もう、何が何だか・・・
選手達に一つ聞きたいのが、「プレーしてて、楽しい?」これに尽きるね。
結局誰もが誰かに責任を負わせようとした結果がこれなんだよね。
必然的にだれも責められない戦い方をチーム全体でやるようになるのだけれど、かと言って自分のボールに責任を持っているわけじゃない。だから、繋がれた球を「俺が決める!」という意識には決して繋がらない。繋げるから繋いでいるのであって、繋がなくてはいけないから繋いでいるわけじゃない。
サッカーのもととなった「サッコ」というゲームは、前線にいる味方に食糧の入った包みを送るゲームだった。つまり、0-0は負けなのです。だって、それじゃ両方とも味方が餓死するから。
子供のころの感じていたサッカーの面白さをすべて忘れて、サッカーを楽しみながら勝利を目指して戦っているチームに勝てるわけもない。
これだけきっちり組んでプレーできている以上、理由は精神論に求めるしかない。サッカーの技術ではまちがいなく負けていない。誰がなんと言おうと、一人一人がボールを扱う技術だけなら、全く劣っていない。戦術も形はある程度見えている。シュートを撃つ選手がキーパーと一対一になるシーンだってあった。そこまでして決められないのはだが、決してフォワードのせいではない。
俺たちは勝てる!勝ったら嬉しい!その次も勝つぜ!
もちろん代表でそういう風な意識を持つのはクラブチームよりはるかに難しいことは分かっているが、あえてそのためにクラブチームを作ったのではないか?
とりあえず今日見たプレーの中で、玉田が撃たなかったシーン、小野が撃たなかったシーンは監督が同じな限り確実にほかの誰かが別の試合で繰り返す。
それで負けるかどうかは知らないが、それだけは断言できるね。
あれは玉田のせいでも小野のせいでもない。ああいうシーンで彼らに撃つことを決心させるチームワークがないのだ。
それを漢字二文字で信頼という。
お前なら撃てる!おまえが撃って外したのなら俺たちは文句を言わない!お前の負けは俺たちの負けだ!俺たちはそれを受け入れる!
そういう雰囲気は今の代表に全く無い。
野球の五輪代表がチャンスで全く打てないこと、バレーボールでアタッカーが何でもない球を決められないこと。
僕の中では色濃く重なる。
ここに社会の病気を見てもよいのかもしれない。
今日のような試合をするのなら、ワールドカップに出なくてもよいと僕は思う。
牙を抜かれた獣たち。
そんなもの、いくら集めて11人の牙を研がれた獣たちに勝てるはずは、無いね。
問題はその牙を自分で抜いたのか、人に抜かれたのか。
これがおそらくどちらでもない。
それゆえにこの問題の根は深い。