つまり、Not in employment or training な人たち。
大学では今博士号を連発しているわけですが。
これから大学で生きて行こうと思ったら、むしろ社会での実績がある人の方が有利です。後何年続くか分かりませんが、今のところ議員、知事、有名人、結果を数字で出した人が非常に高い確率でいきなり大学に雇われる傾向にあります。
まあ、今のまま行くと大学教育は完全に崩壊しますが、今は取り合えずそのことはおいといて。(そう言いつつも、KO大学の竹中平蔵の経済学とか「うわ、実践から程遠いだろうね!」と思わないとすれば、その人は現代を生きていないとは思う。自分のやったことの良い部分しか見ない超ポジティブシンキングといえばそれで終わりかもしれないが。)
大学にはひたすら勉強を積み重ねて非常に高度な次元までそれを高めている人たちがたくさんいます。
しかし。
現状ではその人が教育に向いているにせよ向いていないにせよ、大学で働ける方向性はゼロに等しいんだよね。
この人たちは、状況的にはNEETの人たちとほとんど変わらないので、今あえて総括してNETと呼ぶことにしてみましょう。
世界中で今このNETな人々があふれ出そうとしています。
それでなくても増えているのに、文部科学省はその流れを理解せずに博士を増やし続ける傾向にあるし。
博士号が紙切れ同然の価値になる日もそう遠くない。
だから、本当に勉強を志すのなら、大学に残ることに腐心するよりは、本当に自分の心が求めているものは何なのかを追求して考えることが必要です。
そもそも、食べて生きたいのなら大学に残る、と言う選択肢自体があまり良いとは言えない今の時代。
NETの行く先は、いばらの道ですね。
NETの人たちは夏目漱石やゲーテを読むと良い。
「教養しかない人間」に行き場無いのは今も昔も分からなかったことが美しい文章とともに想起され、なんとも言えない切ない気分に浸れます。
むしろEな人々、と呼ぶべきか。Educated。それのみ。
この人たちと対照的というわけではないが、いわゆるNEETについて。
日本には本質的なNEETはいない。誰もが文字が書けるのだから。せいぜい人より書ける漢字が少ない。その程度だ。
だから、誰かにニートと呼ばれたら、「お前こそNEだ!」と言えば良い。つまり、Not in Education。
残念ながら、日本にニートと言う言葉を運んだ人には、教育が無かった。
そこにあったのは、差別を助長する悪意。
実際この言葉は、「自分が社会を動かしている」と勘違いしている人たちによってばかり使われている。
まあ、ニートという言葉を口にする奴は間違いなく勘違いしている奴だと思って良い。彼らが差別しようとしている人たちは、彼らとなんら変わりない人たちだ。彼らはそれが分からない。
無いのが教養であれ雇用であれ労働意欲であれ。
こういう差別用語を「流行らせよう」とする悪意は、排除されるべきだ。それは「力」を太らせることはあっても、社会の99パーセントの人たちにとって害でしかない。
自分で書くと、分かりますね。