自殺した小学校の生徒は、卒業式の日に全員で「大好きな学校」というところを「大嫌い」だと言い換えたそうだ。
で、そのあとに校長たちが「なんであんなことをしてしまったの?」と聞いたらしい。
うん、まあ、この校長と死んだ小学生の間には、永遠に分かり合えないだろう溝があるね。
だいたい、小学生が卒業するときに、全員が小学校のことを好きだったはずが無い。それに対して自分の意思を表したのに対して「なんで」なんてバカな質問だ。
しかも残したメモが「死んでお詫びする」だって。
ここには個々人を「精神的に」理解するべきことなど何も無い。
しかし、「好き嫌い」を自分で判断させずに全校生徒に言わせる無神経は、君が代の唱和など比べ物にならないほど残酷な行為であると感じる人はいてもおかしくないだろう、と言う「統計学的」確認は残る。
子供にとっての「好き嫌い」は大人のそれと違って宗教足りうる。
善悪の判断基準において彼らがもっとも頼っているのはそこだからだ。
結果的に引き金を引いた言葉は、確かにこの記者さんの見るとおり、校長先生の「なんで?」なのでしょうね。
・・・ま、僕が校長だったら「どうして!君は学校がそんなに嫌いだったのかい?」とは聞くだろうけどね。「なんで?」は無いなあ・・・
教職と言う奴は人間の心を扱っている。心と言う奴はナマモノだ。ナマモノは傷つけるとすぐ痛む。
小学校六年生ぐらいの子達にとって、いっせいに同じことをするのはすでに飽きてしまったゲームなのだ。小学校低学年ならいざ知らず。
せめて、自分たちのやらせていることの馬鹿馬鹿しさを、自覚しつつもやって欲しいですね。
「規律」は絶対ではなく、あくまで「道具」に過ぎない。
学校や軍隊の現場では、忘れ去られやすいことです。