この3ヶ月延々と色々聞きまくって発音は真似できるようになりました。
はっきり言って、意味を理解して歌うためだけなのならもうこれ以上勉強する必要は余りありません。
しかし。
ここまでやってしまった以上、やっぱり喋れるようになりたいじゃないですか。
で、考えたんです。何でこんなに聞いても自分から言葉が出てこないか。イタリア語もドイツ語も聞けばほとんど喋ることが出来たのに。
答え。
フランス語は、書いたことが無かったんだよね。
英語も考えてみればそう。中学のときバカみたいに書きまくっていたから、高校になってアメリカに行った後しゃべれるようになったんだ。
で、寺の小坊主よろしくこの1週間ノートを真っ黒にするぐらいの勢いで書きまくっているわけです。
写経って良いですよね。
何が良いって、手本をひたすらなぞると自然に眠くなるじゃないですか。きっと、うるさい坊主どもを屁理屈から解き放って眠らせるために写経があったに違いない。
ちなみにバッハやヘンデルは同じ理屈で楽譜を書きまくっていたのだと思う。アレだけたくさんの音を操っていたら、眠くなる方法を見つけないと大変なことになっていただろう。
恐らく、昔の小説化が行っていた「ワープロでは決して書く事が出来ない文章」とは、こうした作業から生まれるもののことを指していたのでしょうね。人の文を集中して写していると、「自分ならこう言う」と言うものが生まれてくるのが普通の人間でしょう。
だからこそ美しい文は癒される。
トオマス・マンは自著「トニオ・クレエゲル」を友達の前で全文朗読することを生涯飽きなかったらしい。意外と言えば意外。しかしあの情けなさは、ほとんどの人にとって「ああ、私の中にトニオが居る」と思わせるこの不思議。あのトニオは、マンそのものだったと人は言う。
イかれていると思う反面、作家とは本来そういうものであることを思い出させる。
愚直であることが美徳になるとすれば、それはそのメビウスの輪からはじけだすインスピレーション。
色々手を出さず、ひとつのことを繰り返す。
最後に勝つ本当のバカは、後に天才と呼ばれる。
マンは間違いなくその部類だっただろう。
何が言いたかったんだっけ?
あ、そうか。
バカみたいに毎日写すのって、古典的ですがもっとも効果がある覚え方ですよ、ということです。
ゆとり教育はゆとり教育で「暗記がバカみたい」という固定観念が付くのだから、それを正すのにものすごい苦労をするこっちの身にもなってくれ・・・
嘘です。本当は全部自分に都合の良い言い訳なんだよね。
愚直であれとは言わない。
しかし、そこにひとつの真理があることは、否定できない事実ですね。
たとえそれがレールであったとしても、自分で見つけたレールなら、それはマイウェイ。
私のようなおろかな人間は、敷かれたレールからドロップアウトしたあげく、年を取らないとこうしたことに気が付かない。
それもまた、人生 by 秋元 康