何を突然、と思われるかもしれませんが、一応音楽家の端くれとして(最近ぜんぜん音楽家じゃないなあ、とは自分自身思っていましたが)たまには音楽の好き嫌いの話でもしようかと。
で、パレストリーナ。
もうね、ここまで行くとクラシックと言う枠組みとはあまり関係ないんですよね。確かにその音楽話法は後世のクラシック音楽に多大なる影響を与えたのですが、この音楽が影響を与えた音楽よりも、頭の中で遊ぶ分にはこの音楽自体の方がおもしろい。
なぜか。
それはこの人の音楽は対位法と呼ばれる作曲法としてきっちりと法則性を見せておきながら、いろんな縛りの中でがんじがらめであり、それゆえに規則さえきっちりと守れば誰でも「パレストリーナ風」の音楽を構築できるからなのです。
人の作った音楽と同じようなものを作って何がおもしろいのか。
そうは言いますが、もうひとつの作曲法の代表として「和声法」というものがあります。
結局のところすごく乱暴な言い方をすると、この和声法という奴が「モーツァルト風」の音楽を作るのにすごく適しているわけでして、子供のころからピアノを弾いている人たちはそれゆえにこの作曲法を大抵の場合「嫌い」になる。
そりゃそうだ。いくらやったってモーツァルトより良い曲が作れないのだから。
これと同じことが「バッハ対位法」にも言えます。同じ規則作ったってなかなか彼の最高傑作まで行き着きません。で、こんなものを勉強する人は、たとえ弾けないとしてもバッハの曲を聞いたことはすでにあるわけで、「うわ、俺って才能ねー!」と絶叫して終わるのがオチ。
その点この「パレストリーナ対位法」と言う奴は、実際のパレストリーナの曲をほとんど知らない状態から始まるし、なんとなく「教会っぽい」音楽が誰でもほいほい簡単に作れてしまう。
たとえば、リディア、フリギア、ミクソリディア、エオリア、イオニア旋法。
これらの言葉は99パーセントのクラシック専門の人が、どの旋法がどの音域でどの音で始まりどの音で終わるかを答えられないのですが、パレストリーナで勉強すると、鍵盤楽器になれた人なら2週間で覚えられます。
あ、エオリアだけはみんな知っているか。日本でも短調の曲に「君は~」とかつけているものね。何のことは無い、イオニア旋法だといっているだけなのですが、なんか女の子の名前みたいでしかもギリシャで神秘っぽくて良いですよね。
この人の音楽の良いところは、転調の幅が非常に狭いことでしょう。
なぜかと言うとまだ「平均律」というある意味画期的な、ある意味音楽をダメにした調弦法が開発されていなかったからです。
だから主となる音からシャープ一個付いた調とフラット一個付いた調以外に転調すると、元の調に戻れなくなったんだな。
何せ、この「主の音」と言う奴が教会によって違ったというのだからタチが悪い。
教会にはそれぞれ「鐘」があります。
教会の中で歌っている限りこの「鐘」は声と少なからず関わっていたのでしょうね。そこで耳に残る音から拾っていくと、鐘はむしろ大抵「高め」の音程をとっていることが多いので(僕の住んでた街の教会も、思い出してもラがラとシ♭の間に聞こえた)、それが理由でルネッサンスまでの教会音楽はラを475kHzぐらいにとることが多いのです。
教会の音楽はハモることが最も重要です。
平均率ってオクターブ以外決してきれいにハモらないんですよ。だから,和声やバッハ対位法をやると、なんかだまされたような気分になるんだよね。お前、本当にこれで良いのかと。
これからピアノをお子さんにやらせようと言う人たちに。ピアノのドミソドの和音、明るい方の和音はミを弱めに、暗い方の和音はミ♭を強めに引けばちょっと気持ち悪くなくなることを子供さんに教えてあげてくださいね?
たくさん練習すればいわゆる名曲はそう弾くとより気持ち良いことを発見できるので自然とそうするようになるのですが、そこにいたらないままピアノを止める子達が80パーセントを超えるのは、子供はそこにある気持ち悪さをきっちり感じ取っているから、というのもあります。
その点、パレストリーナ対位法はとにかく「心地よくない音程の排除」を徹底的に行ないます。だから、本当に初歩の初歩から「おー、こんなに鍵盤をぶったたいても心地よい!」と言う現象にあいます。
そういう意味で初等教育には本当にお勧め。ハハ、今頃になって自分に初等教育してます。
彼の曲のよいところは、彼の和声の中で作った曲は実際に歌ってみて、徹底的にハーモニーを作ると、(完全なオクターブはもちろん、完全な3度や5度は声で作ると心がきれいになった錯覚を得ることが出来る。特にパレストリーナの曲は純度と密度が高いので、とても心が洗われる。)こんな簡単なことでこんなにすごいことが出来るのか、ということに驚けることだと思います。
いきなりバッハやモーツァルトが眠くなるのは当然のことだと思う。僕らは聞きなれているからよく忘れてしまうのだけれど、知らない人にとっては相当眠い音楽なんだよね。
でも。
ここ最近うんざりするようなニュースが多いじゃないですか。
うんざりするようなニュースを聞いた後は、モーツァルトのようにドラマチックになる体力も無ければ、バッハのように哲学する精神力もないのです。
そこで、癒しの音楽パレストリーナ。
全くクラシックを知らないけれど、音楽にヒーリングを求めている方たち。
是非、クラシックCDの作曲家別のコーナーで「パレストリーナ」の音楽を探していただきたいですね。
別にキリスト教徒でなくても、心が洗われた気分になるでしょう。
ところでエリザベト音楽大学って、なんで「教会音楽科」が無いんですかね?日本で唯一のイエズス会経営の音楽学校なのに。
ちゃんと「教会音楽」を布教しようよ。キリスト教を布教するかどうかはともかく。
まあ良いや。僕はとりあえず僕の心を洗っておこう。
心がどす黒いままだと周りに毒を撒き散らしてしまうなあ、とここ最近の反省でした。
あ、体力の限界。支離滅裂ですが、今日はこんなところで。