というわけで2巻です。
ネタばらしになりますから読んでなくて読む気がある人は飛ばして
第一話のイメージは強くシューベルトの「冬の旅」から来ている。まあ、好意を抱いた従妹と初めて聴いたレコード、というプロットから見て途中から「そうなるかな」と思わせる筋書き。
しかし24番目の「ライエルマン(手こぎオルガン師)」の世界観をこうやって描かれると「ああ、そういえばこういう内容なんだよな」と改めて思うわけです。
ぼくはこの曲が戦後に流行った理由は(今の70才以上の高等学校出の人は大抵知っている。あの時代はこんなものをみんなで歌っていたのだ、ということを思うとまるで異国のことを想像しているようではないか)やはり「痛みを知ってしまったもの」達が共通体験を乗り越えるために覚えたのだと思う。
しかし、改めて今こうやって見せられると、必ずしも違和感が無い。つまり、時代の周期としてまたこうしたものが歌われるところに来ているのかも知れない、と思う。考えてみれば、プライ、ホッター、ディースカウあたりが歌いまくっていた時代から30年ほど経つ。いまの人たちはこの曲がどんな曲であるかすら知らない。(いや、むしろ僕が知らない、ということを今更ながら知ってしまったのだが)
しかし、話を長崎と重ねるのはきっと作者の故郷に由来しているのだろう。広島や長崎に作家として生まれると、なかなかこの話題は避けて通りにくいものである。
ちなみにこの巻で一番のお気に入りは「タマラとドミトリ」。ほとんど宗教的ですらある。
少女の望まない結婚式。それは彼女が14歳のとき。男は36歳。彼らの部族、ララ族のパイロットが樹海を飛ぶときの心のよりどころである灯台、その「跡継ぎ」を生むために彼女は男に嫁ぐことになっていた。
しかし子供の彼女は外の世界を知りたいと思う。結婚式から逃げ出そうとする彼女。逃げ出そうとして森に入ったところ、その少年と出会う。
彼女は少年に向かって語りかける。彼女の一族、ララ族には言い習わしがあると。いわく、「人は闇の中に光を求め、光の中に暗闇を探す」と。
彼は言う。「10年後ここを出たいと願うのなら」外へ連れて行ってあげようと。花婿は荒々しく花嫁を連れ戻し、少年は祝福のために踊る。彼女の心はまだ見ぬ世界に踊る。
そして始まる代わり映えの無い毎日。恐ろしく見える夫。定期的に飛んで来ては小包を落としていく「友」。彼らの生活はそれだけで淡々と過ぎていく。それは永遠に思えて、一瞬のうちに過ぎていく時間。
10年後。彼女は彼との約束どおり北に向かってそりを走らせ、「青年」と再会する。闇の中を走るそり。そのそりは光に包まれる。
「出口だ!」
しかしそれは彼女の家である灯台から照らされる光。走るのをやめる犬達。飼い犬たちは知っている。主人は彼女ではなく男であると。
青年は言う。「心からここから出たいの願うのなら、連れて行ってあげよう」と。連れ戻しに来る男。しかし男は一言も責めない。それが彼女の心に波紋を浮き立たせる。
男は何を思って一言も怒りの言葉を発しないのか。
そしていつしか時は経つ。男は彼女無しではもう普通に生活することも出来ない。
もし彼女が心からそこから出たいと願うのなら出る事も出来たのだ。もはや子が生まれることも無いだろう。こうした生活にももうすっかり慣れてしまった。ただ、時々外の世界を知りたい、という思いが心をよぎる。
今が出発のときかもしれない。
旅立とうとする彼女に、年老いた男は一言も抗弁することなくその手に何かを包ませる。
それは今年初めて雪を割って咲いた花。男はそりにけりを入れる。まるでそれが彼の意思であるかのように、そこには一片の迷いもない。それがそれまでの彼女の男への人生への報いででもあるがごとく。
闇の森へと走る犬達。彼女はその包まれた手を広げる。
彼女は見る。その手のひらにのる花たちは「輝いている」。堰切るように溢れだす涙。
彼女は知る。彼女が光の中にいたことを。男とともにする生活、それこそが光であったことを。
彼女は知る。彼女は彼を「愛して」しまったことを。そして、もうどこにも行きたくないことを。
見上げるさきには、雪の中に佇む「少年」。そのさまは明らかに「人」ではない。
彼女は溜息をつく。
少年は問いかける「きみは光の中に闇を求める人間だろう」
微笑む彼女。「あなた、やっぱり人間じゃなかったのね?」
微笑む彼。
再び変わらない厳しい北の大地の生活が戻る。そして時は刻まれていく。
デジャヴュのように繰り返される機影を作ってきた友も、彼らとともに年老いていく。一族は徐々にその数を減らしていき、もはや数えるほどしかいない。
これでもう何度目だろうか、これが最後だと言う友からの定期便小包。
「ドミトリによろしく。滅び行くわが部族よ、永遠なれ」
パイロットは万感の思いで機首をめぐらす。
小包を受け取ったタマラ、いつもより奮発されたその中身をドミトリの「前」に並べる。
彼女の前に立つのは木製の十字架。それは花冠を捧げられ。彼女はドミトリに「向かって」こうつぶやく。
「もうどこへも行かないわ。私はあなたのそばにいる」
そして再び時は経つ。いつしかすべては忘れ去られたかのように。
今、北の大地には誰が立てたのか、もはや誰も訪ねることの無いその土地に、もうひとつの十字架が隣に立った十字架と同じように花冠を捧げられ、仲良く寄り添うように立っている。
・・・きっとあの優しい少年が、彼らの一生に敬意を表して立てたのだ。
美しい、美しすぎる。山下和美ならではの流れるような話の筋。この話を読んだだけでも山下和美のファンでよかったなあ、と思ってしまった。
あまり勝手に自分の言葉で表すのも何かと思ったんですが、(それと思い出しながら書いているので、きっと意味は同じでも違うセリフを書いてしまっている)楽しかったもんで、つい・・・
いやね、絶対本物のほうが面白いから。読んでくださいね。僕には一文も入りませんが。読むべきだと思うんですよ、老若男女、あまねく人々こぞりて読まん、という感じ。
第2話の「ソクラテス」もすごくいい。思わず本棚からプラトン「ソクラテスの弁明」をひっぱりだして読み返してしまった。で、思ったんだけど、やっぱりこの手の本を理解するには他にその本を読んだ人の話を聞いたりディスカッションをしたりするのが良い。
しかしどの話も「タマラとドミトリ」ほどのインパクトは無かった。もう、読んだだけでロシア民謡を歌いたくなる感じ。「ステンカ・ラージン」のイメージが伝わってきたね。(いや、あれはむしろロシア民族とタタール人との「断絶」の歌なんだけど。分かってください。あくまでイメージ。)
ここまで読んで分かるのは、この不思議な少年は「永遠」がテーマ。まあ、主人公自体が不滅の存在であるから、当然「何を持って人は不滅となるか」というところに話は行くわけだ。
非常に深い、かといって昨日言ったように「難しすぎる」ことも無い、人生の教本のような漫画。相変わらず「ほー」っと思ってしまう、そんな人です山下和美。
キリが無いね。今日はここらへんで。