立ち上がりが非常に悪かったですね。第1セットの途中で見るの辞めてしまいました。
第2セットでアクシデントがあったみたいですね。皮肉なことにそこからメンタルを持ち直してフルセットに持ち込んだみたいですが、あのレベルでの戦いで2セットほぼ自動的に落とすのは致命的でしたね。
しかし、苦手のクレーでまずまずだったのではないでしょうか。そもそも「苦手」という意識が「得意とされる」ツォンガのプレーに幻影を見ていたと個人的には見ています。何か見えない敵と戦っているような感じの彼を久々に見ました。
まあ、まだこれからでしょう。次はすぐにウィンブルドン・・・一応3週間ありますが・・・本人の中ではフルセットやって負けた時点で切り替えは出来ているでしょうから、もっともっと成長した姿が見たいですね。ベスト8までは完璧でしたから。
彼はむしろこれからの選手だな、と思いました。まだ伸びシロがあると感じます。本当に強くなってきたのが2ヶ月前くらいからですからね。そんなにいっぺんに完成したらおかしいと思う。
次に期待しましょう。とりあえず、今回はお疲れ様でした。素晴らしいプレーをありがとう。
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by kenkentype0
| 2015-06-03 10:22
| スポーツ
ひどく不完全な小説。一回読んだ感想はそれですね。
書いた本人の吹奏楽に対する気持ちは良く伝わってくる。気持ちは伝わってくるのだが、「あー!この音を言葉にするなんて許せない!」という態度が常に裏に潜んでいるのも、終始聞こえてくる。そんな作品。
かと言ってこのジャンル、ここまでちゃんとしたものを書こうとした人は恐らくいない(高校ものなので、普通は恋愛を中心に描こうとするか、そうでなければ小説というジャンルを捨てて吹奏楽の説明本を出すかだろう)ので、最後までそれなりに読ませていただきました。
そこで使われている吹奏楽の知識は恐らくほとんど全て正しいのだと思う。多分、それぞれをよく知りすぎて、それだけに最後のコンクールで使われる曲の描写が「無駄を省きすぎている」。正直、あの説明を読んでも、それぞれの楽器の音が断片的に聞こえてきたとしても、情景が一切浮かばない。
つまり、「本当の曲がどうであるか先入観を持って欲しくない」という感情がそこにないと、ああいう文にはならない。
そこに吹奏楽への並々ならぬ愛を感じると同時に、これじゃ小説としてはダメだろ、と言わざるを得ない残念さが残るわけなんだよね。
それを京都アニメーションがアニメ化したわけですが、これがうまくはまっているんですよね。
音楽やる人間が共通して思っていることは「言葉で説明できるのならば音楽必要ないでしょ」と言う事であり、この作品はその一切そこに発音されることがない音楽が音によって語られる事によって、初めて小説として成立する、さながら脚本のような小説であると言えると思う。
正直、今のアニメーション技術なら小説のままの演出で良かったと思うのですが、アニメの方は「いやいやそれはしないだろ」と言う事も入ってきています。あと、小説書いた本人の中で浮かんできていたであろう顔と比べると、アニメのみんなの顔は格段可愛くなっているのはまちがいないでしょう。
そういうどうしようもないマイナス点(作画する人に「飽きない面白い顔を動画で描き続けろ、というのはかなり酷です。そんな力があるなら漫画家になっているでしょう)を除けば、この作品はアニメ化されたことにより初めて成功したと言えます。
実写では出来ないのです。なぜなら本当の高校生が吹奏楽をうまくなる、と言う演技も不可能ならば、音をそこに被せることは更に不可能だから。
残念ながら小説単体としてはかなり中途半端な作品です。発行部数がその事実を物語っています。だけれどもアニメを見て面白いと思った人は、それぞれのキャラクターを正確に摑もうと思うのならば読んで見て損はない作品だと思います。
なんでしょうね。小説としてはダメなんだろうけれど(しつこい)、音を言葉で表さなかった(音を聞いて人がどの様な反応をしたのかだけを表現していた)事には凄く好感が持てます。
メディアミックス時代の捻れた現象から来るおもしろみの感じ方と言う事は理解しているのですが、こういう作品がもっとあっても良いと思うのです。
音楽やっている人間からすると、音楽そのものを言葉で描写する無意味にはほとほと吐き気がするものですからね。しかしそれをしないとこんな事になっちゃうんだ、とある意味驚きを感じ得ない、そういう作品でもあるのです。
