うん。今日はそんな感じでした。びっくりさせるなよアーバンビュー。とりあえずここ数日新聞とインターネットを見守ることにします。いつもやっているけれどね。
でも習字を書いたら不思議と大丈夫。あれだな、白い紙に黒い墨で字を書くとき、筆がその紙にあたる所に集中していると、何かがつながったような気分になる。集中力とは言いますが、音楽では決して起こらない作用なので、やっぱり脳を意識的に普段使わないところに持っていくのが良いのでしょうか。とりあえず、落ち着くことができますね。
それにしてもその日の乱れは字にずいぶん出るものですね。最初あまりにも右に曲がって行ったので「おー、イライラしているときの運転の癖と一緒だ…」なんのことはない、背骨が一方向に向かって曲がっているため、左に突っかかりやすくなる(つまり体の軸が時計と反対回りに歪むため、結果的にハンドルとしては左に切ることになる)と言うだけの話なんですが、字でも同じことが起こるとは思っていませんでした。書道も車も目で修正できますが、根本的な問題は同じくまっすぐ座ることを心がけることですな。
毎日書いているといろはにほへとも違ったものに見えてくるのはピアノの練習曲と同じ理屈ですね。練習していくうちに覚えられるものは覚えていくのですが、改めてお手本を見て(ピアノの場合は表現の記号と自分のイメージのシンクロ、指番号の完全な一致を常に確認しないと、どんどん勝手な表現になっていく。小学生が使うような教材で勉強しているのにそう思う。)書いていくところなど、ピアノとそっくりです。
その点、歌は音楽を聴きながら歌詞を追いかけてはその意味に照らし合わせて表現していけば名曲とされているものは何も考えなくても表現できる部分が9割を超えるので、ピアノや書道におけるマニエリスムは歌のそれの比ではないな、と感じます。
もっとも歌の場合も他人の歌を自分の歌と照らし合わせて、足りない部分を補っていくことが結果的に同じ行為につながっていく。結局自分で伴奏譜を見ないとオリジナリティーに行きあたらないという事実にぶち当たるので、そう考えるともともとピアノを弾けない人がその壁を超えるのは、優れたピアニストと演奏することと、むしろいつからでも遅くないからピアノをきっちり勉強することと言える。
結局ズルはできないようになっている。
今日はお昼だけ作りました。
トマトとナスのスパゲッティー。ナスは本当は一口小に切った後、塩を振って水を出しておくとえぐみがなくすっきり食べられたはず。たっぷりのオリーブオイルで焼いて、そのあと機能作ったトマトソースになじませる。この時間が今日は短かった。できればお互いに乳化していくぐらいのところまで火を弱火で加える時間があると吉。
夜。めんたいのフライ。シイタケとアスパラの炒め物。玉ねぎの味噌汁。ポテトサラダ。
作らないと面白くないね、書いても。めぞん一刻の惣一郎さんの日記をふと思い出した。自分で作らないとひたすら献立を書いて終わりになっても仕方がないと思うなあ・・・
本日もぐだぐだでした。お休みー。