10分でも良いんだよね。
やらない場合でも少しでも頭の中で進められると良い。
結局のところ思考自体が中断することが一番まずいことなのだから。
勉強は、用事が多ければ多いほど滞りがちになるものですが、そこで本当に滞ってしまうと、せっかくそれまでやってきたことが積み重ならなくなる。
しかしまあ、勉強するためにわざわざ教わる必要まで出てくるときって、そうは無いものだとも思います。
そういう意味では勉強は演奏よりも楽だよなあ・・・
演奏するためには積み重ねることよりも「自分の可能性を知る」ことの方がよほど大事だ。
演奏する人間として自分の可能性を「知らないこと」はむしろ罪となる。
ところがこの「自分の可能性」という奴は一回見つけてしまえば後は見失わなければ良いだけだし、これが手に入れば形をなぞることには何の苦も無くなる。
主観的に石をこつこつ積み上げていくことと、客観的に自分を知ること。
どちらも大事ですが、演奏者として後者は絶対になくてはならないものであり、前者は無くてもやっていけるものだ。
これがおそらく、人が勉強を辞める理由なんだろうね。
じゃあ、なんで僕が勉強するかというと。
演じることも好きだが、創る事も好きだからなんだろうね。
芸術活動として、本質的にこの二つが同義に近づくことが出来るのなら、その人はより本物に近くなると僕は信じている。
それをしている限り、ポップスであろうがクラシックであろうが、その人は芸術家なのだろうね。
芸術家を名乗るのは簡単だ。
ただし、その人が死んでからもその人が芸術家だったと記憶しているかどうかは、時間と言う名の判決が下るまでは、決して、分からない。
それが欲しい、とは言わない。
しかし、それを求めている自分は、いやというほど知っている。
無意識。
実は人は自分が意識している領域よりもはるかに大きいものに、振り回され続けているのかもしれない。
その領域を知るために。
毎日こつこつ学ぶことは、決して無駄ではないと思います。