んー。
でもねえ。死刑ってそれこそ、天皇制から脈々と受け継がれてきた、日本の一つの文化なんだよね。ゆえにこの国でたとえ死刑をなくしたとしても、重大な犯罪を犯したので死刑にしてくれないと困ると言う人がたくさん出ると思うんだ。
とりあえず死刑を廃止した時点で、歌舞伎の上演をやめないといけない。歌舞伎の話の多くは切腹を肯定する傾向にあるから。
他人に迷惑をかけて生き恥をさらすぐらいなら死を望む。
この思考回路って僕らが子供のころから叩き込まれているから「うん?ふつうじゃね?」と思うところですが、世界中どこを探してもこんな思考回路を持っているのって日本人だけなんですよね。
それは日本が恥の文化だから。
だから日本の死刑はなくならないんだよ、死刑を廃止することはこの国の文化の根底自体を否定することになるからね、と国連大使の人に国連で演説してもらいたい。
正直、クジラ問題よりもはるかに根が深い話だ。
僕自身はどっちでも良いと思うものの、どうなるでしょうね?
欧米人の大好きな理念の問題ではなく、文化、宗教の問題。どうしてヨーロッパの主要国と日本が全く意見が合わないかと言うと、結局のところ彼らがキリスト教徒であり、僕らはそうではない、と言うところに行きつく。
面白いのはアメリカと日本が先進八カ国のうちただ二つ死刑を制度として維持しているにもかかわらず、その理由は片方が「合理的だから」もう一方は「神代の時から面々と受け継がれてきた文化を否定するのは忍びないから」。
言ってみれば日本からすれば「転べ」と言っているのに等しいので、日本は最後まで抵抗し続けると思うし、それでよいのではないかと思う。
死刑ってのは結局のところ国の制度であり、「その国の倫理観」が「キリスト教徒の倫理観」とそぐわないとしても、フランス人の大好きな構造主義的帰結によれば「日本の立場からすればそうした価値観があることは認めざるを得ない」事実。
イスラム教徒の気持ちがちょっと分かる。国の制度にまで干渉するなよと。
面倒くさくなるだけですからね。
少なくとも、死刑をする国が野蛮だという考え方こそ野蛮だということは日本人の多くが知っていることです。