結局のところ、脳みその使い方として一番正しいのはこれではないかと思う。
出来ていることを何回なぞっても、自己満足で終わる可能性が強い。
出来ないことを出来るようにするには、相当の努力が要る。問題は、この努力のベクトルがあっているのか間違っているのかに過ぎない。
中には天才と呼ばれる部族が本当に存在して、何をやってもテキパキとやってしまうのかもしれない。
しかし。
冷静に考えて32歳にもなって突然「自分の字は汚いから今後きれいに書くように努力する」ことを日課にしているおっさんが天才の部類に入るとは思われない。
フランス語をこれから始めよう、と言う人に注意。
フランス語はやたらppとnnとmm、eとi、この組み合わせが多い。これは何を指すか。
つまり、手書きで書くときに、ものすごくきれいに書かないと、自分で後で何を書いたかが全く判別できなくなるのだ。
これで分かったことがひとつ。
フランスからイタリアに来たと言う経歴を持つ人にある日「健ちゃん字ー汚いねー!?」とあからさまに笑われたときのことを思い出したのだ。
彼女は彼女でフランスで苦労してきたのである。フランス人もフランスにずっと生きている人間は字が汚い。かといって日本人が汚い字で何か書いても読んでくれない。必然的にきれいに書くしかないのだ。特に語学学校に行っていたのなら、そのバカにされようは大体想像もつこうと言うものだ。
人間、すぐに腹を立ててはいけない。人が人をからかうのには、それなりの理由があるのだから。
もっとも、僕はここまで字をきれいに書こうという努力を全くしたことが無かった。故に、ちょっとぐらい気をつけたからといってすぐに人から見てもきれいな字になるわけではない。
しかし。
たった一週間で、自分が一週間前に書いた字の汚さを笑うことが出来るようになった。
つまり、どれだけ努力が足りないか、と言うことだ。
少なくとも僕の場合長時間安定した字を書き続けるには、すごい腹筋力が必要だ。とすると何か、世の中の字がきれいな人はこれほどまでの腹筋を持っているのか・・・
多分、違うんだよね。ぼくは多分、上半身のバランスが人より悪いのだと思う。胸の方が肉が付きすぎていて重いのだ。
しかしまあ、一度少なくとも人が読んで読める字を書こうと決めたからには、これからも毎日最低1時間は書くことにします。
根気ってのは結局のところ、学力そのものではないかとすら思う。
少なくとも、この国においては間違っていないだろう。
・・・あー、腹筋いてー・・・