この行動自体にはあまり意味が無いとは思う。40人中5人がいじめていないことがわかっていたとして、後の35人の中の犯人を割り出す具体的な方向は何も示されない。
ただ、この校長先生の間違っているのは、この遺族のお父さんは別に他の生徒達を一括りにはしていない。ただ、その35人の中に「いじめた奴がいる」といっているだけだ。これは基本的な集合の問題。もし自分が言っている事を本当に信じているとすれば中学受験すら受からないだろう校長先生。本当に見えないのは誠意。お父さんが見せたかったのは恐らく、あきらめないことの意思表示。
実際のところこのお父さんは、誰がいじめたかをこの5人からすでに聞いているのだろうね。それが透けて見えるがゆえに、そしてこの5人が彼に犯人を伝えるという行動を取ったこと自体は彼にとって何の救いにもならなかった、むしろ心の病の種となったという事実が非常に痛ましい。
真実が人の心を救うとは限らない。彼女達はまだその事を知らなかったのだろう。
間を取って丸く治める方向性がもはや無いように見える。こんな事をしても誰の命も帰ってこないけれど、それをせざるを得ない。それがよく分かることが、悲しい。