当たり前だよね。小説ってのは実際に起こった事を物語として描くのだから。実際に起こったことよりも変わった事を書くこと自体土台無理な話です。
・・・なんでこんなことを思ったかと言うと、ニュース見てて「ああ・・・こんなB級小説よくあるよなあ・・・」と言う話が最近ちょっと多すぎませんか?正直こうなってくると資料集めは誰でも出来るから、後は人間の内側をどれだけ掘り下げてかけるか、というところが興味の対象になってくる、のかな?
最近、新しい人の小説って読まないね。でも、マンガの方が面白いのは、ストーリーテラーとして優秀な人たちがマンガの方に流れているからでもあるんだよね。それは他の国ではまず無いことだ。他の国ではマンガは風刺のネタであったとしても、物語を伝える媒体ではないから。日本のマンガは、文化の粋に達している。
マンガ喫茶に行くと自分が手に取ったマンガが実は描かれているものの1万分の1にも満たないことが分かる。しかもその内ほとんどが自分の興味を引かない。
これがマンガの弱点だといわれているけれど、実は文章だって3秒読んだら吐き気がするものは世の中にたくさんある。本屋に平積みされている本のほとんどはそうだ。そして自分が手にした本なんて、恐らく実際に出ている活字の1000兆分の1にも満たないだろう。でもまあ、今まで読んだものが1000兆分の1だろうが1万分の一だろうが、どちらも今後自分の一生を使ったところで到達しない数字だ。そう考えるとマンガがカルチャーとして攻撃される理由が良く分からない。
最近は字の多いマンガが多い。その昔その人たちは小説を書くのに向いていた人々だと思う。ただ、今の時代小説では多くの人の目に触れることは無い。だから自然、マンガで字を書く。本末転倒かもしれないが、時代の流れに沿いながら生きていくのなら、それが一番自然なのだろう。
それでもヘミングウェイは面白い。面白い小説とは、面白くないものと紙一重だと思う。
だから今の小説家には本当に面白いものは書けない。今の時代、面白くないマンガは生き残れるが、面白くない小説は生き残れないから。
マンガなんか読めるかといって、古典ばかり読むのも辛いでしょ?ぼくらはディケンズやドストエフスキーの時代に生きているわけではないから。
きっとぼくの知らないところで、下手すると世界の知らないところで、とんでもなく面白いものを書いている奴がいる。きっとそいつはこれからも知られることなく生きていくことだろう。そう考えると、ネットがいくら発達しても、ぼくはいつまでたっても見えていないも同じだな、と思う。
結局のところ、事実はマテリアルに過ぎない。
事実は概して面白すぎる。面白すぎることは話にはならない。人の心に毒にはなっても薬になることは珍しい。だから、事実は小説よりも奇なり、で良いのです。