僕は最近まで知らなかったことなんですけれど、団塊の世代の人達って議論を「しなければならない」、「いろんなことを知っていなければならない」世代でもあったんですな。
人々が議論しあうことによって共通の認識を得る、また相手の意見の反証をすることによって自分が相手の意見を「聞いている」意思表示をすることが大事なのだそうです。
それでなのよね。麻生さんが自分の言っていることに小沢さんが答えてくれなかったことに対して怒っていたのは。(麻生さんも小沢さんも正確には団塊以前だが、あそこらへんの15年は議論重視でくくって大丈夫なようです。)挙句、民主党の「所信表明演説」が、かつての英国の労働党のキノック党首張りで行われてしまった。「代表質問」なのだから質問には答えないとまずいよね、やっぱり。
下の世代はそもそも小沢さんのやり方が何がまずいか分かっていない、むしろアナウンサーが麻生さんが怒っている理由が分かっていなくて、しかも小沢さんどころかどの議員さんも説明しない、もしくは出来ない波乱の代表質問。
つーかさ、見てて思ったけれど、もはやあれは戦場だよなあ・・・
どうして戦場になってしまうかというと、お互いがお互いを敵として認識しているからなのですな。同じ日本国民の代表として選ばれた人々が、敵同士でいがみ合って戦うのが議会だと思っている人が全体の過半数をとうの昔に占めていた。正直、国会は普段見ないので、今日テレビで見てそのいがみ合いっぷりに驚きました。
子どもたちはあれを見たら思うよね。「あ、自分の言いたいことだけ言って人の話を聞かないのって、別にいいんだ」と。
たちの悪いことにね、少なくとも30代の前半までは小沢さんがやったことの何がどう悪いのかが「分かっていない」のです。だってねえ、みんなそうだものねえ。最近ようやく自分のことに関しても自覚が出来ました。流れのない、自分の言いたいことだけを言う会話をするとそのあと30分は反省します。顔には全く出ていないそうですが。これも困ったものですな。
リポーターの人が若かったので、おそらく渡された原稿をそのまま棒読みしてしまったのだと思うのですが、議論好きであるはずの団塊の世代以前の世代が、若者におもねり議論をしない風潮に迎合したことは、政治の質の低下の目撃そのものであり、しかしそのきっかけを作ったのが麻生さんという事実も否めないので、ほんとにどうするのよこの国会?という感じですね。
対話のない時代、遂に大人たちも対話を放棄し始めるのか。
非難のための非難、解散のための解散。
結局、子どもたちは大人をよく見ているということなのでしょうね。
「子供たちの学力は低下した」
間違いなくそれも、大人の真似。大人が自分たちのハードルを下げたのを、子どもたちが真似しただけですね。「私たちのころは」とか、ありえないと思うんですよ。今現在の大人を見て、子どもは真似しているのだから。子供を批判することは自分の批判につながるということを、大人は知っておかないといけない。
そう考えると、子供ってある意味ホントに、大人の鏡なんですねえ…
先生「一郎君、この問いの答えは何ですか?」
一郎「私たちの思うところに、今後の宿題の在り方について、一言申し上げることがあります!」
先生「いいから答えなさい」
こんなやり取りが授業で起こったりして。
無いか。むしろまったく別のことをやっている生徒なんて、僕らのころからいたもんね。団塊の世代はそんな人たちばかりだったと聞く。ただ、「こんな授業、無意味だ!」とか言って飛び出している生徒とか、きっといるに違いない。
とりあえず「小沢さんの真似」という弁解は、通ると思います。
議論せえよ。
僕の意見は、麻生さんと(原因を作ったのはむしろ彼、という事実は置いといて)同じですね。それがまともな人間愛だと思います。