よく考えたら高校の頃こういうエクセサイズ(エクササイズだと一発変換。人によってどうカタカナに感じるかは随分違うんですねえ・・・)ばかりやっていたはずなのに。
ラテン語をなぜか英語から勉強しています。
結局、日本人相手にラテン語のウンチクをいくらためてもあまり役に立たないのですが、アメリカ人と話しているときに「へー、自分そんな言葉知ってるん?」(僕の耳にはアメリカ英語は全部そういっているように聞こえる)と言わせたければ、やはりラテン語は欠かせないのですよ。
・・・別にそんな低レベルなことのために勉強し始めたわけではないのですが。
なんといってもイタリア語と6割近くかぶるため、意味があまり分からなくても読み飛ばすと大体何を言っているのかが分かってしまうのです。しかし、それでは使えない。フランス語やスペイン語でも同じことが言えます。読んで意味をなんとなく理解するにはそれほど苦労が無いのです。しかし、全くしゃべれません。
これだけ意味が分かってしゃべれないと、いわば東京の言葉はしゃべれるのに大阪の言葉はしゃべれない。なぜだ!と同じレベルなわけ。
この状態で大阪に住むと、どうにかしないと、と思うものでしょう。
・・・まあ、無理に大阪弁でしゃべる必要も無いのですが。
あと、歌でも必要なんですよね。
歌で使われているラテン語って、「カルミナ・ブラーナ」とかで無い限り、基本的に聖書の中のもっとも有名な一節の中から取り上げているものが多いのです。
でも、呪文のように唱えていて楽しいかと聞かれると、やっぱり楽しくないんですよ。
それこそアヴェ・マリアすら、暗唱は出来ても意味があやふや。
これが最近我慢ならなくなってきたんですよね。
大体、ほとんど意味は分かっているんです。
でも、確信を持って「こういう意味です」と言えない。
こんなことを10年も繰り返していると「イカン、こんな成長しない人間ではダメだ」とやはり感じるものなのです。
歌は有名なものはいやでも一生付き合うことになる。
ずっと付き合ってて、それに対する知識が全く動かないと言うのも、何か人間として積み重ねが無いというか、底が浅いと言うか。
だから、ラテン語を勉強しなおそうと、ジュンク堂で教材を探していたら「バカな人たちのためシリーズ」(信じられないですが本当にアメリカにこういう本のシリーズがあるのです。Idiot's、というのが通り名のシリーズ)をみつけ、これが良い!と飛びついたまでは良かったのですが。
ラテン語って、冠詞が全くないんですよ。
イタリア語はあります。英語とほとんど同じ冠詞が付きます。だから、イタリア語に訳して、その後英語に訳せばほとんど間違えません。
なのに。
直接英語に訳したらなんと正答率15パーセント。答えを聞かされたら「そりゃそうだろ!」となるのですが、実際に書いてみると間違えるんですよねえ・・・あれといっしょだ。ピアノで弾いたら間違えないのに、実際に楽譜に書くと大間違いになったりする。
つまり、英語は英語として文字を書いていた期間が短いんだ。
イタリア語は細かく色々直されたので間違ったらすぐ気が付く。
でも、英語はそれほどきめ細かくは直されていないのだ。
いわゆる「一般的なものを指す」名詞には冠詞は付かない。たとえば「人の道」の道とか、「大衆の娯楽」の娯楽とか。
ピンと来ないかもしれません。日本語はそもそも不定冠詞の概念が無いからね。
イタリア語では分かっているのになあ・・・なぜ英語ではすぐに「the」をつけたくなるのか。
やっぱり、日本語から直してばかりいたからなのでしょうね。
ラテン語を英語に直しながら、実は英語の方がある意味強敵だなあ、と今更ながら確認しつつ学んでおります。