日銀総裁が不在になったことを「衆愚政治」と呼ぶ人たちがブログにいるが、それは衆愚政治と言う言葉の意味を完全に間違っている。
それはおいておくと。
・・・まさかの結果ですね。でもまあ、予想通りといえばそれまで。株価が反応しなかったことが、これが政治の本質ではないと市場が見ている証拠であり、だからと言ってどこが本質かと言う論議は、恐らく人によって激しく分かれることだろう。
内部事情を知らないと、誰が一番適任なのかはさっぱり分からない。外側からだけ見ると、前例をどうしても破りたかったから二人続けて財務省出身の人を推した、と言う風にしか見えないようになっている。
しかしまあ、これを衆愚政治と言うかと言うと、そういうわけでもない。
民主主義の数の論理にのっとって、1対1で2大政党が戦後初めて正面からぶつかり合った事件。
これを衆愚政治と呼ぶのなら、民主主義議会制度はすべからく衆愚政治だ。
経済専門にやっている人間からすれば議員はみんなアホだから「衆愚政治」と言いたいのだろうが、議員は全員アホでもないし、衆愚政治と言う言葉は議員を指して「愚か」と言っているのではない。
この言葉の意味は「議員」が愚かなのではなく「国民全員」が愚かだということです。
大き目のマニフェストにつられて出来もしない公約を掲げている党に皆が投票する。これは間違いなく衆愚政治。
あー、7年前ぐらいに起こったね。このときは新聞が「マニフェスト」と言う言葉でお茶を濁したが、あれは典型的な扇動であり、ああした状態から起こる政治のことを衆愚政治と言うのです。
確かに、出てきた結果は芳しくない。だからと言って野党が何が何でも反対したのは前例にのっとっていたのであり、最初に前例を破るなと言う警告をした野党を完全に無視した福田首相には、残念ながらやっぱり空席の責任はある。
本人も認めているものの、責任をどういう形で取るのかは、まだはっきりしていないようです。
いずれにせよ、決めるべきことを決められず、ガソリン税にいまだにこだわっている(広島は、どうなのだろう?あの廿日市に作ったまま放っておかれている橋げたは、あのままで終わるとすれば、無様だなあ・・・かと言って広島駅から牛田に向かってトンネルを作ると言う案は、作るほうにはうまみがあるかもしれないが住人からすると無駄の一言であり、つまり道路行政ってのは恐ろしいほど玉石混交なのだ)、道はどこまでも作るべきだと信じている人たちはいまだにたくさんいる、こんな状況が長く続くとは思われない。
道路の発達にしたがってバカみたいに作り変えられ、また道路の先に新しく聳え立つビルの群れ、住んでいる人間以上の住居がどんどん作られて、人々がそれに移っていって、前の建物は壊されず廃墟になって・・・田舎の風景は荒廃するのはほぼ間違いない傾向にあるが、それは30年後先のことなので誰も気にしない。
つまり、目先に囚われるのが現代の政治の傾向なのでしょうね。
そこから逃れるほどの知恵は我々にはないのだろうか。
少なくとも、それが何々政治であれ、今回出てきたアウトプットが愚かであることは認めなくてはならないのではないか。
福田さんは今にもハラキリでもしそうなコメントを残しているが、それで何かが変わるわけでもないことは、松岡さんが前例を示してしまっている。
この閉塞感、すごいね。
動いても、動かなくても、怒鳴られる。だったら大胆に動けば良いのではないか。
解散と言うナタが、振られるかもね?