精華高校やビートルズのCDを買って聞いてみようか、と思ってしまった時点で、この小説は「音楽家に対してのメッセージ」としては完全に成功しているのだ、と思いました。それと、こっちが知らないにしても、堀川奈美恵って実在の人物じゃないのかよ!分かるけどそれはダメだろ!と思ったのはここだけの話w
いやいや、吹奏楽なんて何も知らないから。それを思い知らされた作品でした。合唱と似ているけれど、やっぱり全然違う世界ですね。基本のコンディションの整え方さえ教えれば(とは言ってもこれが今やスポーツ選手と同じ基準、あるいはそれ以上なのだが。要は健康体にならないと歌は歌えない。特に合唱はそう。ピアニッシモが出せないから。)、あとはメトロノームを全員に買わせて持たせればある程度まで勝手にうまくなる合唱とはやっぱり全然違う。
興味が出て来たのでスピンオフで、どうやら「北宇治高校(実在しません!あしからず!)はどういうメニューをこなしているか」を書いてある本がでているみたいなので、それも買ってレビューしてみます。
・・・イヤ、本当に小説としては中途半端ですよ?僕がこうやって絶賛しているからと言って、買って読んでガッカリしないで下さいね?評価しているのは「音楽を言葉で描写することを一切放棄した音楽小説」という、真空のジャンルwに挑戦した作者の態度ですから・・・
そりゃ売れないわ・・・音楽やっている人間じゃないと、その真意はわからないだろ・・・
せめて小説に「作中にでている曲を実際の高校のブラスバンドが演奏しているCD付き(多分この企画は精華に依頼されるだろうな、やるとすれば)を付けた限定版とか作れば売れたと思うのだけれど。もう遅いかな。
でもこれ、愛すべき本ですよ。音楽やっている人、音楽に興味がある人は、是非。小説では普通はしないですが、この作品に限ってはアニメと一緒に楽しむ事をお勧めします。自分と違うジャンルの人は、へー、そういうもんなんだ、と言う事を色々発見できると思います。
今までB管とかA管とかF管とか、どの楽器がそうかとかくらいにしか興味を持ってなかったですが、読めることも大事だな、とか思ったり。やれることは多いですよね。全部やる事は不可能ですが。優れた指揮者が何をやっているのか、久々に思いを馳せてみたり。そこら辺の微妙がうまく説明できてて、うん、あれだな、やっぱりマニア向けだな、この作品。
手に取る場合はその覚悟は必要かも知れませんね。
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by kenkentype0
| 2015-06-02 13:07
| 読書
ふと思ったのですが、合唱では発声をやる事があったとしても、チューニングはしないですよね?では歌にはチューニングに相当する練習はないかというと、無い訳でもないんですよね。
それがロングトーンなわけですが。
各パートを4人くらい集めて同じ音を出させて、4人の声がぴたりとあったら突然倍音が耳に聞こえてくるはずです。
具体的にはドの音を出していると五度上のソが聞こえてきます。
正確な意味ではチューニングではなく音を綺麗にする方法、純正律を感じる方法なのですが、そう言えばこれって久しく感じてないなあ、と思ったのです。
ずーと合唱には入ってないですからね。
イヤ、なんでこんな話を思い出したかというと「響け!ユーフォニアム」というアニメ作品を今テレビでやっておりまして。アニメの方が地味に面白いのですが、そこで使われている情報が非常に正確なので、これはなんなのだろうと思って調べてみたら小説だったわけです。
そこに書かれている練習方法はかなり曖昧になっていますが(多分もう一冊の本により細かく練習の説明がされていると思われる。読み終わったら読んで見ます)、それでもこの「倍音を感じる」「純正律の響きを平均律の中に感じる」という作業は、合奏においてとても重要になってくると言うのは、ソロやっていると忘れることなんだよなあ、と思ったわけです。
むろん、ソロ同士の合唱ではこの倍音、出まくりです。重唱では当然5度8度が何度も効果的に出て来ますから、音を膨らますときは音を大きくするよりもむしろ周りの歌手と周波数を合わせる方が効果的なことすらあります。
ただ、歌の場合それを意識的にやる人はまずいないんですよね。楽譜にクレシェンドが書いてあって和音が作られていると、その和音が最大に響く所がどこかを見つけてそこに合わせるだけなので、別に周波数を合わせているという気持ちはそこにはないんですよ。より本能的にベターを探っている感じ。
