まー冷静に考えたらイラクでこの5年間にイラク市民が15万人死んでいるのにチベットで100人ぐらい中国が人を殺したからと言ってアメリカにそれを非難する資格があるかって言うと、断言するが、無い。
さらに言うとイラクの占領には日本も立派に一番最後のほうまで関わっていたし(もっとも拉致問題であれほどアメリカが北朝鮮に圧力を掛けていたあの時点で日本に参戦拒否権はなかったのは事実ですが)、自衛隊が一人もイラク人を殺していないとしてもイラクでイラク人が日本人と話すと「テロリストに裏切り者と思われて殺されるから怖い」と日本人ジャーナリストと全く話してくれなくなった事実はあまり日本では積極的に報道されていないところを見ると、僕らの国の報道は本当に公正と呼べるかというと、微妙。
NHKにとっては雪崩の事故と日銀総裁人事では、雪崩の事故の方が重要だ。
正直、報道に携わる身としてあまり的確な判断をしているようにも思われない。こちらの思考を悪いことから遠ざけようとしている努力は認めるが。
それで良いのか。
以上のことを踏まえて中国の報道を見ると。
確かに人殺しはいけませんが日本のほうからは「静観」と言ったあたりが正しい選択肢のように思われます。
アジア外交の基本だよね、相手の面子を守ることと下手に動かないこと。
動いた方が負けと言っても良い。実際、福田さんは一歩も動いていない。
こうしたときに深い思考を出来るのは、間違いなくアジアの知恵なのです。
短気な欧米人がいつも正解を出しているわけでは決して無い。むしろ近年は短気な選択が悪い結果しか導いていない。
毎度思うのだがこういうときの欧米の正義は確かにかっこいいのだが、その背景にはいつも権謀術数が渦巻いている。頭が中途半端に動くことは、動かないことよりも悪い回答を導き出す良い例だ。
結局、みんなものすごい勢いで経済大国になりつつある中国が怖いのです。温家宝はまるで中国の父のようじゃないか。高度成長期の田中角栄のようだ。
しかし、そこにはチベットに於ける人権を守る、と言う「善意」がある。
昨日の話しではないですけど、こうした欧米のチベット国民に対する「善意」と言う名の敷石はは確かに地獄へ走る車輪の音を響かせていますね。
この「善意」は対立を産みこそすれ、問題の解決には決して繋がらない。それどころか、もしオリンピックをボイコットなどすれば、その溝は埋めることは今後大変難しいことになるだろう。
こうして考えてみるとレーニンはつまり、あの言葉によって自分の実体験を語ったに過ぎないのだというのが僕の結論です。
間違ってもかっこつけてボイコットなど、しないことだ。
何の解決にもならんどころか、相手を貝にして終わりでしょうね。
暴動を起こした人たちは、自分たちが「生きる場所」を求めて起こしたのは分かる。
しかし、そんなことを言ったらいまや世界中誰もが「生きる場所」の喪失にもがいているのだと言う事実を、チベットの人たちが知っているとは思われない。
欧米から見たチベット解放運動は、結局自分たちのこれまでの生活に対する贖罪のようなものなのでしょうね。
いつ見ても、健全とは思われない。
少なくともアメリカが捨てなくてはいけないのは「自分たちがいなければどうなる?」と言う上から目線だと、僕はいつも思っています。
それは決して捨てられることが無いと知りながら。
P.S いつに無くバラバラですが、まとめる余力が無いのでこのままアップします。