ぬかもしれない」と言うことは想像できた上での行為を「未必の故意」というのであって、中学生にもなってそんなことが想像できない人間は精神薄弱であるから一生病院にでも閉じ込めるべきであり、そしてこの犯人がそうではないことも分かっている。
去年の11月に起こった少年によるホームレス殺人が1月の時点で少年院送致という、ほとんど無罪に等しい判決で済んでしまうような国に今ぼくらは住んでいる。
言い換えると、身近につい最近殺人を犯した若者が歩いていても何の不思議も無い国に住んでいる、と言うことだ。
そのことへの自覚は必要ですね。