でも、重唱の時、音の響きが普段より遙かにましているのは、理論的にはこの「倍音」が大きく関係していわけです。つまり、単独でもドの音を出しているときに、ソの音とは周波数が・・・ええと?3回に一回だっけ?(調べたら当っていた。当てずっぽうもここまで来ると笑えますね。周波数の長さが1.5倍だと言うことを何となく覚えていたようだ。むろん耳で覚えているわけではない。)重なっているわけですね。(いいかげんでごめんなさい。そんなこと考えて演奏している人はいないと思います。知っていたとしてもね。)
話を合唱に戻しますと。
楽器でロングトーンを出し合っているときに倍音が聞こえるのは、楽器自体が倍音に共鳴しているからですが、では合唱の場合、何が共鳴しているかというと。
やっぱり体自体が共鳴しているんですよね。
正確には頭の中が共鳴しているわけですが。
こうやって考えていくと、何か危ないことをやっているようにも思えてきますね。大丈夫です。音が内側に籠もらなければ問題は起こりません。声楽の場合問題は、内側で音を作ろうとした時のみに起こるわけです。この事実はポップスもオペラも関係ありません。具体的には喉が潰れます。
大事な事はどの様な音が出したいかなどと考えずに、全部リズム通りに歌っていくことです。驚くべき事ですが、実際にはメトロノームと一緒に歌った方が、大抵の人はうまく歌えるようになります。良く「メトロノームのような演奏」という言葉がありますが、実際の所メトロノームのように歌えるようには人間の頭は出来ていないのです。よい曲であればある程、メトロノームに合わせて歌えるようになると適度な揺れが起こる部分が見つかってきます。そこには必ずリタルダンドもしくはアッラルガンドと書いてあります。心配しなくてもメトロノームに合わせて練習しようが本番の時にそのまま歌ってしまう人などこの世にはいないのです。喩えインテンポでメトロノームピッタリに歌ったとしても、その歌がメトロノームのように聞こえると言うことはまず起こらないのです。
さて、なんでチューニングしないのか、という話に戻りますと。
それは実際の所、発声でやっているとも言えるし、声楽のチューニングは結局の所耳と耳の間で起こっているとも言えます。
なんだかんだと良いながら、合唱において最初みんなで声を出すのは、結局チューニングと同じ事をやっていると言って良いわけです。共通理解の音があって、そこにみんなの響きを合わせていくわけですから、やっている事はチューニングなのです。合唱において発声をしない合唱団なんて、余り聞いた事無いでしょう?つまり、そう言う事なんですよ。声を暖める必要、おなかを使う事を意識する必要、と言うのもありますが、それだけなら各々がやっておけばいいだけの話なのです。が、実際にはそうではありません。つまり、声を暖めているわけでもなければ、おなかを使うように意識する時間でもないのです。
それはみんなと音を合わせることを意識する時間なのです。
しかしそれでもそれはやっぱり耳と耳の間で起こっている事でもあるので、感情的に昂ぶりすぎたり、力が入ったりするとそのチューニングが狂ってくるわけです。
およそ合奏、合唱というものをやるときに、多くの人がぶつかる本当の壁は、この「セルフコントロール」という問題だと僕は思います。
少なくとも音楽に関しては練習方法は已に確立されていて、こうやればうまくなると言うのは決まっているのです。しかし出来る人は出来る、出来ない人は出来ないでのストラックアウト方式は已に終わりを告げた、と個人的には思っています。
音楽なんて、やれば誰にでも出来る(その道のりは言ってみればエベレストの向こう側に行くようなものだが)
。
グルテンフリーは、そう言いきれる扉を世界に開いたと僕は想っています。
音楽は、耳と耳の間でやるものだ。だから、まず頭がスッキリしないと話が始まらない。
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by kenkentype0
| 2015-06-01 12:34
| 音楽の話
もちろん今までも使っていたのですが、今大会のように重要なポイントで印象的なスライスが出てくる錦織選手は初めてですね・・・彼の中で確実にかわっていっている部分があって、それはどう見てもスライスであり、サーフェスの感じ方だと思う。
以前よりも捉える時の感覚が鋭くなっていると思うんですよね。昨日はラケットを11本も用意したらしいですが、つまり雨用と天気用の二種類だと思うのですが、それでもそれぞれ5本は持っているわけですから、(つまり最初の一本は間でどっちにするかを判断するためのラケットだったと思われる)相当感覚が鋭くなっているのは疑いようのない事実だと思うのです。
