刻みつけておくべき記憶は、あると思う。
記憶と言うものはあやふやなもので、せめて年に一回ぐらいは思い出さないと、その時自分が感じたこと、その時自分が考えたことが正しかったのかが良く分からなくなる。むしろ当時16歳だった僕が感じたこと、考えたことは今のそれとは本当に異なっており、かと言ってあの事件は僕の中でそもそも「生きるって一体なんだろう」と言うことについて深く考えざるを得ないきっかけの一つであっただけに、ハロウィーンが来るたびに僕はいつも一人考えていた。
記憶とは薄れていくものだ。
たとえその時強烈な印象を持っていたことでも時間が経つと自分の中に波のようなものが押し寄せてきて、記憶と言う砂浜に書かれた字が徐々に消えていく。最初ははっきりしていた文字も、いつの間にか輪郭すらあやしくなって、そもそも何が書かれていたのかそのあとを見ても分からないようになっていく。
たとえば「今でもあの時に感じたことをはっきり覚えている」とここで僕が書けば極めてもっともらしく聞こえるが、実際のところそんなことは、無い。
覚えているのは聞いた時のめまいと頭痛と吐き気だけ。そしてそのあと2日ほど、食事をしても味がしなかったことだけだ。
それだけでも十分リアルな記憶かもしれないが。それは問題の解決、もしくは自分の中の消化行為として意味をなさない。
正しく消化するためにはやはり問題に向き合うしかないのだと思う。
だから、刻まれなくてはいけない記憶と言うものも存在するのだろう。
それにしても、まるで自分の記憶のらせんを辿っているようだ。それでも以前のような吐き気は感じない。だって、アメリカでは年間3万人が銃で殺されているのだから。そのうちの一人なのだろう。
そうと分かっていても、痛ましく、残念に思う。そう、残念に、思える。
それが結局のところアメリカと言う国を理解する上で最初にしなければならない必要なことだと今更のように気がつく自分は、テロリストをあまり笑えないのかも知れない。
それほどまでに、子供の時に刻みつけられた記憶は、心の変化とともに純度の高いものへと「上書き」される必要があるのだろう。それがたとえ純粋な記憶ではないとしても。
少なくとも32歳の僕は、16歳の時の理解できなかった自分を笑うことはできない。
人は強くなる。そうしないと前を向けないから。今の僕ならかつての僕にそう言うだろう。
おそらく、16歳の時のぼくはその言葉には救われなかった。だって、同じようなことを言われた記憶はあるから。
痛ましい事件だった。僕はそれを忘れないようにしないといけない。
結局、僕にできる、そしてすべきことは、ここ尽きると思う。
そのことに意味があったとすれば、そのことを知った人たちが各々忘れない努力をすることしかない。
こんな簡単なことを、人は忘れようと努力することによって失敗する。
それが人が「全体として」失敗するときにいつも犯してしまう過ちなのだろう。歴史が繰り返される既視感をそこに描くとすれば、それは人の心の移ろいそのものに他ならない。
それはいつか人の記憶から完全に薄れて消えてしまうものに違いない。
だからこそせめて、それを僕は覚えておこうと思う。
年々淡くなっていく記憶のなかに足掻きながら。
魂の安らかな眠りを望みながら。
お祈り申し上げます。