新聞がおかしいなー、と思うのが、長崎の市長銃撃。
あれ、テロですよ?なんでテロって書かないんですかね?
もうひとつ。彼がああした目立った場所で市長を殺害したことについて。
あれはつまり彼が「俺のしたことは正しかったんだという事を目に焼き付けておいてくれ」という甘えの精神構造があったのではないか。
彼の中では彼は社会に認められていないけれど認められているんだ、と言う強い意識があったのは間違いない。
これはマフィアと決定的に違う。日本のやくざとイタリアマフィアの決定的な違いは、マフィアは「占領している地域」があり、そこでは警察が役に立たないところである。彼らはそもそも世間にそもそも認められようなどとは思っていないのだ。ただ、自分たちのテリトリーは神域である。それが犯されたときには激しい抵抗を見せる。ひどい時など軍を使って制圧するぐらいだ。そういうときには何十人と人が死ぬ。
日本のヤクザはそうした自分たちの領土を持っていない。だからこそ、周りから見たら馴れ合いに見える状況が起こるのだろうね。彼の中では「自分達に都合の悪い君主を公衆の面前で討ち取った」ぐらいなんだろう。
どうなんだろうね。多分、「何事も無かったかのように」市民生活は送られるのだろうけれど、本当に何もしないと、よくないことがまた起こっても文句は言えないように思われる。
最後にひとつ。県警が事件を「市長の四選阻止を狙った犯行」と決めたのはネタですか?容疑を絞らないと立件できないのは分かるけれど、逮捕当初に彼が「公共事業で自分の知り合いの建設会社が外された」のが理由と自供したのは無視ですか?
どうもね。日本社会、日本人にもよく分からなくなってきてます。もともと「分かる、分からない」ではなく「溶け込む」文化であるとはしてもね。「選択された」市民の代表は「選択」を迫られてしかるべきなんですよ。何のための民主主義か、もうちょっとその良さを生かしたいねえ・・・