スライスを鋭くするには技術的な事は知りませんが物理的にはインパクトの瞬間にロスなく球に回転を与える事が非常に重要となるため(ロスがなくなればより物理法則に近い動きを球に与えられる)、「どの瞬間がインパクトなのか」を体が信号としてより正確に捉えていればより鋭いスライスになるわけですが、これは体の内部の問題でもあるのでコーチが教えるにも限界があるでしょう。
ピアニストにおけるタッチとも問題は似てくると思います。やり方は教えられますが、本人がそれを感じなければ出来ませんからね。
で、今の錦織選手はタッチの感覚が鋭くなっているから、あれほど自由自在に強烈なショットがドライブでもスライスでも打てているのではないでしょうか。ドライブはより力強く角度がついており、スライスはより深く切れ味鋭いように見えます。
本人のとりあえずの目標はベスト8だったようですが、これはもうちょっと行けるような気がする。彼自身は今まで通り言われた事を遣っているのだろうけれど、多分自分の中でも「あれ?以前より良くなっている?」という瞬間はたくさんあると思うんですよね。何より、体を痛めたそぶりを欠片も見せないその姿が、確実に変わって行っている彼の姿をこちらに印象づけていると思うのです。
以前は「行けー!」って感じで見てましたので、胃が痛くてそう何度も見ることは難しかったのですが、そろそろ誰が見ても面白いテニスに変わってきてますね。彼とジョコビッチ、フェデラー、マレーの時代、已にやってきているのかも知れません。
これが10年くらい続くと嬉しいなあ・・・10年は難しいか。でもせめて5年。行けると思うんだよね。あれだけ楽にラケットを振れていれば。
まだ大会は終わってませんが、不得意なクレーでこれですから(もはや不得意と言えないレベルに行っているとは思うのだが、本人がそう言うので・・・)、今後が非常に楽しみですね。
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by kenkentype0
| 2015-06-01 12:01
| スポーツ
香川選手は1アシスト、しかしポカールは取れませんでしたね。残念でした。タッチ集で見ましたが(こんなのばっかし。イヤ、そんなに時間無いから)前の試合程ではないにしてもオーバメヤンへのアシストもロイスへのアシスト未遂も完璧でした。一つ、決めきれないゴールがありましたね。あれも良かったです。足が微妙に足らなかった。
本田選手は2点目は3人を背負って潰れたのが素晴らしかった。あそこで粘ったからその後バーを叩いたボールを次の選手が(多分ボナヴェントゥーラだと思う。若かったから)流し込めたわけです。
ファンの評価は素直なもので、2点を決めたボナヴェントゥーラ(ああ、消去法で一点目がパッツィーニなのだから2点目はボナヴェントゥーラしかいないですね)の次に評価が高かったのが本田だったようですから、日本の一部の初期報道では悪く書かれましたが実際には良かったようです。
最近中田英寿じゃないですけれど、この手の問題が多いですね。罰則がないのでどうしようもないですが、事実を曲げて報道するのは本当にどうかと思います。どこが書いたとは言わないけれど。
それにしても、顔の腫れはほとんど引いたようですね。顔付きがシャープになると当然のように動きもシャープになる。うまく行っているようで何よりです。
しかし・・・3人程度追っているだけでも結構大変ですな・・・石川選手は中田翔選手と同様低炭水化物ダイエットの可能性が高まっている(とは言え、中田翔選手はむしろグルテンフリーやっているのでは?と思う時がある。)ので、しばらく様子を見ようかな・・・グルテンフリーは「すぐに」「明らかに」調子がよくなっている人がやっている可能性が高いのですよ。特に、ヨーロッパで活動している選手の場合、それが顕著です。
そもそも遺伝子的に小麦による淘汰が一切行われていないアジア人は、凄く高い確率で小麦の不耐症になってしまう可能性が高いのです。欧米でグルテン不耐症が15パーセントと言われる今(僕は多分もっといると思っている)、日本人がヨーロッパに住んだら8割はグルテン不耐症なってしまうと確信しているのです。
かつてアメリカ・ヨーロッパに住んでいた人間としては、アメリカ・ヨーロッパで頑張る日本人こそ応援したくなっちゃうんですよね。これは僕にはどうしようもない。
本田は来季、どうなるんですかね?むしろインザーギがどうなるのか。続投した方が良いと思うんだけどなあ・・・
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by kenkentype0
| 2015-06-01 01:21
| サッカー